47.白金
セレシアの光を前に、夜闇と魔の霧は二人に触れることさえ適わない。躊躇いに滞留した淀みたちはたちまちウェインの雷に弾き返され、空気中の水分ごと蒸発し、虹の霧となって、黒と金の流星の尾となりたなびいていく。
赤銅の騎士が、邪悪なるものを浄化しながら突き進んでくる雷槍を掴み取るかのように手のひらを翳した。
「狙いは見えてんだよォ!」
周囲に零れた血液たちが、雨の滴を反転させたかのように浮き上がる。
その行きつく先は、主である赤銅の騎士の手のひら。未だ鎧の隙間から漏れ出でている血と混ざりあい、一度大きな球体に収束したかと思うと、にわかに膨れ上がった。
セレシアたちの行く手に、錆のように赤茶けた蜘蛛の巣状の壁が立ちはだかる。
「
「使えないと言った覚えはねえぜ? 俺の天恵は、体外に溢れた
「――フッ。この土壇場で身を守ったのは過ちだったな」
ウェインが体を丸めたのを感じ取り、セレシアも膝を胸元に引き込み、彼に向かって蹴りを放った。
互いの靴底を足場に伸びあがり、雷光は二手に別れて血の網を掻い潜る。
「先の一瞬、貴方はその力で刃を作るべきでした!」
「刺し違える覚悟なくして、俺たちを止めようとは笑止千万!」
稲妻は、真っ直ぐに伸びる一条の線ではない。臨機応変にジクザクと闇を裂くのも、決して迂回ではない。目標へ最短最速で突き立つための加速の道程である。
ひとたび離れた比翼の鳥は、光と雷が磁力のように引き合い、また連理の枝のように繋がった。
「「覚悟! ――『
「ぐっ、がああああああああああッ!!」
セレシアが袈裟に薙いだ一閃と、逆袈裟から迫ったウェインの剣が交わる。
露になった肉体を斬られ、雷光を注ぎ込まれた赤銅の騎士は、セレシアたちに押し切られるままに後方へ吹き飛び、やがて一本の大木の幹に激突して止まった。
「が、は……っ」
魔の武装が解かれ、ゼジルはゆらりと崩れ落ちる。
「膝を突かないか。それほどの胆力があるならば、善き戦士となれただろうに」
「うる、せぇよ……」
両腕を突いて息急く肩が、吐血の咳き込みに大きく跳ねる。ゼジルは拭った口元の血を、手を払ってこちらへ投げ飛ばしたが、柔らかな液体のまま、それは空しく地に落ちた。
「チッ、もう天恵を使う余力も無ェってか……」
「答えろゼジル。お前はどうやって、『騎士』の力を得た?」
「誰が教えるかよ、バァカ」
ごひゅうと喉をいがらせながら、ゼジルは幽霊のようにぬらりと立ち上がる。
「だが、良いことを教えてやる。裏切り者は俺だけじゃねえんだよ! 素知らぬ顔をしてテメエらの中に紛れている奴が、少なくとも――」
突然、ゼジルの言葉が詰まった。もがくように掻きむしった胸元には、向こう側から剣が伸びている。
『口を慎みなさい、「赤銅」』
「『白金』……!」
蜃気楼のように現れた眩い白の鎧を纏う騎士に、セレシアとウェインは剣を構える。
しかし『白金』と呼ばれた騎士は、こちらを一瞥だけすると、眼中にないとでもいうようにゼジルへと視線を戻した。
「これまで何をしていやがった! テメエがオルフェウスの人間だってことは解ってるんだよ! 何故手を貸さない!?」
『貴方がアーカーシャの意思に外れたからですよ。滅びからの再起は美しいものですが、そこに貴方が主として君臨しようなどとは、烏滸がましい』
「馬鹿馬鹿しい。大いなる力で導いてやってこそだろう」
『……さようなら』
剣が振り上げられ、ゼジルは事切れた。血飛沫の中で天に掲げられた刃は、血肉に触れていたことなどなかったかのように、月と同じ色に輝いている。
「ウェイン様!」
「ああ、逃がしてなるものか!」
直ちに光を纏ったセレシアたちは、白金の騎士目掛けて飛びかかった。
しかし、完全に捉えたはずだった鎧の中は伽藍洞のままで、まるで積木を重ねた彫像のように呆気なく吹き飛んでいく。
『おっと、危ない危ない。その天恵に触れてしまってはひとたまりもありませんからね』
離れたところに現出した白金の騎士が、くつくつと不気味に、しかしどこか気品のあるような声で笑った。相変わらず、『騎士』の声色は男女の区別が付かない重奏音だ。
「『白金』と言ったな。お前たちは何を目論んでいる!」
『目論見などとは滅相もない。我々はただ、人類の救済をしたいだけですよ、獅子王殿下」
「人類の救済だと……?」
『ええ。もっとも、私の口から語ったところで信じられないことでしょう。近々、
胸に手を当てて慇懃に一礼を残すと、白金の騎士は、地に転がる残骸とともに姿を消した。
潮が引くように魔の霧が薄れてゆき、立ち尽くしているセレシアたちを青空の下に取り残す。
「殿下! よくぞご無事で!」
駆け付けたスケイルたちが、霧散し行くゼジルの亡骸を見やって、やるせなさに小さく唸った。
「本当に、『騎士』の正体は人だったのですね」
「いけ好かない奴でしたけど、なんだか手放しでは喜べませんね」
消え入りそうな声でアヴォイドが呟く。ちょうどその時、城の方から、勝利を告げる鬨の声が風に乗って届いてきた。
「魔の霧との戦いは、俺たちが思っていた以上に根が深いのかもしれない。だが、まずは目下の勝利を喜ぶとしよう」
握りしめた拳を振りほどくように外套を翻し、ウェインは踵を返した
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