27.『聖女』とのティータイム
おずおずと頭を垂れた影が、シェードアンブレラの影に重なった。
「助けてくれて、ありがとうございます」
それに、傾けられかけたティーカップが止まり、縁へ優雅に口づけをしていた唇がふっと緩む。
「いいのよ。ああいう『男の邪悪』と向き合わせて来なかったのは、姉である私の落ち度でもあるのだし」
「面目次第もございません……」
「さっきからそればかりね。お茶の席では、手はスカートではなくカップの取っ手を握るものよ? それとも砂糖が足りなかったかしら」
くすりと喉を鳴らして、マリアはティーポットから角砂糖を一つつまみ上げると、セレシアのカップへと静かに落とした。
セレシアはスプーンを受け取り、促されるままにオレンジ色の海をかき混ぜる。
「ああいう手合いは嫌がらせをしたいだけだから、主張に意味なんてないの。適当にあしらうか、第三者が権威を翳してやらないと止まらないのよ」
「なるほど……」
「それにしても、あの男は駄目ね。覚えておきなさいセレシア。出来た殿方は、女から求められない限り名乗りさえしないものなのよ」
「出た、お姉様の男性評」
なんだか懐かしい気持ちになって、セレシアは苦笑した。
しかしマリアはどこ吹く風で、むしろ得意げに目を細めてカップに口を付けている。
サンノエルにいた頃も度々、貴族の男性たちと交流をした後の姉から、愚痴めいた批評を聞かされることがあった。素直に頷けることもあれば、はてそれは曲論過ぎはしないだろうかと内心首を傾げることまで様々で、他人事として寝物語にしている分には面白かったのを憶えている。
もっともそれが、余計にセレシアの感じる男性への苦手意識に拍車をかけていたのだけれど。
「ちなみに、マリアお姉様から見たウェイン様は……?」
ようやく口を付けた紅茶で唇を湿らせてからセレシアが訊ねると、マリアはきょとんと、切れ長の目を瞬かせた。
「あら。私が答える必要があって?」
「ええっと……?」
今度はセレシアが戸惑う番だった。相変わらず、マリアと話していると、会話の梯子が一段すっぽ抜けたような感覚に陥る。
意図を掴みあぐねて首を傾げていると、マリアは「本当、可愛い子ね」と微笑んでから、空に視線を遊ばせて歌うように唸った。
「そうね……思っていたより、ずっと強かな人だったかしら。私、殿方からあんな屈辱を受けたのは初めてよ」
「えっ……ええっ?」
今度こそ本当に訳がわからなくなって、セレシアはカップを取り落としそうになった。
慌てふためく様子に、マリアはマドレーヌに手を伸ばしながら、くすくすと揶揄うように笑う。
「褒めているのよ」
「とてもそうは聞こえなかったんですが……?」
「本当なのに。だって私、この美貌でしょう?」
「ええ……それはそうなんですけれど。はい、それで?」
「大抵の殿方の視線なら、伴侶からさえも外させる自信があるの」
それは事実だった。城で開かれる舞踏会ともなれば、愛妻家で有名な貴族の視線でさえマリアを向く。恐ろしいのは、そんな光景も「『聖女』相手ならば仕方ない」とされてしまうことだ。
マリア・サンノエル。彼女を手中に収めることは、兄であるユリウスとの縁談を繋ぐことよりも重要と嘯かれる、傾国の魔性。
本人にその気がないのが唯一の救いだろうか。
「けれどウェイン殿下の目は微塵も揺るがなかったわ。視線はこちらを向いているのに、瞳に私は映っていない。それどころか、私にセレシアの方を向かせようとさえしてくるんだから……ふふ、生まれて初めて嫉妬しちゃった」
「わ、渡しませんよ!?」
「盗らないわよ。私を何だと思っているの?」
噴き出す勢いのあまり、マリアは咽ってしまったらしい。駆けつけようとする従者を手のひらで制し、ひいひいと涙を拭いながら口元を拭う。
「ああ、おかしい。でもそうね、貴女から見れば、私も同罪なのだもの」
「マリアお姉様……?」
「お母様とエレノアはああだけれど。これでも私、貴女のことを案じているのよ。もっとも、もうその必要はなさそうだけれど」
最後の震えを押し込めるように紅茶を飲み込んでから、マリアは優しい表情になった。
「とても好い人に出会えたわね」
「はい」
セレシアは、少しほっぺたが甘酸っぱい温度になるのを感じながら、しっかりと頷いた。
それにマリアも安堵したように、小刻みに頷くと、傍に控える従者に向かって、距離を空けるよう声をかけた。
人払いを済ませてから、マリアは椅子を寄せ、声を潜める。
「今回私が来たのには、もう一つ目的があるの。お父様からの贈り物を貴女に渡すという大切なお仕事がね」
「お父様から、ですか?」
「そ。母様の目を盗むのは骨が折れたのよ? ああでも、今夜は色々と応対で忙しくなるだろうから……そうね、明日の夜にでも、こっそり迎賓館にいらっしゃい」
ぱちんとウィンクをする姉に、セレシアは曖昧に頷くのだった。
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