43.俺と君だけの解釈

 厳戒態勢の敷かれている城下町を抜けて帰ってきたセレシアは、屋敷の書庫へと向かった。

 小さな脚立を片手に本棚を端からなぞり、分厚い本の中の背表紙から『辞書』『辞典』の文字を探し当てる。いくつもある種類の中から、目的に適いそうなものへと狙いを定めた。



「よい、しょ……!」



 脚立に乗って背伸びをするけれど、背表紙の厚紙を引っ掻くだけに終わってしまった。ぴっしりと整頓がされているから、縁に指を引っかけて抜き出すこともできない。



「ええい、こうなったら――!」



 下の段につま先をひっかけて伸び上がったセレシアは、不意に腰へ回された腕に捕らえられた。

 戸惑う手のひらを、大きな手のひらが追い越していく。



「……故事成語の辞典?」



 抱きかかえたセレシアを脚立の上に下ろしながら、ウェインが本の表紙をきょとんとした顔で見つめている。

 それにセレシアは、品のないところを見られてしまった恥ずかしさと、未だに腰へ回されている腕への緊張と、こっそり探すつもりだった本がバレてしまったことへのバツの悪さとで百面相をしながら、俯いて指先をいじり合わせた。



「その、比翼連理について調べようと思いまして……」

「ああ、アッシュに言われたことか」

「はい――あっ、もちろん、言葉の意味自体は知っているんですよ!? とても仲の睦まじい伴侶のことを指すんですよね!」



 強く念押しするように両手を押し出すセレシアに、ウェインは笑いを堪えたような微笑みを浮かべながら、先を促してくる。



「ただその、成り立ちを詳しく知りたかったんです」

「成り立ちを?」

「はい。だって、『比翼の鳥』って、翼をくらべると書くではありませんか。こう、翼を拡げて、大きさを比べているような感じで、仲がいいというよりは、競い合っている好敵手のように思えるんです」

「ふむ……」

「『連理の枝』も同じで。伸びた枝が一つに連なるというのは、仲の良さというよりも、出逢えたことの運命を表しているようで……その解釈は合っているのかなと」

「なるほどな」



 くすりと笑って、ウェインは本を棚に戻した。



「帰り道、君がずっと思案顔をしていると思ったが、そういうことだったんだな」



 訊いてくれればよかったのにと囁くように言って、彼はセレシアの隣に立った。

 脚立の上でも、ウェインの方が少し肩が高い。それでも、服越しではない、首筋から発される彼の爽やかな香りが、ぐっと近くに来たように感じる。

 ぴたりと、肩が触れ合った。



「比翼とは、肩をならべて飛ぶ鳥をいうんだ。伝説に記される彼の鳥は、隻眼片翼だという。番でなければ飛べないんだよ」

「それは大変ですね。少しでも力が抜ければ、落ちてしまいそう……」

「ああ。だからこうして、しっかりと身を寄せ合うんだ」



 こちらを見つめるウェインの目が、セレシアも力をかけるように促してくる。

 おずおずと寄りかかる。しかしそれでは、ぐらぐらとしてしまった。わずかでもズレれば、このまま脚立から落ちてしまいそうな気がしてならない。あまり体重をかけるのも気恥ずかしかった。



「これ、難しいですね」

「大丈夫だ。安心して、真っ直ぐ俺に預けてくれ」

「……はい」



 思い切って、かける体重を増やしていく。するとある一点で、足下がわずかに浮き上がる感覚があった。押し合う力がせり上がり、上に向かったからだ。

 それは一瞬のことで、人間の足はすぐに重力に降りてしまったけれど、セレシアは嬉しくなって、たまらずウェインに飛びついた。



「今、飛びました!」

「ああ、俺も感じた」

「身を寄せ合わないと飛べない鳥というのは、身を寄せ合えば飛べる鳥、ということだったのですね」



 頷いてくれるウェインの腕の中で、セレシアは頬を擦り寄せた。

 全幅の信頼がなければ落ちてしまう。けれど、互いを信じる心さえあれば、高みへと飛翔することができる。二人が羽ばたき続ける限り、果てしなく。



「連理の枝の方は、逸話に少々悲しい経緯があるが……死後、夫婦別々に埋められた墓から伸びた木が、絡み合い、大きなひとつの木のようになったことから、それほどに仲睦まじかったのだという象徴とされている」

「枝ではなく、根からだったのですね。まったく解釈が違いました」



 もっと勉強しておけば良かったと、照れ隠しに頬を掻いたセレシアだったが、耳にくっついているウェインの胸板からは「そうでもないさ」と優しい声が響いてきた。



「俺はセレシアの解釈も好きだよ」

「でも、違うのでしょう?」



 フォローに気後れをして体を離すセレシアを引き留めるように、伸びてきた手が頭を撫で、髪を梳いてくれる。



「俺たちはずっとこのままなわけじゃない。今後の人生の中で、様々なものを見聞きし、成長するんだ。そういう意味では、経験を共有しくらべあい、互いに切磋琢磨していくのも一つの形だろう」

「連理の枝の方は……」

「出逢いの運命が、来世にも枝を伸ばしていたとしたら?」

「来世……」

「ああ。今生だけじゃない。死後まででもない。その次の未来でも、さらにその次でも俺はまた、君と出逢いたいと思っている」



 髪を滑ってきた手が肩に触れる。二人の距離がまたくっついたのは、セレシアが踏み出したのと、ウェインが引き寄せたのと、同時だった。



「たとえ故事から外れていても、目指す像が同じならば十分だろう。むしろ、故事とは違う、俺と君だけの解釈をしていこう」

「ウェイン様……はい。私も同じ気持ちです」



 セレシアがそっと伸ばした手のひらに、ウェインの手のひらが重なり、それは比翼の鳥のように並んでから、小指を絡めた連理の枝となった。



「天に在らば、願わくは比翼の鳥」

「地に在らば、願わくは連理の枝」

「「戦場に在らば、願わくは以心の霆とならん」」



 歌うように誓い合う。そこでセレシアは、口づけを求めようと首を伸ばしかけて、やめた。


 表情を引き締める。羽を休めてひとつに溶け合う夢を見るのは、今じゃない。今羽ばたかせるべき翼は剣であり、目指す場所はゼジルの首なのだから。

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