26.仲裁
セレシアとウェインは回廊の端に並び、目録を手に謁見の間へ入って行ったマリアを待っていた。
ここから見える庭園は、しっとりと心が落ち着くような美しさをしていた。葉の緑と、オルフェウスの国旗に使われる色に近い青系の花を基調にした空間は、寒色でありながら温もりが感じられる。
「平気か、セレシア」
「はい。驚きましたが、お役目はちゃんと果たせます」
はじめは使者を送ってそれまでというプランだったけれど、さすがに身内が相手とあっては、ここでセレシアだけが帰ってしまうのもウェインの面子に関わってしまう懸念があった。
彼の心配げな眼差しから、安堵の混じった柔和なものに変わったことに、セレシアは頷いて答える。
その時、庭園に降り立って地面をつついていた小鳥たちが、不意に飛び立った。
「おや? これはこれは、ウェイン殿下と奥様ではありませんか」
喉の奥からいがらを鳴らすような卑しい声。
振り返れば、そこには銀髪の貴族がいた。
「……ゼジルか。何の用だ」
「おお、怖い。オルフェウスに仕える身、登城していて何か問題でも?」
くつくつと嘲るように言ってから、ゼジルは慇懃に胸に手を当て「ご機嫌麗しゅう」と頭を垂れて見せる。
「ウェイン殿下こそ、このようなところで如何なされました。日向ぼっこならば、庭に出てはどうです?」
「貴様に教える義理はないと思うが」
「ええ、ええ。存じていますとも。まさか、『騎士』に城内での狼藉を許し、取り逃がしたなどという手落ちをした挙句、奥様の祖国から見舞いを戴いたなんて、恥ずかしくて言えませんものねえ?」
「ゼジル殿。口を慎まれてはいかがですか?」
「よい。置け、セレシア」
ウェインの一瞥に制され、セレシアは大人しく一歩下がった。
その空いたところに立ち塞がるように半歩ずれたウェインが、ゼジルと向かい合う。
「先の一件については、俺としても忸怩たる思いだ。ついては、民の心の傷を慮ることを最優先にしている。サンノエルの厚意も、受け取るのは俺ではなく、民だ」
「さすが獅子王様。敬服に値する心構えでございますね。しかし――」
ゼジルの声が、瞬間的に凍てついたようなトーンへと下がった。
「このまま『魔の霧』へ後手に回り続け、民に苦難を強いることが、オルフェウス家の総意なのですか?」
「ゼジル殿、口を慎みなさいっ!」
セレシアは思わず声を上げた。ウェインの腕に押し止められる中、ゼジルを睨めつける。
あの日、誰よりも早く駆け付けたのは誰か。即座に住民の避難を支持し、その後も誰より身を粉にして対応に当たったのは誰か。
その裏で、被害に遭った住民たちの悲鳴を一身に受け、やつれるほどに祈っていたのは誰か。
握った拳の内側に爪が食い込む。
「――あら、いけずでございますこと。私が外している間に楽しそう」
「マリアお姉様……」
供を引き連れて謁見の間から出て来た人物へセレシアが呼びかけた名を、ゼジルは口の中で反芻すると、はっと身を翻して跪いた。
「これは失礼いたしました。大変お美しい方だとはお見受けしていましたが、マリア・サンノエル王女殿下であらせられたとは。申し遅れました、私はゼジル・ハーミ――」
「ウェイン殿下、こちらの方は?」
「ですから、ゼジ――」
「ウェイン殿下、こちらの方は?」
「ぐっ……」
一度たりとも視線を向けられることなく、二度も遮られては、さしものゼジルも押し黙った。
マリアに訊ねられたウェインは、静かな声音で答える。
「この者はゼジルと申す者。ハーミット伯の嫡男で、代々政務の面でオルフェウスを支えてくれております」
「まあ。武官の殿方が逸ったのかと思いましたが、文官の方でしたのね」
「代わって無礼をお詫びします。何卒ご容赦を」
「構いませんわ、殿下。オルフェウスは大陸全土を見ても『魔の霧』との交戦が苛烈な国ですもの。このくらい盛んな方が相応しいでしょう」
「有難きお言葉。謹んで感謝を申し上げる」
立ち去る機を逸したゼジルは面従腹背の姿勢で、憎々しげに舌打ちをする。
それをマリアは真上から見下ろすように位置取りながら、半笑いのアイコンタクトを向けてきた。
「(もう少しいびります?)」
「(いえ、十分です。かたじけない)」
苦笑気味に返すウェインに、唇が「あらそう」と少し残念そうに動く。
一連のやりとりを、セレシアはぽかんと口を開けたまま眺めていた。
元はといえば、自分が挑発に乗って声を荒らげてしまった時点で大失態。それをマリアはいとも容易く手玉に取り、ゼジルに圧力までかけてしまった。
綱の渡り方をあと一歩でも違えていれば、危うく国家間の問題に発展していただろう。
「それじゃあセレシア。ウェイン殿下はゼジル殿と大事な話があるようだから、その間、姉妹水入らずでお茶でもしてましょ?」
手のひらを合わせて浮かべた笑顔は、まさしく『聖女』たるもので――
セレシアは、こくこくと黙って従う他になかった。
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