25.獅子王と女豹

「えー……そんなわけで、ウェイン様。こちら、姉になります」



 着任したばかりのシェフのようなぎこちなさで、セレシアは手のひらを掲げた。

 自分たちが乗ってきた迎賓用馬車の中には今、セレシアとウェイン、そしてマリアの三人のみ。他の付き人たちは後続の馬車で付いてきている。


 紹介を受けて、ウェインはマリアへと紳士的な笑みを向けた。



「ご高名はかねがね。さすがは姉妹。セレシア殿によく似て、美しい方だ」

「うふふ、恐縮ですわ。殿下こそ、太陽のように煌びやかで、月のように雅やかな、とても温かい瞳をされますのね」



 くすくすと喉を転がすような、控えめながらも品のある笑い方。その背中には後光が差しているようだ。

 マリアに褒めそやす際に用いられる『聖女』は、フィーネのような生業的な意味合いとは異なり、神話に語られるような神々しさを含めたもの。

 やはり自分には真似できないなと、セレシアは改めて思った。あんな風に頭と舌の回転がちぐはぐになりそうな言い回しなんて、途中で噛む自信がある。



「まさか、マリア殿がお見えになるとは露知らず。非礼があればご容赦願いたい」

「そう、そこですよ。どうしてお姉様が……?」

「どうしてって、殿下の前では申し上げにくいけれど、消去法よ?」



 マリアはあっけらかんと、唇の横に人差し指を立てて小首を傾げてみせた。



「国王陛下夫妻や、嫡男であるお兄様が国を空けるわけにはいかないわけだし」

「そこはほら、エスターク家の者とか。適任はいたでしょう」

「なあに、姉が妹の顔を見に来ちゃいけない?」

「いけなくはないですが、来て欲しくなかったですかね……ハハ」



 視線を窓の外に逃がし、セレシアは乾いた笑いを浮かべた。

 それを戦意喪失と捉えたか、マリアはしてやったりとばかりに肩を震わせると、またウェインへ向き直る。



「いかがです、うちのセレシアは? 表情がころころ変わって可愛いでしょう」

「ええ。見ていると心が穏やかになります。新しい一面を垣間見る度に、惚れ直すようだ」

「ウェイン様っ!?」



 不意打ちのような美辞麗句に、セレシアは飛び上がった。かといって姉の手前、照れていいやら焦ればいいやらで落ち付かない。

 しかしそんなこちらの心中を知ってか知らずか、聖女――もとい悪魔がさらなる言葉を投げかける。



「まあ、羨ましい限りですわね。この子は昔から元気が有り余っている質でしたから、妻としての務めが出来ているか心配でしたけれど。杞憂だったようです」



 セレシアはぎくりと肩を跳ねさせた。

 思えばオルフェウスに着いた初めての夜からこっち、同衾はおろか、ウェインを寝室に招いたことも、彼の寝室に通ったこともない。



「(……あれっ、もしかして私、なんにも妻らしいことを出来ていないのでは?)」



 忙しさに追われていてそれどころではなかったけれど、これはおそらく死活問題だ。


 マリアの目は、そんな真実を探るかのように爛々と光を宿している。

 しかし対するウェインは、向けられる眼光の鋭さを微笑みで受けると、凛とした声で言った。



「ご安心を。セレシアは私にとって、かけがえのない伴侶です」

「(ウェイン様……)」

「『妻らしさ』とは詮無きこと。そうあることを押し付けた結果、セレシアらしさが翳ってしまうのならば……その方が、俺にとって耐えがたいことです」

「へえ?」



 獅子王の牙が覗いたことに、女豹の瞳孔が大きくなった。



「(うわあ、しちゃいけない笑顔してるぅ……)」



 何も知らぬ者ならば、もしかしたら二人が微笑みを湛えて世間話をしているように見えたかもしれない。

 けれど間近にいるセレシアにとっては、体感温度がぐっと低くなったような、底冷えのする気迫がひしひしと伝わってくる。


 そんな、縄張りの境界線を挟んではははうふふと牽制し合う猛獣たちの静かで烈しい戯れは、城に到着するまで続くのだった――

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