44.敵の居場所

 昼食時が近くなった頃、セレシアとウェインは軽食を用意し、南門から城壁を上った。

 高いところの風は土煙の匂いが薄れていて、遮るものもなく吹き込んできている。セレシアは風上に立ってくれたウェインの影に隠れるようにしながら、靡く髪を押さえながら進む。

 やがて、忙しなく行き交う兵士たちの向こうに、鋸壁の隙間から町を眺めている指揮官二人の姿が見えた。



「お疲れ様です、スケイルさん、アヴォイドさん」



 セレシアが声をかけると、振り返った二人は一度姿勢を正して敬礼をし、ウェインの頷きに身構えを解く。



「お前もここにいたんだな、スケイル」

「ええ。五番隊の仕事は明日と解っているのですが、どうにも風が苦くて……」

「わかります。どこもピリピリしていて、息が詰まるんですよね」

「特にスケイルは天恵アーツの性質上、殊更過敏になるのだろうな」



 ウェインの気遣う笑みに、スケイルは恐縮そうに睫毛を伏せる。

 彼の天恵は、風を操作するものだ。風の刃を生み出して戦うこともできれば、横薙ぎの強風で壁を作り、防御に回ることもできる。さらには追い風で進軍速度を上げたり、夏場は涼風を起こしたりと、支援まで可能であるという強みがある。



「私の風で、町に漂う淀んだ空気を流してあげられたら、どれほど良かったでしょう」

「仕方ないさ。天恵とて万能ではない。俺たちはできることを重ねて行こう」

「そうですよ。それに、人の心にまで風を吹かせることまでされたら、僕はどうなるんですか。物増やせるだけですよ!?」

「物を増やせるって十分凄いのでは……?」



 私なんか光を放つだけですよと、セレシアは喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。



『私の中に流れる治癒の力を、ほんのわずかでも外に放出することができたなら、お姉様に応急処置をしてあげられたのに!』



 天を呪うその言葉は、昨夜の時点でマリアに封印された。



『傷なんて、他の方法でもどうにかなるわ。私に余計な力を割いて、あの男を仕留められなかったなんて事態になったら、どう申し開きをするつもり? 貴女は今、ウェイン殿下の剣なのでしょう?』



 胸のしこりが残っていないといえば嘘になる。けれど、今は前を向くと約束したのだ。右手の小指にはウェインとの、左手の小指にはマリアとの約束が繋がっている。



「そういえば、殿下たちはどうしてここへ? 何か動きがあったんです?」



 首を傾げるアヴォイドの声で我に返ったセレシアは、抱えていたバスケットを掲げて見せた。



「アヴォイドさんに軽食をと思って、サンドイッチを作ってきたんです」

「本当ですか! ありがとうございます~。あーあ、僕の天恵でサンドイッチも増やして上げられたら、どれほど良かったでしょ~う」



 受け取ったバスケットを隠すようにしながら、わざとらしい流し目を向けてくるアヴォイドに、スケイルは額を押さえて笑いを堪えて手を払う。



「ふふっ……どうぞ、私のことは気にせずに召し上がってください」

「いえ、大丈夫ですよ。他の兵士の方にも振る舞えるよう、多めに作ってきましたから」

「ちぇ。独り占めはできませんでしたか」



 いそいそと蓋を開けたアヴォイドは、中からひときれのサラダサンドをつまみ上げると、バスケットごとスケイルに回した。



「おおっ、美味しい! さすが、バターとマスタードの塗りが丁寧ですね」

「そうか、ありがとう」

「…………どうして殿下が仰るのですか?」

「サラダサンドに具を挟んだのは俺だからな」

「じゃあさっきの取り消しで!」



 アヴォイドは一気に残りを押し込むと、スケイルの持つバスケットを覗き込みながら「奥様が担当されたのはどれですか?」と訊ねてきたので、セレシアは蒸し鶏のサンドと答えておいた。もちろん、それもウェインの担当なのは内緒である。

 セレシアたちも一つもらい、鋸壁にもたれるようにして頬張りながら町を眺めた。



「一見すると、穏やかな町並みなんですけどね。ゼジルはどこに隠れているのでしょうか」

「ひとまず、奴の家は兄上の兵が内外を押さえている。罪なきご家族には申し訳ないが……」

「殿下が気に病むことはありません。致し方ないことです」

「そうですよ。僕らが一刻も早く、ゼジルを見つけ出すしかありません」



 バスケットを兵士に預けて戻ってきたスケイルたちも、ウェインの隣に立った。肩を並べて町を眺めるといえば穏やかにも見えるけれど、瞳は鋭く、路地裏の鼠さえ逃さないという気迫がある。



「『騎士』は城内に現れることができるというのが、厄介ですね……」



 民家の屋根を飛び立った小鳥を視界の端で見送りながら、セレシアは目を細めた。



――次は打ち倒します。私とウェイン様で、必ず!

――ハッ、ならそのウェイン様に伝えときな。俺の標的は『オルフェウス』だってな!



「(まるで、私とウェイン様で立ち向かっても意味がないと嘲笑うような――)」



 そこでセレシアは、ハッと顔を上げた。しかしまだ、違和感を言語化しきれない。胸の中のざわざわとした感覚を掻き分けて、思考を巡らせる。



――このまま魔の霧へ後手に回り続け、民に苦難を強いることが、オルフェウス家の総意なのですか?



 ゼジルが魔の霧を使役する『騎士』だと判明した今、その言葉の意味は大きく変わって来る。



「まさか、私たちの敵は『ゼジル』じゃない……?」

「どういうことだ?」

「ウェイン様、これは時間稼ぎです。私たちは『赤銅の騎士』に気を取られて、内側を向かされているんです!」



 辿り着いた先にあった仮説けつろんに頬が引き攣るのを堪えて、セレシアは振り返った。

 ここは南門。城壁の向こうには、クレイドルエリアがある。

 空の色に溶けるくらいにうっすらと見える魔の霧。おぼろげな蜃気楼に目を凝らしたセレシアは、そこに奇妙な黒点が蠢くのを見た。



「ゼジルは今、巨大魔獣を生み出しています……!」



 差した人差し指は、悪い予感が的中してしまった恐怖にぶるぶると震えていた。

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