6.フィーネ・オルフェウス

 オルフェンスは都市全体を城塞のように囲っているが、サンノエルでいう王城に相当するものはなく、邸宅も国内に四ヶ所、そう遠くはない位置に別れているらしかった。


 国王と女王――ウェインの父母が住まう本邸と、第一王子のカイン、第二王子のウェインがそれぞれ住まう邸宅。そして引退した先代の王と孫娘――ウェインの妹が住まうものの四つ。

 そうやって別けているのは、城内が魔物に襲われた際、万が一にも王族が全滅することがないようにするためだという。



「大きい……」



 馬車から下りたセレシアの第一声は、溜め息混じりのものだった。

 振り返れば、くぐってきた門が見えないくらいの立派な前庭が拡がっている。足の向きを変えれば色が変わるというほどに色とりどりの花が咲き、ちょっとした自然公園と言われても遜色ない。



「とても美しいですね」

「ありがとう。庭師に伝えておこう」



 きっと喜ぶ。そう言ってウェインは目を細くした。蒼い宝玉のような瞳に、長い金の睫毛がフォーカスのようにかかる。

 そこへ、アヴォイドがぴょこっと顔を出した。



「ちょっと殿下! これ見て! サンノエルに伝わる殿下の顔ですって、やば、お腹痛い!」

「(げっ……!?)」



 彼がウェインに渡した紙に、セレシアはぎょっと目を剥いた。振り返れば、メイが気まずそうに何度も頭を下げているのが見える。



「これが、俺、か……?」



 ウェインの竪琴のような声が、はじめてくぐもった。

 それもそのはずだ。今ここにいる『金色の獅子王』――ウェイン・オルフェウスは、例の髭もじゃな似顔絵などとはまったく似つかない、精悍で麗しく、それでいて逞しい、まるで寓話に語られるような風格を纏っている御仁なのだから。



「まっっっっっことに申し訳ありません!」



 セレシアは半ばひったくるように紙を取り上げ、手早く紙の鳥を折ると、メイに向かって投げ飛ばした。



「どうやら殿下を見たことのない者が、音に聞く威光のみを基に描いたようでして……!」

「いいや、俺のような未熟者でも、ああも雄々しく想像してもらえるだと思うと、あれはあれで面白い」

「そういっていただけると……」



 気を取り直し、ウェインの先導で屋敷の敷居を跨いだセレシアたちは、そこでまた、あっと声を上げた。


 エントランスが花でいっぱいだったのだ。壁があらば所せましと花瓶が並べられ、上階へ続く階段には花のアーチが作られ、手すりも花飾りで調えられている。

 ここまでくるとお洒落なインテリアというより、いささか派手な祭の会場だ。


 セレシアが気圧されていると、不意に、隣でため息が漏れた。振り仰げば、ウェインが難しい顔で眉間を揉んでいる。



「おそらくこれは、フィーネの仕業だろう」

「フィーネ……」



 セレシアが名前を反芻しようとしたその時、上階からぱたぱたと足音が飛び込んできた。



「おいおい、ちょいとお早いお帰りが過ぎないか、兄上」



 階段の手すりから身を乗り出したのは、ウェインと面影の重なる顔立ちをした、修道服姿の少女だった。

 年のころは自分とどちらが上だろうか、流すままに遊ばせた長い髪は、子供らしい明朗さにも大人らしいさっぱりとした快活さにも受け取れる。



「まだ飾り付けの途中だったんだぜ? そこはほら、もっと時間かけてさ。町を案内して回るなり、カッフェで一服するなり、どっかしけ込むなり、エスコヲトしてくるところじゃないか」

「サンノエルから長旅をしてきたセレシア殿を連れ回せるものか。それに、今のセレシア殿と付き人には、迅速な休養が必要だよ」

「おや、何かあったのかい」



 階段を下りてくるフィーネの所作は、口調とは裏腹に気品が窺える。

 彼女は、ウェインから「魔の霧だ。殉職者も出ている」と聞かされると、表情を曇らせた。



「そうか、それは難儀だったね」



 祈るように数秒、目を閉じる。それから彼女は、セレシアに向き直った。



「お初にお目にかかる。手前、この国の聖女を務める、フィーネ・オルフェウスと申す者。どうぞよしなに、義姉上」

「セレシア・サンノエルです。こちらこそ、ふつつか者ではございますが……」

「いーやいや、ふつつか者だなんてとんでもない。兄上のような朴念仁の仕事人間、こっちが申し訳ないくらいさ」

「……フィーネ?」

「おっと口が滑った。それじゃあ私は日を改めるとするよ。落ち着いたら、町に繰り出してもてなさせておくれ」



 セレシアの手を取って握手をしたフィーネは、颯爽と踵を返し――たところで、ウェインの後ろ手に首根っこを捕えられ――そうになるのをひょいと躱すと、兄への小さなあかんべえを残して屋敷を出て行った。



「まったく……愚妹が失礼をした。姿が見えないところをみるに、うちの使用人たちも一枚噛んでいるな」



 ウェインが通路の奥を睨むと、人の動く気配がした。



「気持ちのいい方で、私は好きですよ。今度お会いした時には、飾り付けのお礼をしなければ」

「そう言ってもらえると助かる」



 鬼に成り切れない兄の顔で、ウェインは苦笑した。

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