28.じっとしていられなくて

 マリアがオルフェウスに現れて一夜が明けた朝。

 部屋に籠っていても落ち着けずにいたセレシアは、廊下をうろうろ、庭園に出てはちょろちょろと行ったり来たりを繰り返していた。



「ダメ。やっぱり我慢できない……あーもう!」



 見つかるリスクは重々承知している。けれど、やっと剣を振れるようになった矢先にお預けを食らうのは、鳩尾の内側あたりがむずむずとして、かきむしっても拭えない。



「姫様。今日明日の辛抱です」

「それは解ってるんだけどぉ……」



 一連の徘徊に苦笑しながら付いてきていたメイが、もう何度目かの慰めを口にする。



「そうだ、剣を握らなければ大丈夫なのでは?」



 名案を閃いたとばかりに指を鳴らすも、帰ってくるのは静かに横へ振られる首のみである。



「訓練場に鍵をかけて籠ればいいんじゃない!?」

「はあ……これは止めても無駄そうですね」



 白旗を上げたメイに食い気味のお礼を言って、セレシアは駆け出した。






   *   *   *   *   *






 訓練場に向かうと、既に調練をしている声が聴こえてきた。

 扉を開けて中に入ると、兵士たちの中心で檄を飛ばすスケイルの姿が目に入る。



「お疲れ様です、スケイルさん。調練ですか?」

「ええ。私の隊は非番なのですが、殿下たちの隊を全て出しているわけでもありませんから。残った兵たちを代理で指揮しているのです」

「へえ!」



 なるほどよく見れば、普段ウェインやアヴォイドの指揮下で訓練をしている顔ぶれだった。



「セレシア様こそ、どうしてここへ?」

「ウェイン様が警邏遠征に向かわれたので。お姉様の件もあってお留守番をすることになったのですが、どうも落ち着かなくって」



 セレシアが肩を竦めると、スケイルはああ、と察したような同情の笑みを浮かべた。


 今日は、定期的に行っているという『警邏遠征』の日だった。

 オルフェウス郊外にある世界に初めて『魔の霧』が現れた地・クレイドルエリアには、絶えず魔の霧が立ち込めている。そしてそれは今もなお、徐々に拡がっているのだという。

 そのため、都度々々外縁部に踏み入って刈り取る必要があるのだそうだ。



「ご安心ください。日が沈む頃には戻られますよ」

「その……違うんですよ」



 まごまごと言い淀むセレシアに、スケイルが不思議そうに眉を開く。


 たしかにウェインが離れて寂しいという気持ちもある。けれどそれは、彼に傍にいてもらいたいという心の震えではなく、彼の傍にいられないという心苦しさからだった。



――どうか俺の隣で、剣を執ってくれないか。


「ウェイン様はああ言ってくれたのに、私の都合で、残っていていいんだろうかって思うんです」

「そうでしたか。それは……お辛いでしょうね」



 俯きがちになったスケイルの憂い顔を、長くつややかな髪が覆い隠す。



「私も殿下に惚れ込んで隊に下った身ですから。もしも殿下が必要として下さった時に馳せ参じられなかったらと思うと、セレシア様のお気持ちは痛い程に」

「ありがとうございます。自分でも、我がままを言っているということは解っているんですけどね……」

「それでは、こういうのは如何でしょう?」



 そう言って手のひらを打ったスケイルは、その理知的な顔立ちからは意外な、悪戯っ子のような笑みを見せた。



「今日の夕暮れまで、私がマリア様の接待を仰せつかるのです」

「えっ、いいんですか?」

「ええ。フィーネ様――オルフェウスの『聖女』と、サンノエルの『聖女』との交流の場と洒落込むのも良いでしょう」

「けれど、ウェイン様の許しを得なくてはいけないんじゃ……?」

「何を仰います。マリア様の妹君がここにいらっしゃるではありませんか」



 その言葉に、セレシアはハッとした。



「殿下の部下である私は、貴女の部下であるも同然です。セレシア様が一言仰っていただければ、直ちに取り掛かりましょう」

「お気持ちは嬉しいのですが、遠慮します。スケイルさんの手を煩わせるわけにはいきませんし」

「そうですか。ああ、それは残念ですね。今頃はまだ、城外で隊列を組んでいるところでしょうから、急げば間に合うかもしれませんのに」

「ぜひお願いします!」



 猫のように俊敏に踵を返したセレシアは、背後からの「南門ですよ」という苦笑交じりの声と、兵たちから湧いた声援に乗って加速し、訓練場を飛び出した。






   *   *   *   *   *






 身支度を整えたセレシアが屋根伝いに場内を駆け抜け、南門から飛び出したのは、ちょうど最終確認を終えたウェインが自分の馬に跨るところだった。



「ウェイン様!」

「なっ……セレシ――セレス殿!? どうしてここに」



 見渡す範囲には見知った顔しかいないが、それでも憚って呼び替えてくれたウェインに、セレシアもまた『黒騎士』の表情を引き締めて進み出る。



「スケイル殿に計らいをしていただき、馳せ参じました!」

「ああ~。スケイルさん、けっこう悪だくみ好きですよね~」



 アヴォイドが手綱を持つ腕に顔を埋めて、肩を震わせている。そんな彼に対してなのか、スケイルに対してなのか、一方のウェインは困ったような顔で嘆息した。



「で、どうします殿下。馬が足りませんけど?」

「仕方ない。俺の馬に乗れ」



 馬上から差し伸べられた手を取ると、セレシアはぐっと引き上げられ、ウェインの胸の中に収まった。



「では皆、往くぞ!」

「応っ!」



 ウェインの号令に、セレシアは兵士たちと共に声を上げるのだった。

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