37.大穴

 踏みにじって固定されたマリアの腕に、剣が付き立てられた。下卑た男がやるような自己満足の上下運動をしてから、血濡れの刃が引き抜かれる。

 残っていた侍女も、茶を用意してくれた侍女も、駆け付けた騎士も。全員が凶刃に倒れ、事切れたなきがらが散らばっている。



「お前、面白くないな。叫ぶどころか、声の一つも漏らしやしない」



 招かれざる客――ゼジル・ハーミットは、剣に付着したマリアの血液を長い舌で舐めとると、次に狙う箇所を吟味するように視線を動かし始めた。



「そんな生温いもので、女に声を上げさせられると思って? 深く刺してごらんなさいな」



 マリアは奥歯を強く噛んで絶痛に耐えながら、努めて口角を持ち上げてゼジルを睨め付けた。


 すでに両足のふくらはぎと、両手の前腕を貫かれている。こと右足じくあし右腕ききてに至っては、腿と上腕も穿たれた。

 切れ味の良い上等な剣なのだろう。断面は滑らかのため、出血の量自体は思っていたほどじゃあない。けれど、痛みを堪えて動こうにも、初めて感じた痛みに筋肉が痙攣しているせいで叶わない。


 鼻を鳴らしたゼジルが、剣の腹でマリアの頬を叩く。



「挑発しても無駄だぜ、王女殿下。そいつぁ最後のお楽しみなんだ」

「……この私がねだっても、そうしてくれないと?」

「だから乗らねえって。ああ、王女サマのおねだりは聞いてみたいけれどなあ……俺の目的はこの国を終わらせることなんだ。犯人不明で済まされるのは堪らないから、待ってやってんだよ」



 甲斐性のある男だろう、と自信過剰な勝者の余裕が滲む。


 見誤ったと、マリアは歯噛みした。先日王城で見たゼジルは、文官と紹介された通り、痩せぎすで肩幅も華奢な男だった。その印象は今も変わらない。武官と紹介されれば、新人と思うか、国力不足を疑う要素となるだろう。

 しかし奴は、駆け付けた護衛騎士を一合たりとも許さずに斬り伏せてのけた。少なくとも第一王女の守護を任じられる程の腕の持ち主を、だ。



「この国どころか、近隣一帯の諸国にすらいられなくなるわよ、貴方?」

「別に構いやしねえよ。この国をぶっ潰して、乗っとりゃいいだけだ」

「へえ凄い。貴方一人で、聞きしに勝るオルフェウス軍を相手取り、勝てるのね」



 腹を探ろうと放った言葉は、ゼジルの得意げな鼻を持ち上げるだけに留まった。

 これ以上は喋るつもりがないのか、あるいは、別角度から斬り込まなければならないか。



「(かくなる上は――)」



 じくじくと痛む手足にぐっと力を籠め、覚悟を決める。



「ねえ、ゼジル様はご存知かしら。奇遇なことに私も、祖国くにでは『傾国の王女』なんて呼ばれてるのよ」

「あア、知ってるよ。現にこうして、オルフェウスを傾けているんだしな」

「意地悪言わないでよ。それより、どうかしら? 新しく玉座に着かんとする貴方の隣に、妃が必要とは思いませんこと?」



 マリアが猫なで声でねだって見せると、ゼジルは愁眉を開いてそっと傍に膝を突き――



「黙れよ阿婆擦れ」



 マリアの首を掴むと、人間のものとは思えないような膂力で持ち上げ、壁に押し付けてきた。

 反対の手に構えた剣の切っ先が、マリアの眼球の寸前に翳される。



「俺はな、テメエみたいな女が大嫌いなんだよ。男と対等以上にいられると思ってる、分を弁えない女がな!」

「くっ……あ、は……っ」

「そう、そういう面だけしてりゃあいいんだよ。そうすりゃ、伽の奴隷くらいには召し抱えてやる」



 ゴミを放るようにマリアを投げ捨て、ゼジルはくるくると踊るように両腕を拡げた。



「ああ、さっさと来いよ、待ちくたびれたぞオルフェウスの雑魚共!! ハハッ、一番乗りをするのは誰だろうな? ウェインの若造か? それともアッシュベルトのオッサンかな? まさかの大穴で、クロークのもやし野郎が来るかな!?」



 咳き込みながら咆哮を聞いていたマリアは、その言葉に、ふっと頬を緩めた。



「やっぱり、貴方は愚かね」

「だから俺が聞きてえのはそういう声じゃねえんだよ。チッ、腕を食い千切ってやってもいいんだぜ?」

「食い千切る? ……妙な言い方をなさるのね」

「ああそうか、テメエらみたいな雑魚には理解の範疇外か。こうやるんだよ!」



 ゼジルは剣を手のひらにあてがい、すっと刃を引いた。

 掲げた手のひらからぽたぽたと滴り落ちる血液が、床に落ちて色を変える。間隔を空けて落とされた血だまりは、三つ。



「来い、我が眷属よ」



 まるで血液が蒸発をしたかのように、にわかに魔の霧が立ち込めた。そこから現れた小型魔獣の姿にマリアは息を呑む。



「ハハッ、ビビッて言葉も出ねえか? こういうことになるから、逆らうなって言ってんだよ」

「いえ、私が言葉を失ったのは……勝ち誇った気になっているからよ」



 だから男は嫌いなのだ。相手より剣が強いかどうか、相手より財を持っているかどうか、相手よりイチモツが大きいかどうか。そんなことでしか、己を測れない。



「何だと……?」



 だからそんな風に、通用しない相手が出た途端、高圧的に顔を歪んで見せるしかない。


 本当に、愚か。


 マリアは力の入らない腕を死ぬ気で持ち上げ、見せつけるように拳を掲げた。


 そこに指が一本立てられる。



「まず一つ。貴方がどうして魔獣を使役できているのかは解らないけれど、魔獣そんなものを出してしまっては、貴方は第三勢力扱い。国際問題にできないのではなくって?」

「…………チッ」

「そしてもう一つ――」



 舌打ちを合図に、もう一本の指を立てる。



「聞こえないかしら、この足音が。ああ、貴方は殿方たちのものを探しているから、索敵範囲の外だったかしら?」

「……何?」



 あの子はバレていないと思っているし、マリア自身、それに気が付いたのは偶然だった。

 昼食後に自室へ戻って、バルコニーで小鳥の声に耳を澄ますと聴こえてくる、屋根の上を駆け回る一生懸命な足音。


 それが今、最大級の熱量を宿して、駿馬よりも疾く近付いてくる!!



「大穴ってのはね、こういうのを言うのよ!」

「マリアお姉様ァァァーーー!!」



 指の向こう側、怒号とともに飛び込んできた凛々しい騎士が一太刀で魔獣を薙ぎ払う。その姿に熱狂する信徒のように、マリアはピースサインを強く、強く握り締めた。

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