16.伏せろ!

 剣戟によって散った火花が、教会のステンドグラスを妖しく照らす。

 セレシアが踊りかかれば、赤銅の騎士は不動の構えで薙ぎ払う。赤銅が閃けば、黒はひらりと夜闇に溶けるように躱した。


 首の根本――兜と甲冑の継ぎ目を狙って振り下ろした剣を受け止められたセレシアは、そのまま騎士の剣の峰を滑るように己の剣を引き寄せ、突き出した。

 狙いは、顔を覆うプレートを縦に走る、ブレスの隙間。



「むんっ!?」



 しかし気取られてしまったか、赤銅の騎士が腕を持ち上げたことで狙いが逸れ、剣の切っ先は兜の額を掠めるに留まった。

 反撃の一閃を掻い潜り、間合いを切って、セレシアは肩で大きく息をする。



「(くっ、やり辛い……)」



 全身武装の鎧騎士が相手では、それは覚悟していたつもりだった。表情は読めず、細かな手足の機微も、重たい金属に覆い隠されてしまうからだ。

 けれど、最も質が悪いのは、心が見えないこと。



「(どこを攻撃しても、怯む気配すらないなんて……)」



 どれだけ堅固な防御を固めても、人は人。顔を狙われれば思わず目を瞑るし、剣の手元を狙われれば耐えようと身構えるし、急所を狙われれば咄嗟に避けようとするはず。

 赤銅の騎士の動きからは、それら一切が感じられなかった。まるで初めから、そういうモノとして生を受けたかのようだ。


 一滴の冷や汗が頬を伝い、構えた剣に落ちて弾ける。



「(人型の魔獣……言い得て妙ね)」

「この程度か、黒騎士」



 赤銅の騎士は、不愉快に鼻を鳴らすような吐息を発した。こういうところは人間らしいというのだから、殊更怖気が走る。



「身のこなしこそ素早いが、剣は軽い。……貴様では届かぬようだ」

「私にただの一太刀も浴びせられていないのに、言ってくれるね」

「そうか、ならばくれてやろう」



 言葉の尾が紡がれきらぬうちに、赤銅の輪郭が揺らいだ。

 それを認識した時には、赤銅の色はセレシアの視界の端――斜め後ろにあった。



「なっ……速いっ!?」



 頭を掴まれ、門の柱へと投げつけられる。セレシアはどうにか体を丸め、後頭部の直撃こそ凌いだが、背中を強かに打ち付けてしまう。



「か、はっ……」



 逆流してきた胃液で喉が焼けそうだった。込み上げてくるものを生唾で押し返し、口元を拭って体を起こす。



「斬り伏せてやるまでもないな、黒騎士。認めろ。貴様に勝ち目はない」

「だから……決めつけないでくれる、かな?」



 仮面スイッチが切れそうになる。膝が震える。逃げ出したい心臓が早鐘を打つ。

 セレシアは、足を地面に蹴りつけるようにして己の体を叱咤した。じぃんと足の裏から伝ってくる痛みは頭にまで響き、少しはクリアになってくれる。



「その意気や好し。だが、その手弱女のように細いからだで何が出来る?」

「無論。打ち倒すのさ」



 セレシアは努めて笑みを作り、真っ向から赤銅の騎士を見据える。



「(さて、どうする……?)」



 先ほどの攻撃、赤銅の騎士が動く気配を感じられなかった。気が付けば、すぐ近くに奴の姿があった。


 目を閉じる。瞼の裏に思い描くのは、頼もしい金色の背中。


――腕に力が入り過ぎだ。腕を振るうな、剣を払え!


 強張る体を脱力し、剣にのみ意識を集中。


――踏み込みが浅い。前足ではなく、蹴り足を意識して腰から動け!


 足を開き、後ろ足のバネに力を溜めるように重心を落とす。


――どこを狙って振っている? 息が切れている時こそ顎を引け!


 顎を引いて、呼吸は薄く長く保つ。


――目で追うのではなく、動作の起こり……気配を感じられるようにするといい。



「さらばだ、黒騎士!」

「そこっ! 『星馳電撃せいちでんげき』!」



 赤銅が掻き消える刹那に、剣が左上段に振り被られるのを見たセレシアは、刮目した。

 左上段から袈裟に斬ることは、すなわち、こちらから見て右半面に現れるということ。



「何……っ!?」



 剣を打ち返された赤銅の騎士が、初めてたたらを踏んだ。



「お覚悟を!」



 セレシアは、鎧腹部の継ぎ目を狙って剣を突き入れた。この一撃で決めるべく、臓腑を穿ち破るように、腰を据えてより深くへと踏み込む。

 しかし、鎧の中は空洞にでもなっているのか、セレシアの威勢を吸い込むように至極あっさりと剣が入ってしまう。



「手応えが……ない?」

「残念だったな、黒騎士」



 嘲るような声とともに、鎧の継ぎ目ががっちりと噛み合わされた。



「くっ……」



 剣が引き抜けなくなったことで、セレシアは居付いてしまった。油断をしたわけではない。だから一瞬で済んだ。されど一瞬の隙だった。

 セレシアの瞳に映る、高く振り上げられた刃が月光に舌舐めずりをする。



「(しまった――)」


「――伏せろ!」



 空気を切り裂くような鮮烈な声で我に返ったセレシアは、剣の柄から手を離し、身を投げ出すように倒れ込んだ。


 そこでセレシアが見たものは、雷鳴を纏った金色が、赤銅の騎士へと突き立てられる瞬間だった。

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