34.ばったりと
夕日の底が地平線に触れる頃、都市の城壁が見えてきた。
隊は点呼を経て解散し、そこからはウェインとアヴォイドの馬だけになって、並んで門を潜る。
「お疲れさまでした。大活躍でしたね、奥――セレス殿?」
「はい、想像以上でした」
呼び間違えるところだったアヴォイドを一瞥するウェインを手のひらで宥めながら、セレシアは素直な感想を述べた。
「はじめにクレイドルエリアのことを伺った際には、正直、どうして国を挙げて掃討しにかからないんだろうと思ってしまったのですが……」
オルフェウスの兵は強い。それはウェイン隊の訓練風景を見ても感じ取れる。先日の『騎士』襲撃の夜も、魔の霧討伐自体では殉死者がゼロだったほどだ。
しかし、クレイドルエリアで相対した巨大魔獣を思い返せば、難航する理由も頷ける。
「無理もない。俺も歴史を学ぶ過程で知識はあったが、この目で見るまでは実感が湧かなかった」
「可能な筋があるとすれば、他国から
「ですね。サン――私の故郷でも今は天恵保持者が二人だけですし。うち一人は戦闘向けではないそうで、前線に立つことがないとか」
「ルドヴィカ侯とトレボール伯か。色々と噂は聞いている」
「二人を引っ張るとしたら、エスターク家を説き伏せなければなりませんねえ」
肩を竦めるアヴォイドに、セレシアもお茶を濁すように苦笑した。
サンノエルの軍事的な右腕として位置するエスターク家は、亡き先代こそ天恵持ちだったそうだが、現当主と嫡男であるスパーダには今のところ発現の兆しがない。
それがコンプレックスとなり、天恵を発現させたルドヴィカ家を目の上のたんこぶとして扱っている状態だった。クレイドルエリアの魔の霧が危険であろうと、エスターク家を差し置くことはできないと見ていいだろう。
「わた――ええと、セレシア様がオルフェウスに嫁いだ今、それを利用して交渉するのは?」
「確実な勝利の絵図が描けない限りは避けておいた方が良いだろう。いたずらに亀裂を入れることはあるまい」
ウェインはきっぱりと否定した。けれど、気が逸っていることは、耳に触れている彼の鼓動が過熱気味になっていることからも察することができた。
ふと、その鼓動の向こうから、首を傾げるような吐息の低音が伝わってくる。
「何やら賑やかだな」
「本当だ。何でしょう……?」
もう数ブロック先がウェイン邸というところで、通りを埋め尽くすような人だかりができている。
「流しの吟遊詩人でも来ているんでしょうかね~?」
うんと首を伸ばすアヴォイドと一緒に、セレシアもゲイルの首に手を置かせてもらって身を乗り出すと、ちょうど人だかりの向こうから、ぴょこんと手のひらが挙がるのが見えた。
「ああ、ウェイン殿下!」
聞き覚えのある声に、セレシアたちは顔を見合わせる。
人の海を割って優雅に歩いてきたのは、他でもないマリア・サンノエルその人だった。
彼女の後ろには、困ったように微笑んでいるスケイルと、げっそりうなだれたフィーネ、そして荷台にどっさり荷物を積んだ馬車がお供に付いている。
「(げえっ!?)」
セレシアは素早く仮面の位置を直し、髪や着衣に乱れがないかを確認して背筋を伸ばす。
無言を貫くことにしたセレシアに代わって、ウェインが声をかけた。
「マリア様。そちらの荷物は?」
「ああ、こちら? 今日一日案内をしてもらった中で、美味しいものや可愛いものを多く見つけましたので、セレシアにお土産をと」
「(自由過ぎる……っ!)」
セレシアは頭を抱えそうになった。他国に住んでいる者に、現地のお土産を見繕うとは。それならばサンノエル名物の酒蒸し饅頭などを持ってきて欲しかったですお姉様。
スケイルたちが手を合わせ、『止められませんでした』と口パクで詫びている。よく見ると群衆の中にはスケイル隊の兵が私服で紛れ込んでいたため、この人だかりも足止め策のひとつだったのだろう。
「かたじけない。ちょうど帰るところだったから、俺が預かろう」
「あら、小間使いみたいなことをさせて申し訳ないですわ」
マリアは御者に多めの金子を支払い、後は彼の人に付いていくようにと言いつけると、振り返った。
「そちらの方も、スケイル殿同様、殿下の重臣なのかしら?」
「はい。次席を汚しております、アヴォイドと申します」
「わ、私はセレスと申します!」
「初めまして。マリア・サンノエルと申しますわ。それにしても、どうして殿下とセレス殿は同じ馬に乗ってらっしゃるの? ふふ、なんだか夫婦みたい」
「(ぎっくぅ!?)」
一瞬バレたのかと思って、セレシアは肩を跳ねさせた。
「はは、冗句がお上手だ。彼は戦場で馬を失ってしまった故、一時的に同乗しているのですよ」
「そうだったのね。セレス殿の瞳は妹のように澄んでいるので、つい悪戯心が首をもたげてしまいましたの。ごめんなさいね」
「え、ええ……」
じろじろとこちらを見上げてくる瞳はすべてを見透かしているようで、セレシアは背筋にだらだらと冷や汗を流していた。いっそ理由を付けて立ち去ってしまおうか。
「とても凛々しく、良い出で立ちの方ね。我が国にも『サンノエルの黒騎士』という傑物がいたのだけれど、最近音沙汰がなくって」
「そ、そうなのですか……?」
「そう。おかげで小悪党たちがやる気を出しちゃって大変。ねえ、ちょっとだけサンノエルにいらっしゃらない? 黒騎士のフリをしてくれるだけで、少しは治安も落ち着くと思うのよ」
「え、ええと……?」
困り果てたセレシアは、ウェインに視線で縋った。一応は部下としてお伺いを立てているという体を保てるように、少し体は離しておく。
「僭越ながら、一時的にセレスを派遣してもすぐに状況は戻るでしょう。例の黒騎士を探し出すか、誰かサンノエルの人間から新たな黒騎士を立てる他ないのでは?」
「そうよねえ……ええ、考えてみますわ。愚痴を聞かせてしまってごめんなさい」
ころころと喉を鳴らして笑ったマリアは、ウェインに向かってカーテシーの一礼をした。
ひとまずはバレずに済んだだろうか。こちらを見送る彼女の視線を背中に受けながら、セレシアは邸宅の玄関を潜るまで気を落ち着けることができないのだった。
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