46.以心の霆

 前方に揺らぐ、紫の中にあってなお異質な濃紫を目にしたセレシアは、太ももでゲイルに合図を送り、加速した。

 迎え撃つように姿を変える赤銅に纏わりつく魔の霧は、さながら鉄を侵食する赤錆。色を深めるほどに、放たれる邪気が増していく。


 一方のセレシアは、息苦しさを感じていた。天恵を所持したからといって、クレイドルエリアの魔の霧が平気となるわけでもないらしい。ここに来るまで受けていたフィーネの歌護かごが及ばなくなっていることもあって、体感的には、高熱に浮かされた翌朝のようだ。



「平気か、セレシア」

「もちろんです。一番槍、行きます!」



 魔の霧すれすれのところでゲイルを旋回させ、その遠心力で鞍から飛び上がったセレシアは、赤銅の騎士目掛けて切りかかった。

 すぐに追いついてきた雷との、目にも止まらぬ二連撃。

 それを一薙ぎで防いで飛び退った赤銅の騎士は、身をくねらせて笑った。



「ハハッ、雰囲気が変わったなァ! 黒い衣装も似合うじゃねえか、奥様?」

「口を噤め。貴様ごときが俺の妻を評価するなど許さぬ」

「おおっと怖い怖い。だったら侍らせて戦場に出てくるんじゃねえってな!」

「その程度の言葉では、挑発にはなりませんよ」



 突きつけた剣の切っ先に、赤銅の騎士の動きがぴたりと止まる。



「私は望んでここにいます。女である前に、戦士なのです。ああ、それとも……一度ならず二度までも敗走させられた私が怖いですか?」

「……チッ、姉妹揃って言葉の端が癪に障る。こいつもハズレだったか」



 不意に、赤銅の騎士の周りで霧が渦を巻いた。流れは緩やかながらも急速に範囲を拡げていくそれは、生温い風となってセレシアたちを撫でていく。

 さらに一段階気怠さの増した体にぐらつくのを堪えながら、セレシアは前を向いた。大丈夫。視界の端にウェインの肩を捉えている限り、勇気は無限に湧いてくる。



「辛そうだな? だが、こうなると解っていたろう? 本当に莫迦だよなあ。お前たちは俺と戦争をすれば良かったんだ」

「馬鹿はお前の方だ、ゼジル。そんなことをすれば、兵や民にどれほどの被害が及ぶか、仮にもオルフェウスの臣だった者として、想像できないわけじゃあるまい」

「さて、想像できてないのはどっちだろうな?」

「……何?」



 ウェインの声が怪訝に低くなる。それに意を得たりといわんばかりに、赤銅の騎士の金切声が増長していく。



「民は守るものか? 弱いから? 兵は守るものか? 弱いから? 見下される側の気持ちにもなってみろよ。せっかく俺が天恵を得るヒントをくれてやったってのに、結局お前たちは上から目線で出しゃばるんだな!」

「見解の相違だな。俺は上に立つ者として当然の責務だと考えている」

「ああ、そうだよな。民の中から自分を凌ぐ天恵持ちが現れたら困るもんな?」



 赤銅の騎士はくつくつと唸るように笑って、剣を左籠手の隙間に突き入れた。

 刃を伝って零れ落ちる人ならざる色の血だまりは、即座に空気中へ二又に舞い上がり、魔の霧となって膨らんでいく。



「暗愚の獅子王。思い上がりの代償、あの世で悔いな」



 魔の霧から生まれ出でたのは、巨大魔獣だった。巨狼のような陸上型と大鷲のような飛行型の二体は、雄叫びを上げて飛びかかって来る。クレイドルエリアの中にいるためか、その速さは、駆けてくる最中に見てきたどの魔獣よりも頭一つ抜けている。



「ウェイン様!」

「ああ、迎え撃つぞ!」

「――その必要はありませんよ」



 優し気な声とともに、一陣の風が吹き込んできた。セレシアたちを追い越していった風は、その肩を境に鎌鼬を化し、飛行型魔獣の翼を絡め捕り、羽を削って行く。

 陸上型魔獣の開いた大顎も、牙が迫ることはなかった。突如として口内に現れた何本もの剣を噛んでしまった魔獣は倒れ込み、縫うように貫かれた両顎を開くこともできずにのたうち回っている。



「私たちを置いていくなんてずるいですよ、お二人とも」

「いやあ、長さが足りて良かったですね~」

「スケイルさん、アヴォイドさん!」



 声に振り返ったセレシアは、ほっと胸を撫で下ろした。仲間という軸が増えたことで、体にかかる重さも楽になるようだ。

 ついに片翼を圧し折られて落下した飛行型魔獣に、赤銅の騎士は未だ血の噴き出ている拳を握りしめて唸る。



「貴様ら……まさか部隊を放置してきたのか!?」

「少し抜けただけですよ。私たちが多少離れた程度で崩壊するような調練はしておりませんので」

「むしろ、シナプシア卿がいるのに僕たちが下手なことする方が愚策ですよね。船頭多くして船なんとやら、って言いますし」

「そういうわけです、殿下。魔獣は私たちに任せて、お二人はゼジルを」



 頷いて、セレシアたちは地を蹴った。

 心を研ぎ澄ませて、光を纏う。じんじんと血管を駆け巡る力の流れを手放さないように、剣を強く握る。


 先に稲光が迸り、次いで雷鳴が轟く――雷よりも速く走るといえば至難の業だけれど、それをするのは最後の踏み込みだけでいい。

 その一瞬を掴む間合いに入るまで、セレシアとウェインは比翼の鳥のように寸分違わぬ歩幅で駆け、同時に光となって飛翔した。

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