40.意地っ張りな背中
振り抜いた剣は、
たまらず飛び退こうとする赤銅の騎士。それを逃がすまいと、セレシアは限界まで足を開いて踏み切り、側転の要領で距離を詰めた。
「せえええい!!」
「ちぃっ!」
受けようと掲げられた赤錆の刃を上から押し込み、その身幅を削る勢いで滑らせたセレシアの剣は、ついに赤銅の騎士の兜を捉えた。
金属のかち合う鋭い音が響き、鉄片が弾け飛ぶ。
押し勝ったのはセレシアだった。
「ぐぅ……何をした、貴様ぁ……!」
赤銅の騎士は顔を押さえてたたらを踏む。抉られたベンテールの奥からは魔の霧と同じ色の煙が血飛沫のように漏れ出ており、苦痛に歪むゼジルの顔が覗いている。
「(鎧の中身が、空じゃなくなった?)」
わずかな勝機に、セレシアは剣の切っ先を合わせた。兜の傷の幅は、ほぼセレシアの剣の身幅と同程度。
もしかしたら、別の場所も弾き飛ばせるかもしれない。けれどそんな悠長にしている余裕はないかもしれない。
ならば、寸分違わず突くしかない。
「お覚悟!」
セレシアは半身に構えて、たんっ、と足を滑らせるように踏み出した。
イメージするのは、ウェイン殿下との月下のダンス。重心は流れる水のように柔らかく、手は星を掴むようにしなやかに。
剣を振ったり、突こうとするのではなく、ただあるべき場所へと置きに行く。
「はあっ!」
セレシアの剣先が、露わになったゼジルの瞳へと到達する――刹那、ゼジルはかっと目を見開いた。
「させるかァ!!」
ゼジルが赤銅の鎧を解いたことで、大男が重鎧を纏っていた輪郭が、にわかに痩躯の男のそれへと縮んでいく。
あと一歩のところで、セレシアの剣はゼジルの髪を掠め切るのみに留まった。
「ハハッ、ヒャハハハハハ! 仕留めきれなかったな、黒騎士ィ!!」
舌を出して涎を振りまく狂気の笑顔が、魔の霧に変わっていく。
「ならば霧ごと切り捨てるまで!」
「おっと! 別に動けないわけじゃねえんだぜ!?」
身軽になったゼジルはひらりとセレシアの追撃を躱し、飛び退る。
「次は磨り潰してやる。首を洗って待ってるこったな」
「次は打ち倒します。私とウェイン様で、必ず!」
「ハッ、ならそのウェイン様に伝えときな。俺の標的は『オルフェウス』だってな!」
嘲笑う声は反響するように小さくなり、やがて空気の中に溶けて消えた。
全神経を集中させたセレシアは、ひりつく気配が周囲に潜んでいないことを確認すると、振り返った。
「マリアお姉様、ご無事ですか!」
テーブルに力なくしなだれている肩に手をかける。マリアは気丈に笑って、体を上げようとしたが、力が入り切らずに態勢を崩した。
セレシアは片腕でそれを受け止め、一度剣を置いてから、両腕で迎えて床へと導く。
「悪いけれど、背中を貸してくれるかしら」
「背中、ですか?」
「ええ。横になると眠ってしまいそうだから……ああ、壁は嫌よ?」
「それよりも、どこか治療のできるところに運ばなくては!」
「そんなの、じきに到着する
手のひらでぽむぽむと床を示される。
セレシアは気もそぞろだったが、限界なのは事実だった。
「大丈夫です、まだ動けますから」
「いいから座りなさい。でないと、お父様とお母様に、貴女が黒騎士だったってことをバラすわよ?」
また床を叩かれた。当人がそう言うのならと、セレシアはおっかなびっくりと腰を下ろした。
マリアの方へ向けた背中に、ずりずりと生の鼓動がよじ登って来る。
「……立派になったわね、セレシア。貴女が来てくれなかったら、どうなっていたことか」
「いえ、あの時剣を渡していただいていなければ、犬死にしていたかもしれません」
「言ったでしょう、その運命を引き寄せたのは貴女の力。貴女がずっと屋根の上で剣の稽古をしていたからこそ、私とお父様は剣を贈ろうと思ったのだもの」
「き、気付いておられたのですかっ!?」
「安心しなさい、二人だけだから。というより、気付いていたのは実質私だけだもの」
セレシアはほっと胸を撫で下ろした。成長に応じて体が大きくなるたびに、足踏みだけして城内へ戻り、気取られていないかの確認をするという細心の注意は払っていたつもりだったから、心臓が飛び出すかと思った。
大きく息を吐けば、緩んだところへ疲労感が雪崩れ込んでくる。
思わず欠伸が出そうになるのを堪えていると、不意に視界の端で、外が明るくなるのが見えた。それに目を凝らそうとした時には、屋敷の中へと雷が駆け込んできた。
「セレシア、マリア殿、無事か!?」
「ウェイン様! お待ちしておりました!」
「さすが、一番乗りは殿下だったわね。それにしても、主賓の私を後に呼んだ無礼を叱り飛ばすべきか、セレシアを先に呼んだことを褒めるべきか、悩むわねえ」
「もう……空元気の軽口だってことはお見通しですよ」
そうやって飄々として見せて、こちらを先に連れて行かせようとする魂胆だろう。
セレシアは立ち上がり、意地っ張りな背中を抱き起すと、ウェインに託すのだった。
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