41.少年医師アッシュ

 セレシアは本屋で見繕ってきた、新刊ほやほやの書物たちをうず高く抱えながら、器用にドアノブを回して病室に入った。



「マリアお姉様、追加の小説を持ってきましたー!」

「……またなの? もう十分積んであるじゃないの」



 日当たりの良さと苦笑とで目を細めたマリアが体を起こす。彼女が指し示したベッド脇の小テーブルには既に、セレシアが部屋から持参した冒険小説が所狭しと積まれている。



「どうせなら史書や郷土を持ってきなさいよ。名産名所を扱う大衆向けのでもいいから」

「えー、つまらないじゃないですか」

「立場を考えなさいな。貴女も王太子の妻となったのだから、旦那様の郷土についてくらい知っておかないと」

「そうではなくて、実際に出かけたくなってうずうずしません? でも入院中だとつまらないでしょう」

「冒険小説も似たようなものじゃないの」



 真顔で訴えるセレシアに、マリアは呆れながらもテーブルの上の書物を寄せて、スペースを作ってくれる。



「――元気そうで何よりだな」



 入り口の方からかかった若い声に振り返れば、髪が羊のようにふわふわの、白衣を着た少年が立っていた。隣にはウェインと、壮年の――以前ウェインの似顔絵として見た顔により近いような風貌の――髭男・アッシュベルト公も一緒だ。

 先刻の声は少年のもの。彼は外見にそぐわず医術の覚えがあるそうで、この度のマリアの主治医を務めてくれている。



「おかげさまで。包帯が窮屈なくらいよ」

「美貌を取り戻したいなら撒いておけ。東方由来の生薬を十分な用量で使っているから、あとは用法さえ守れば傷も残らないだろう」

「そんな高価なものを使ってくださったの?」



 己の傷の具合を軽く見積もっていたマリアに、少年医師は眉間を揉んで唸る。



立場を考えてくれ。オルフェウスにとって、貴兄は今、国王に次ぐ最重要人物と言ってもいいのだから」

「あら、一本取られちゃった。噂通り、シナプシア卿はとても頭が回るのね」

「これでも、この場で一番年長だからな」



 少年医師はマリアの手首に指を当てて脈を測り、目の前で指を振ったり、首回りを触ってみたりと、触診をしていく。

 それを傍からぼうっと見ていたセレシアが、ようやく先ほどの衝撃発現を咀嚼して「ええっ!?」と叫んだのは、少年医師が聴診器に耳を澄ませ始めた時だった。



「おいウェイン。お前の妻だろう、病室では静かにさせておけ」



 こちらを一瞥たりともせずに告げる少年(最年長)に、ウェインは茶化す様に微笑む。



「君が身を隠して久しいからな。たまにはこういうのもいいだろう、アッシュ?」

「アッシュ……? アッシュベルト様とお名前が似ているのですね?」



 首を傾げるセレシアに、少年(最年長)はウェインに向かって気怠そうに手を払った。

 それを受けて、ウェインはセレシアの隣に立って、まず髭男を指で示す。



「表向きは彼がアッシュベルト公とされているが、本名はグレイベルト・シナプシア。アッシュベルト公の弟君なんだ」

「端的に申し上げれば、影武者にございます」



 紹介を受けて、アッシュベルト公――もといグレイベルトが会釈をしてくれる。それにセレシアも、ぺこりと会釈を返した。



「では、ほんとうのアッシュベルト公は……?」

「それが、彼だよ」



 そう言ってウェインが指したのが、少年医師だった。

 少年医師改めアッシュベルト公は、マリアの診察を済ませてのそりと立ち上がる。



「どういうわけか、オレは天恵アーツを自覚した前後の歳で成長が止まっているんだ。威厳もへったくれもないからな。それに、グレイはただの影武者じゃあない。シナプシア家当主としての裁量権もあるから、今後も人前ではこっちをアッシュベルトとして扱ってくれ」



 グレイベルトを指差しながら椅子をずりずりと引っ張り、アッシュベルトはセレシアの前までやってくると、座るよう促してきた。



「さあ、次は貴兄の番だ。現時点で自覚している症状はあるか?」

「いえ、私は疲労感だけで……傷も天恵で治っていますし」

「その天恵が発現したから看るんだよ。黙って座れ」



 声色は十歳と少しのところの幼さがあるのに、芯のところにある威圧感は確かな年月を重ねた厳しさがある。

 叱られてしまったセレシアはしゅんと首を竦め、大人しく従った。

 アッシュベルトは頭の上から順に指で圧をかけていき、痛むところはないかと尋ねてくる。腹部までのすべてにセレシアが否定をすると、アッシュベルトはほうっと息を吐いた。



「ひとまず異常はなさそうだな」

「天恵によって、体に不調が出るのですか?」

「出ない奴は一切出ないが、出る奴は顕著に出る。さっきも言った通り、オレはこんなナリだ。まあ、生活に不便はないし、代わりに一度見聞きしたものは絶対に忘れない脳を手に入れたんだ、天を恨んじゃあいないが」

「天……」

「ウェインもはじめは、肉体が雷化に耐えきれず不調をきたしていたな」

「そうなんですか!?」



 驚いて見上げると、ウェインは少し苦い顔で頷いた。



「だが俺は恵まれた方だ。世の中には、炎を扱う天恵を持ったものが、制御できなくなって自身を焼いたという例もあるからな」

「まったく難儀なものだよ。天の恵みとはよく言ったものだが、天は加減というものを知らん。一体どういう思惑きまぐれなのか、わかったものじゃないな」



 こればかりは俺の頭でもどうにもならんと、アッシュは頭を掻きむしる。



「そのう、それについて、ゼジルが言っていたことがあるのですが……」



 セレシアはおずおずと手を挙げて、昨夜の詳細を話し始めた。

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