10.金色

 幾多の切っ先に囲まれる中、ウェインは己の得物を下ろしたまま静かに立っていた。


 一陣の風が吹き、彼の鎧の腰布を棚引かせる。それが元の場所に戻るまでの短くも長い時間、兵士たちは、ただの一人も動けずにいた。



「(強い……)」



 セレシアはごくりと唾を飲み込み、食い入るように見つめた。


 ウェインは決して、ただ棒立ちをしているわけではない。あれが自然体なのだ。

 剣には剣の、槍には槍の、拳には拳の――立ち回る術によって身構えが変化するように。同じ剣を扱う者であっても、その究め方は十人十色。


 直接立ち合っていないはずのセレシアでさえ、ひりつく緊張感で頬に汗が伝う。


 誰かの汗が滴り、落ちた。


 弾かれたように、兵士たちは一斉に足を蹴る。気合で空気を震わせ、めいめいに渾身の一撃を繰り出す。



「――ふっ」



 ウェインは丹田から短く呼気を吐き、身を翻しながら剣を振り上げた。正面から迫る攻撃を撥ねのけ、両側面から繰り出された槍衾をすんでのところで掻い潜る。


 思わず、セレシアはあっと声を上げた。



「待って、本当に殺す気なの……!?」

「もちろん。刃引きはしていますが、当たればただじゃ済みません。僕なんか、入院させられたこともありますよ~」



 あっけらかんと笑って見せたアヴォイドは、ですが、と真剣な眼になって言う。



「だからこそ、殿下は『獅子王』で在り続けられるんですよ」



 ウェインは素早く視線を走らせ、鈍色の雨を次々とあしらっていく。剣を紙一重で捌き、槍を柄から踏み落とし、背後から飛びかかる拳を蹴り飛ばす。


 美しい舞を見ているようだった。一歩間違えば真っ逆さまに落ちてしまう、綱渡りのような過酷な武の芸だ。

 大輪の花のようだった兵士の輪は、今や蕾のようにすぼみ、ウェインと刺し違えんとする食虫植物と化している。


 しかし――



「これで終わりか? ならば、次は此方こちらから行くぞ!」



 内側で爆ぜた金色の雷鳴によって、花はこじ開けられた。



「ウェイン様の天恵アーツ……!」

「ええ。雷を纏い、御自ら稲妻と化す。殿下が『金色』と呼ばれる所以です」



 たたらを踏んだ兵士たちへ感電が連鎖するように、ウェインが目にも止まらぬ速さで飛び回る。彼が剣を閃けば一人、また閃けば三人と、あっという間に倒れていった。


 天恵アーツ――世界に最初の『魔の霧』が湧いた折、魔獣に立ち向かわんとした英雄たちに天が授け給うたのがはじまりとされる、人智を超えた権能。



「あ、ああ……」



 最後に残った兵士はあわあわと体を震わせると、ウェインに斬られるよりも前に、目を回したようにふらりと膝を突いた。



「それまで!」



 スケイルの号令で、雷が鳴りを潜める。

 ふうっと長く吐いて呼吸を整えたウェインが剣を納めると、踏ん張り切れなかった兵士は口惜しそうに頭を垂れた。新兵だろうか、少年と呼んでも差し支えないくらいに若い。



「申し訳ありません、未熟でした……」

「そうだな。だが、俺の動きをよく追おうとしていたのは伝わった」



 ウェインは彼の前に屈みこむと、過呼吸気味に跳ねる肩を優しく押さえて微笑みかける。



「目で追うのではなく、動作の――気配を感じられるようにするといい。俺たちの敵は魔獣だ。人間同士で訓練するしかないが、人間相手の読み方を覚えても通用しないからな」

「は、はいっ! ありがとうございました!」



 ウェインは手近な兵士に少年を看るよう指示してから、他の兵士たちも労いつつ、一人ひとりに反省点を伝えていく。



「(気配を、感じる……)」



 セレシアも、耳が痛い思いだった。あの時、魔獣から完全に不意を突かれてしまっていた。ウェインの到着がわずかでも遅かったらと思うと、ぞっとしない。

 それはひとえに、実戦経験が乏しいせいだろう。



「セレシア殿。来ていたのか」



 考え込んでいたせいか、いつの間にやって来ていたウェインに気付くのが遅れた。

 向こうでは、引き続きスケイルが指揮に立っている。



「おはようございます、ウェイン様。こちらにいらっしゃると伺いましたので、見学を」

「そうか、おはよう」



 ウェインは柔らかく笑むと、アヴォイドから受け取った水筒で喉を潤す。



「何も構うものがなくてすまない。退屈してはいなかっただろうか」

「いいえ滅相もない! とても勉強になり――こほん、新鮮で興味深かったです!」

「そうか。そう言ってもらえると助かる」



 話しながら、ウェインは纏っていた鎧を外し、着物の袖を抜いて上半身を露わにした。

 逞しく引き締まった身体に浮いた汗が、朝の日差しに煌めいている。


 手拭いで汗を拭くウェインの姿に見惚れてしまっていたセレシアは、図らずも昨夜抱き上げられた時の固さを思い出してしまい、ぼんっと音を立てて茹で上がった。



「……セレシア殿?」

「な、なんでもありませんっ」



 それからセレシアは、朝食の時間まで、ウェインと目を合わせられずにいるのだった。

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