8.ならば、妻の務めを果たしてもらおう
数秒は、永遠にも感じられた。
ウェインの息遣いさえ聞こえないことが、とても恐ろしく感じて、セレシアはおそるおそる目を開ける。
「ウェイン様?」
彼は唖然と目を見開いて、ティーカップを持ったまま固まっている。
「(ど、どうして!? マリアお姉様、聞いていた話と違うんですが!!)」
以前長姉が、『ベッドに横たえ、ちょっと脚を開いて見せなさい。男なんてそれだけで喜んでくれるものよ』と言っていたはずだ。
何かやり方を間違えたのだろうか。セレシアは必死で脳内の姉語録を漁った。こんなことなら、少しはまともに耳を傾けておけば良かったか。
「そうだ、服! 申し訳ありませんウェイン様、とある筋からは、殿方は脱がすのを好むと聞いていたもので! どこまで脱ぎましょうか、一糸纏わぬ方がお好みでしょうか!?」
既に頭の中は真っ白。着慣れた夜衣だというのに、ボタンの一つさえ上手く外せない。
「……ふっ」
ウェインが漏らしたかすかな笑い声。
反応があってくれたことに安堵したセレシアは、縋るように彼を見上げる。
真剣な眼差しでこちらを見つめながら、彼は腰を上げた。
「可愛がれと?」
「はい、覚悟はしました!」
「ほう、覚悟を?」
「そ、それが妻の務めなれば!」
彼が一歩近づくごとに、体が強張りそうになるのを堪える。
「そうか。ならば、妻の務めを果たしてもらおう」
伸びてきた手が、頬に触れる。髪を梳いて、首筋を撫でるように、背中へ。
思わずぴくりと肩が跳ねる。自分で髪に触れるのとも、誰かに髪を手入れされるのとも違う、熱を帯びたくすぐったい感触。
髪ではなく、
「腰を浮かせるんだ」
耳元で囁かれる言葉に、命ぜられるままに従う。
ぐっと、体が持ち上げられるのがわかった。背中の方で、するすると布の擦れる音が鳴る。
「(そっか、
それには思い至らなかった。一度知りさえすれば納得もするけれど、どう知ればいいというのだろう。
「下ろすぞ」
「は、はい」
頭の後ろに枕が添えられた。こっちは知っている。衝撃を緩和するためのものだろう。
ついに温かいものに体を包まれ、セレシアはごくりと息を呑んだ。
「(ついに、この時が……!)」
まるで溶けたように、体にぴたりと添えられるような温もり。これが、一つになるということなのだろうか。
「姿勢に不都合はないか?」
「はい、私のことはどうかお気になさらず――ん?」
とんとんとあやす様に肩の辺りへ置かれたウェインの手のひらが、布団越しの感触であったことに気付き、セレシアは瞼を持ち上げた。
そこには、呆れた様子でこちらを覗き込むウェインの顔こそあったが、その体はベッドの外にあった。
「ウェイン様、これは……?」
母親に寝かしつけられる子供のような構図にセレシアが訊ねると、はあと長嘆息が返される。
「俺の妻ならば、今するべきことは休息のはずだ」
「ですが……」
「それとも、自分がどう動かされているかも判らないほど強張り震えている君を、襲えと?」
俺は鬼畜か何かかと、ウェインは困ったように笑った。
「すみません、そんなつもりじゃ……」
「解っている、戯言だ」
デュベの端を握るセレシアの手を、ウェインの大きな手のひらがそっとほぐし、指を絡めるように包んでくれる。
それは、とても穏やかな温もりだった。男性に触れられているというのに、体の芯から解けていくようで。緊張とは違う熱を持って、心臓がとくとくと駆け足になっていく。
「俺の方こそすまない、せっかく勇気を出してくれたろうに」
「いえ、私が先走ったばかりに」
「ふ……先走った、か」
ウェインは可笑しそうに肩を震わせると、また真剣な目をして、頭を撫でてくれる。
「ならば俺は、そこに追いつかなければならないな。君に心から受け入れてもらえるように」
「ウェイン様……」
「少しずつ、互いのことを理解していこう」
持ち上げた手の指を解き、手のひらを重ねる。
「だから今夜は、安心しておやすみ」
手の甲に触れるくらいの優しいキスを残して、ウェインは部屋を後にした。
灯りの消えた部屋で、セレシアは頭まで布団を被り、寝返りを打つ。
今夜は、眠れなさそうだ。
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