30.クレイドルエリア
休憩所を発ってから、セレシアは実地で馬上の所作を学ぶことになった。
馬での走行は、一度「走れ」と命じれば暫くの間足を動かしてくれる――というものではないらしい。いつかみた大道芸人が乗りこなしていた一輪車の
「ゲイルの動きに自然に身を任せながら、着地の時にふくらはぎを締めるんだ」
耳元にかかるウェインの教えに従い、セレシアは無我夢中で足を動かす。
「俺の声だけに集中して――今、今、今。そう、いいリズムだ」
足を締めて馬に指示を出す『脚扶助』を理解すること自体は、そう難しいことではなかった。
剣を構える際にも、つま先の中指が真正面に向くように足を並べるから、自然と膝と内ももが締まる感覚がある。その延長上で、常に馬上で足捌きをしているイメージをすれば、ふくらはぎへの力の伝導はすぐに実践することができた。
ただ、問題は――
「今、俺の補助なしでゲイルを操作できているのだが、感じられているか?」
「は、はい! (――正直それどころじゃありません!)」
セレシアは返事をしながら、ウェインにバレないようにさっと首元の汗を手で拭った。
手取り足取りとはよく言ったもので、今の体勢は、背中からぴったりと体に沿って抱き締められているような状態だった。こうして包まれると、いかに自分と彼とで体格差があるかがわかる。
ゲイルに跳ね上げられる度に背中を柔らかく受け止めてくれるウェインの胸板が熱くて、蹄の音に掻き消えているはずの彼の鼓動に、思わず耳をそばだててしまう。
「少し疎かになってきたな。きちんと腰を使わないと、余計に疲れてしまうぞ」
「はいぃ……!」
伝わる温度に目を回していると、すかさず耳への囁きで現実に引き戻されるものだから、休む暇もなかった。
「(ウェイン様、実はわざとやってるんじゃ……?)」
馬は大きな声が苦手だからという理由は頭では解っていても、これでは疑いたくもなる。
おそるおそる、視界の端で彼の方を見やれば、
「やはり筋がいいな、セレシアは」
なんて微笑みが返ってくるだけで、真意はさっぱり窺えなかった。
その奥の方に見えた、アヴォイドたちが浮かべる満面の半笑いで気を引き締め、どうにかやり過ごすこと十数分――いえ、数分だったかもしれない。やっぱり頭はぐるぐるとしていた。
「見えてきたぞ」
不意に、ウェインの声色に載せられた温度が冷たく引き締まった。
前方には紫紺の色をした魔の霧が、巨大な竜巻のように渦巻いているのが見える。
途切れ途切れに、奥の方で建造物らしきものが垣間見えた。
「ウェイン様、集落が飲み込まれて……!」
「あれは、オルフェウスの始祖たちが初めて築いた住処だ。今は無人だがな」
ウェインが苦々しく呟き。今まさに巻き込まれている人がいないことに、セレシアはほっと胸を撫で下ろした。同時に、あの場所を奪われてしまったオルフェウスの人々の心中を慮って目を閉じ、祈った。
既にアヴォイドたちの表情からも遊びの色は消え、調練の時以上に引き締まった切れ味を帯びている。
「総員、止まれ!」
ウェインの号令で、セレシアは手綱を引いてゲイルを御した。
次いでアヴォイドが令を発する。
「観測隊、前へ!」
「はっ!」
馬を前へ駆り出した三人の兵士が、荷袋から取り出した望遠筒で遠くを見る。どうやら霧の外周に立てた目印の旗を見ているらしい。
「第一地点、拡大形跡なし!」
「第二地点、拡大形跡なし!」
「第三地点――形跡あり! 距離、基準旗の半本分!」
「よし。総員、周囲に警戒しつつ第三地点へ回れ!」
異常が見られたのは、向かって左前方の一角。
セレシアたちは霧から少し離れたところへ馬を止め、そこからは徒歩で進軍することとなった。
「機動力が売りの君はやりにくいだろうが、あの霧の中には入るなよ。あれは通常の魔の霧とは異なり、
「……わかりました」
セレシアは剣を抜き、ウェインより前に出ないように位置を確認してから、低めに構えた。
「行きますよ、皆さん。発破隊、放て!」
アヴォイドが剣を掲げると、握り拳大の結晶が数個放り込まれて、魔の霧の中で爆ぜた。
煌々と眩い光が膨らんだかと思った矢先、まるで生きているかのように収縮した霧によって光は押し込まれ、あっという間に深い深淵の様相に戻されてしまう。
代わりに吹き込んできた生ぬるく淀んだ空気に、セレシアは背筋がぞわっとした。
「(――来るっ!)」
「来るぞ!」
セレシアの直感と、ウェインの一喝。そして――
『グオアアアアアアッ!!』
魔獣の群れが飛び出してくるのは、ほぼ同時だった。
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