36.招かれざる客
自分の半身ほどの長さがある細長いケースをわずかに開けては、中を覗き込み、また閉めるという無為な行為を繰り返して、マリアは上機嫌に鼻歌を歌っていた。
別に理由なんていくらでも付けられるから大っぴらにしても構わないのだけれど、秘密にしているという名目を付けるだけで、こんなにも楽しくなるのだから、そうするに越したことはない。
「(あの子、どんな顔をするのかしらね)」
またケースを開けて、閉じる。特段、中身が見たいわけじゃない。幼い頃から宝物庫で飽きるほど見てきたのだ。今さらである。
覗き見たいのは、その向こうに馳せた妹の顔。
驚くでしょうね。喜んでくれるかしら。余計なお節介じゃないといいのだけれど。
「(断られは……ふふ、しなさそうね)」
今日はとても面白いものを見た。
元々、その予感はあった。あの子がサンノエルを発つ前の晩までは現れていた『黒騎士』が、それからめっきり噂も聞かなくなっていたのだから。
そして今日の日中、あの子も誘おうと申し出る私を、何故だか聖女様とスケイル卿が慌てて宥めすかそうとするものだから、笑っちゃうくらいに確信へと変わった。
極めつきには――仮面の奥に揺れる蒼玉の如き瞳。あれには、オルフェウスを訪ねて良かったと天に感謝した。
「(鳥籠から出て、翼を得られたのね)」
正体が判っていても思わず見惚れてしまうくらい、凛々しかったわよ、貴女。
「どなたかをお待ちなのですか?」
少女のようにそわそわとしているマリアを見かねて、侍女が首を傾げる。
「ええ、ちょっとね」
「失礼しました。お約束は……」
「ああ、公務じゃないから用意はいらないわ。でもそうね、お茶と、夜につまんでもお腹に厳しくないお菓子をいただけるかしら?」
「かしこまりました」
頭を下げて、すぐに彼女は動いてくれる。
その背中が角を曲がって行った頃、入れ違うように、玄関扉のノッカーを打つ音がした。
「大丈夫、私が出るわ」
もう一人待機していた侍女が動こうとするのをいそいそと追い越し、マリアは扉へと駆け寄る。
「遅かったわね。疲れて寝てしまったんじゃないかと――」
待ちわびて緩んだ表情は、刹那、首元に付きつけられた剣の切っ先によって凍り付いた。
「今晩は。サンノエル第一王女殿下」
「あなた……」
招かれざる客に、マリアは憤怒の形相で歯ぎしりした。
* * * * *
「なんだか、改まってマリアお姉様に会いに行くってのも、変な感じね」
ドレスを着つけてもらいながら、セレシアは頬をほころばせた。
こういう時、どんな服を着ていけばいいのか解らない。構え過ぎず、かといって軽装が過ぎてもいけない。小一時間悩んだ末に決めたのは、サンノエルにいた頃から着ていたものだった。
「それにしても、どうしてマリア様はこっそり来るよう仰ったのでしょうね?」
「うーん……お父様からの贈り物ってことらしいけれど」
メイと一緒に、こてんと首を傾げる。
祖国の父王が他国へ嫁いだ娘に贈り物をするのは、何ら不思議な事ではないはず。わざわざ隠さなければならないものの心当たりなんて、まったく無かった。
「まさか……門外不出の奥義書!?」
「門の外に出してどうするんですか。冒険小説の読み過ぎですよ」
「何で知ってるの!?」
「誰が姫様のお部屋をお掃除させていただいていると思っているのですか」
苦笑しながら、メイは「終わりましたよ」と立ち上がり、髪が襟元に入り込んでいないかのチェックをしてから一歩下がる。
「ちょうど、殿下が登城されていて良かったですね」
「うん。今のうちにパパッと行って、ササッと戻ってこなきゃね」
ウェインは今、本日の警邏遠征の件で報告会議をしている。どうやらあの巨大魔獣は初めて見た種らしく、その情報共有をするためだ。
ちなみにその討伐の過程で、『セレス』という功労者についても触れる必要があるそうで、少しむず痒い。
同時に、夫に秘密を抱えさせ、さらにその裏でこうして内緒の行動をしている現状を客観視せざるを得なくなり、今さらながらに、ちょっと後ろめたくなる。
窓から飛び出そうとしたセレシアは、「ドレスで飛ぶのはやめてください」とメイに窘められ、仕方なく表玄関から出ることにした。
もっとも、多くの使用人を抱えているとはいえ、みだりに歩き回っている者は少ないから、人目を憚るのは容易だ。
「じゃあ、行ってきま~す……」
小声で伝え、セレシアがドアノブに手をかけた時だった。
半テンポ先に向こう側から扉が引き開けられ、二つの人影が転がり込んできた。
「兄上はいるか!!」
「フィーネちゃん!? どうしたの、凄い汗……!」
脂汗を浮かべて顔を顰めたフィーネが、同じ年ごろの少女に肩を支えられていた。少女は以前、教会を訪れたときに見かけたような気がする。二人とも修道服ではない、町娘のような気軽な出で立ちをしていた。
「兄上は!?」
「今はお城で会議をしてる」
「くそっ……間が悪い。いや、それを狙ったのか?」
ぐったりとしながらも吐き捨て、その息継ぎをしているフィーネの代わりに、少女が答える。
「実はさっきまで、近くの飯店で教会の子の誕生会をしていたのですが。そうしたら、フィーネ様が急に苦しみだして……」
「あたしのことなんてどうでもいい。それより大変だ義姉上」
縋るように腕を掴んできたフィーネは、咳き込みながら言った。
「聖女の『加護』で感知した……マリア殿下が危ない!」
それを聞くや否やセレシアは踵を返し、自室へと階段を一足飛びで駆け上がった。
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