29.独特なレッスン

 普段馬車に乗っている時よりも、馬上で感じる揺れは随分と大きい。

 少しでも気を抜けば、跳ね上がった頭でウェインのあごに頭突きをしてしまいそうで、それを避けるために肩を縮こめていたものだから、余計に体が軋むのは早くなった。



「よし、見えてきたな」



 城壁のシルエットも風の向こうに霞んできたころ、ウェインが総員止まれの号令を発する。

 じっと竦めていた首を伸ばしたセレシアは、辺りに木造の掘立小屋のようなものが建てられていることに気が付いた。壁はほとんど設けられていない吹きさらしで、柱に支えられた屋根と、腰を落ち着けることのできる長椅子が点在している。



「ここは?」

「休憩地点だよ。クレイドルエリアまで駆け通しでは、士気や戦闘力に影響するからな」



 ウェインに支えてもらいながら馬を下りる。


 彼の背後では、兵士たちがめいめいに馬を柱へ繋ぎ、ベンチに腰掛けて汗を拭いたり、飲み物で渇きを潤したりしていた。奥の小屋では、タバコを呑む者たちが身を寄せ合って談笑している。



「セレシアも疲れただろう。これを飲むといい」

「ありがとうございます」



 渡された水筒には、ほのかに後味の甘い、さっぱりとしたお茶が入っていた。


 そこへ、中央で指差し点呼をしていたアヴォイドがやってくる。



「いかがですか、初めての行軍は?」



 堅苦しいでしょうとけらけら笑う、青空のようにピーカンな笑顔に、セレシアも肩に入れていた力を抜いた。



「皆さんすごいですね。手綱の操作をウェイン様に任せきりだったのに、私はもうへろへろです」

「そうか……成程。サンノエルは女人の武が禁じられているから、馬術の経験もないのか」

「あ~。でもその割には、奥様は一度も落ちる素振りすらなかったようですけれど」

「それは、ウェイン様が支えてくださったからですね」



 落ちちる落ちないの心配よりも、ウェインに迷惑をかけないかという一心で必死だった。もっとも、それを言い始めたら突然付いていくことを決めたことこそ……という事実には見ないフリをしておく。



「セレシアは体幹がしっかりしているからな。並みの丈夫よりも筋がいいのは頷けるが……」



 あごに手を当てて何事かを思案していたウェインは、やがて顰めていた眉を申し訳なさそうに持ち上げる。



「休む時間が削れてしまうが、少し、馬の乗り方を覚えてみないか。正しい乗り方を覚えることができれば、今後の疲労軽減にも役立つだろう」

「いいんですか? ぜひお願いします」



 未知のことに挑戦できるわくわくで疲労も吹っ飛んだセレシアは、学童のようにやるきいっぱいの握り拳を作り、ウェイン先生の次の言葉を待つ。



「まず、彼の名前を覚えよう。こいつはゲイルという。名を呼びながら首元を撫でてやってくれ」

「おお、カッコいい名前ですね。ゲイルさんこんにちは、私はセレシアと申します」



 太く筋張った首筋に手を伸ばすと、ゲイルの目がぎょろりと動き、セレシアを見極めるようにじいっと見つめてくる。

 やがてゲイルは「仕方ない、乗せてやらんでもない」と言わんばかりにぶるるっと首をもたげて鳴いた。



「わあお。殿下以外の人に、ゲイルが大人しくしているなんて珍しいですね……」

「そうなんですか?」

「ええ。元々暴れ馬で有名だったんですよ。乗ろうとした人は噛まれたり蹴られたり、凄かったんです」

「自分ならば御してやれるという傲慢な態度で挑むからだ。人間とて、裏のある態度で来られれば、斜に構えたくなるものだろう」



 ウェインの声に、ゲイルはもぐもぐと口を動かしながら、肯定するように小さく唸った。



「よし、それじゃあ乗ってみよう。まずはこちら側から、手綱とたてがみを持って――」



 指示に従いながら、セレシアは鐙に足をかけた。

 ウェインの手を借りて飛び乗った時には気付かなかったけれど、こうして独力でよじ登ってみると、思っていた以上にゲイルの上背が高い。手をたてがみに伸ばしながら左足を鐙にかける、腰の抜けたような半身の姿勢では、踏ん張りがきくかが少し不安になる。



「奥様、補助がなくても大丈夫ですか?」

「ええ、このくらいなら。屋根に蹴り上がるのと似ていますから」

「ああ、そうでしたね。屋根に――えっ?」



 アヴォイドの戸惑う声を置き去りにするように、体を持ち上げる。どしん! と腰を落としてしまわぬように、着地は柔らかく。

 視点がぐっと上がった景色はひとしおだった。まるで巨人になったみたいだ。



「進むときは、膝から下で合図を送るんだ。ふくらはぎを腹に付け、軽く締めるように」

「こう……ですか? ああ、相手の首に足をかけて回る時の感覚に近いですね」

「えっ、ええっ?」


「止まる時は手綱を引く。だが腕だけで引くとバランスを崩すしてしまうから、そうだな……間合いを切った後に剣を引きつけるように、胸から動けるか」

「やってみます。――わあ、止まった!」

「ええ~……」


「さっきから何だ、アヴォイド」



 ウェインに呆れ顔を向けられ、アヴォイドは困惑した様子で手を払う。



「いやいや殿下、こっちの台詞ですって。奥様の飲み込み方が独特過ぎません? 馬術のコツを剣術で例えている人、初めて見ましたよ。殿下もあっさり受け入れて、そういう説明を始めちゃいますし」

「そうは言われてもな……」

「私は解りやすかったですよ? 剣術や弓術のみならず、乗馬も『術』と並び称される意味はこういうことなんだなって」



 セレシアが小首を傾げると、にわかに「おお」という歓声と、拍手がぱらぱらと起こった。

 いつの間にか周囲に集まっていた兵士たちが、「さすが『サンノエルの黒騎士』」「なるほど目から鱗だな」と口々に囁き合っている。若い衆の中には、メモを片手に身を乗り出している者までいた。



「あ、ええと、あはは……」



 途端に気恥ずかしくなって頬を掻く。そこへからかうようにゲイルが身を揺らしたことでバランスを崩し、落ちそうになるのをセレシアがわたわたと堪えると、周囲からどっと笑い声が上がった。


 『黒騎士も馬から落ちかける』。どれほど熟練した勘を持つ人でもはじめは及ばないものだという意味として、今日の一件がオルフェウスの故事成語に刻まれることになるのだが――それはまた別の話。

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