7.私が、私のままで

「ごめんね、あなたも疲れているでしょうに……」



 湯上りの髪を梳ってくれるメイへ、鏡越しに声をかける。彼女の目の下には疲労の色がありありと現れていた。


 剣の稽古を通してある程度鍛えている自分と、戦いからは縁の遠い彼女とでは、蓄積の度合いもまるで違う。まして惨劇を目の当たりにしたのだ、心身ともに精いっぱいだろう。



「お気遣いありがとうございます。けれど、姫様の御髪を放っておく方が、余計寝付けませんよ」



 先に休んで構わないと申し付けたのだけれど、結局、湯浴みに手入れにと、彼女に甘えてしまった。



「お姉様たちと違って、私はほどほどでいいのよ? なんたって私は、『お飾り王女』なんだから」

「同時に、『黒騎士』様でもあらせられる?」



 内緒話をするような耳打ちに、セレシアは苦笑する。



「やっぱバレるか。ま、あんなこと言っちゃえばねえ」


――安心してくれ、メイ。必ず私が貴女を守るよ。



 あれは不慮の事故だった。



「もちろん内密に致しますし、姫様が『サンノエルの黒騎士』だから、お世話をしているわけではありませんよ?」

「ふふ、そこは疑ってないわ。ありがとう」

「ですが、どうしてあのようなお言葉を? 私を落ち着かせるためですか?」

「それもあるんだけどねえ、なんていうかこう、切り替えが必要なのよ」



 そう、アレはいわばルーティンだ。

 セレシア・サンノエルとして振る舞う時は、王女としてのそれを求められる。そして『サンノエルの黒騎士』として動く際は、正体が王女であることを民たちに悟られてはならない。


 だからこその男装。だからこそ男性口調。その点は、サンノエルの方針は隠れ蓑に打ってつけだった。



「女のままじゃ剣を振るえないっていう、変な引け目もあるのかしらね」



 長年向けられてきた呪詛たちは、心の底に沈殿して、すっかり固まってしまった。


 そこから抜け出したいと泣き喚けば、涙に濡れた地層は底なしの泥沼と化し、心を絡め捕ってしまう。

 泣かないように努めているうちに、いつしか、どう泣けばいいかも忘れてしまった。



「ここはもう、サンノエルではありません」

「うん?」

「姫様が姫様のままで、自分らしく振る舞える日が来るといいですね」



 祈るように目を細くするメイに、セレシアはハッと息を呑んだ。



「私が、私のままで……」


――存外、セレシア殿が『黒騎士』だったりしてな。



 本当にそうなのだと告げたら、彼はどんな顔をするのだろう。

 受け入れてくれるのだろうか。認めてくれるだろうか。あるいは。


――剣を執るのに、性は関係ないだろう。


 剣の腕自体は認めてくれたとしても、妻としては放り出されるのではないだろうか。



「(耐えられる、かな……)」



 女としての在り方には背いても、女を捨てたつもりはない。『黒騎士』という仮面の内側にある泣き腫らした心は、今にも張り裂けそうになっている。


 でも、ウェイン殿下なら……。



「――失礼する、セレシア殿はご在室だろうか」

「うぇ、ウェイン殿下っ!?」



 不意のノックに、セレシアはびくりと肩を跳ねさせた。



「どどど、どうぞお入りください!」



 メイがドアを開けてウェインを迎える。

 彼は手に、やわらかく湯気をくゆらせるカップを載せたトレイを持っていた。



「安眠にいいというハーブティーを用意してもらったんだ。入っても?」

「殿下が御自ら……ありがとうございます」



 セレシアは頭を下げ、カップを受け取った。じわりと手のひらに伝わってくる熱に、強張った体がほぐれていく。

 ウェインは、一礼をして席を外そうとしたメイも引き留め、トレイを差し出した。



「わ、私にですか……!?」

「もちろん。メイさんといったか。不慣れな土地で苦労することも多いだろうが、これからもセレシア殿を頼む。困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ」

「も、もったいないお言葉、感謝致します!」



 メイはおっかなびっくりとカップを受け取り、逃げるように飛び出して行く。

 それをウェインはどこかきょとんとした顔で見送ってから、振り返った。



「セレシア殿、どこか優れないところはないか?」

「おかげさまで、人心地着くことができました」

「そうか。ならば良かった」



 ふっと相好を崩して、彼はセレシアの対面に座り、カップに口を付ける。



「すみません、お忙しいでしょうに」

「やりたくてやったことだ、気にしないでくれ。日中は慌ただしかったから、俺としても、セレシア殿の顔をよく見ておきたかったんだ」



 セレシアは息を呑んだ。思えば自分も、よく彼の顔を見る余裕がなかったと気付く。

 厳格で残忍な獅子王――事前に得ていたそれらの話は、今日だけですべて覆った。


 互いを目に焼き付けようとする視線が、甘く柔らかく交錯する。


――サンノエルの王女として、相応しく振る舞いなさい。



「(だーもう、解ってるってば!)」



 頭を振る。自分だって馬鹿じゃあない。私は政略結婚によって迎えられた妻で、そんな私の下へ殿方が――まして一国の王太子が――ただの見舞いで訪れるはずがない。


 ……ええい、ままよ!



「ウェイン様!」



 セレシアはカップを置いて立ち上がり、意を決してベッドに背中から飛び込むと、



「い、如何様にでも、お可愛がりくださいませ!」



 仰向けになって手足を投げ出した。

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