38.天恵と魔の霧

 はじめに倒れ伏している姉の姿が見えた。そしてすぐに、彼女を取り囲んで牙を剥く魔獣の背中が目に入った。

 そこへ最優先で焦点を合わせたため、セレシアが首謀者が誰かということを知ったのは、魔獣を切り払ってから、姉を背に立ちはだかった時だった。



「ゼジル……殿……っ!」

「おや、この期に及んで敬称を付けてくださるとは……ハハ、いいね。あんたはそこな王女サマより好待遇で雇ってやるよ」



 犬歯を覗かせてニタニタと穢らわしい笑みを浮かべるゼジルに、セレシアは背を向けた。

 マリアの前に屈みこむ。フィーネの『加護のろい』が反応している以上、既に無事ではないとは思っていたが、おびただしい出血の跡は、存命への安堵を許してはくれなかった。



「お姉様、傷の具合は?」

「平気よ、ありがとう。手足をちょっぴり弄ばれたくらいだから、死にはしないわ」



 表情こそ気丈に微笑んで見せているけれど、その額には大粒の脂汗が浮き、目尻には流しかけた涙の跡がこびりついている。

 これほど青ざめているマリアの顔など見たことがなかったセレシアは、わなわなと、剣の柄を握る拳を震わせた。



「すぐに、ここを連れ出しますから」



 立ち上がる。

 部屋の中ではマリアの付き人たちが、悲痛な形相のままで固まっている。



「……これは、ゼジル殿がなさった所業ですか」

「ああそうさ。ただ、過去形は感心しないな。オルフェウスの連中の前でサンノエル王女殿下を殺して見せるところまでが計画なんだから」

「…………ならば、お姉様だけを狙えば良かったでしょう」

「面白いことを言うね! 姉はどうなっても良かったと? ああそうか、売られた『お飾り王女』からすれば、その女は痛し痒し憎しの存在だもんなァ!?」

「――何故殺したと訊いているのです!!」



 セレシアの怒号に、ゼジルがひくりと頬を引き攣らせる。



「ここまで一方的な虐殺が可能ならば、お姉様だけを引きずり出せば良かったでしょう。今、主だった臣たちが城に集められていることは貴方も知っているはず。そこへ乗り込み、計画を遂げれば良かったでしょう」

「どうせ全員根切りにするんだ。順番が前後しただけのことじゃないか。安心しろよ、君も殺してあげるし、すぐにウェインにも後を追わせてやるからさ」

「ゼェジィィィィィィル!!」



 沸騰する血液を叩きつけるように、セレシアは咆哮した。


 その瞬間、夜の闇が浸食を始めていた部屋の中が、真昼のように煌々と照らされた。

 ハッと顔を上げたセレシアは、周囲に視線を走らせ、やがてその光源が自分自身であることに気が付いた。



「セレシア、貴女……!」

「まさか、天恵アーツ……?」



 身を包む、淡い灯火のヴェール。その熱は体の外側だけでなく、内側にも循環しているのが判る。血液とともに体内に勇気を運び、やがて心の臓まで戻って来ると、こっそり脳にやってきて、ふつふつと湧く力のことについて耳打ちしてくれる。


――天恵なしで『赤銅の騎士』と渡り合ったんですか!? ほぼ無傷で!?


 ああ、そうか。ずっと私は見守ってもらっていたんだ。



「素晴らしい! こいつは傑作だ!」



 乱暴に手を打ち鳴らしたゼジルが、天に叫ぶように哄笑している。



「そうか、あの時の魔の霧も必然だったのか! 連れねえなあ。それならそうと教えてくれよアーカーシャ!!」

「あの時……? 何の話ですか」

「あン? ああ、お前たちは知らないんだよな。仕方ないから教えてやるよ――」



 ひとしきり笑ってから、ゼジルは余韻に喉をんん、と鳴らして唇を舐めた。



「お前がオルフェウスに到着した日、護衛の兵が死んだのは、あんたのせいだったってことさ!!」

「………………えっ?」

「セレシア、まともに耳を傾けちゃダメ! 因果を入れ替えて、わざと貴女を攻撃するような言葉に挿げ替えているだけよ!」



 宥めてくれようとするマリアの一喝に、ゼジルの舌打ちが横槍を入れた。



「誇張はしているが、嘘はねえよ。そもそも、天恵アーツがどんな人間に宿るか知ってるか?」

「それは……天から選ばれた人に……」

「だぁかぁらぁ、その選定条件を訊いてるんだよこっちは」

「それは……」



 セレシアは口ごもった。少なくとも血筋ではないはずだ。サンノエルに二人いる天恵保持者のうち一人は平民の出だから、家柄や環境でもないはずである。



「天恵は、他者を殺したくてたまらないクソみたいな人間に与えられるんだよ!!」

「そんなはず――」

「現に今、俺を殺したくて覚醒したのは誰だ!?」

「――っ」



 何も言い返すことが出来ずに、セレシアは顔を伏せた。マリアが檄を飛ばしてくれている声が、何かを隔てたように、遠く彼方に聞こえてしまう。

 その癖、ゼジルの一挙手一投足からは目が離せなかった。ほくそ笑む吐息の音さえ鋭敏に耳を撫でまわしてくるようだ。



「かつて人間は、人間同士で殺し合っていた。だが歴史をいくら繰り返しても、決着が付くことはない。だから神サマって奴は、戦を加速させるために天恵アーツを与えたんだよ」



 そして――。そこで息継ぎをするように、ゼジルは歯を剥いた。



「それを危惧したこの大地ほしが、人間の暴走を止めるために流した涙が、人間どもが『魔の霧』と呼ぶモノの正体だ。現に、魔の霧が現れてからの歴史に、人間同士の戦なんて片手で数える程しかないだろう? 果たしてどっちが悪なんだろうな?」

「そんな……」



 セレシアは二の句が継げずに立ち惑う。

 自分の内側に天恵アーツがあったせいで、あの日に命が失われたの?

 もしかして、昼間の巨大魔獣を呼び寄せたのも――


 ドレスの上からぎゅっと胸を掴んだセレシアを指差し嘲笑うように、ゼジルは剣を翳した。



「金銀財宝に非ざる物よ。歴史の黎明には並べぬ物よ。人知れず流した怨嗟で錆びた赤銅を、今、愚かな世界に知らしめよ――」



 そして翳した剣を逆手に持って掲げ、自分の手のひらへと突き立てた。

 流した赤黒い涙が地に落ち、大地の声と共鳴して、魔の霧を立ち込めさせる。



「『調律』!!」



 ゼジルの号令で、漂っていた魔の霧が奴の身体に吸着する。ぼこぼこと黴が盛り上がるように形を変えたそれが剥がれると、そこにはかつて刃を交えた跡さえ見受けられない、真新しい『赤銅』が顕現していた。

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