第3話 離職
「よう来たなぁ!」
病室に入ると、愛文の祖父がそう愛文に声をかけた。
「お祖父ちゃん、久しぶり」
「愛文、仕事はどうなんだ? 楽しくやってるか?」
「……うぅ〜……」
「なんだ、なんかあったのか?」
「いや、けっこうブラックなところでね。いい人もいるんだけど」
「そうか」
祖父の柚吉は体を起こした。
「自分を大切にせぇよ。体壊したら元も子もない」
「うん。ありがとう、おじいちゃん」
「無理をせんといけんこともあるけど。でも、それが自分のためにならんかったら意味がないからなぁ」
柚吉は体を折って咳をした。
「大丈夫? おじいちゃん」
愛文は祖父の背中をさすった。こんなに小さかったかな、と少し思った。
「長生きしてよ、おじいちゃん」
「愛文が楽しく働けるようになるまでは生きたいもんだな」
そう柚吉は笑った。
愛文は相変わらずブラック企業に通っていた。残業は当たり前だった。美緒が向かいに座っているというそれだけで、色んな理不尽を耐えられる気がした。しかしそれは錯覚だった。愛文は倒れた。床に伸びた愛文の周りに、のろのろと人が集まってきた。気がついたら病院のベッドにいた。
「お兄ちゃん!」
ベッドの脇にいた由紀が思わず立ってこちらに身を乗り出した。
「お母さん、お兄ちゃん起きたよ!」
「そうね。愛文」
由紀の隣にいた愛文の母、須江が愛文の手を取った。
「あなた、今の仕事、まだ続けるつもりなの?」
「……だって、あそこしか受からなかったし」
「逃げたっていいのよ。生きるために仕事をしているのに、なんのための労働よ」
ぐっと言葉につまった。母の言うとおりだと思った。
「お父さん呼んでくる」
由紀が病室を出ていった。母は愛文の手を撫でた。
「私は、あなたが楽しく働けていたらそれでいいのよ。どうか無理をしないで」
愛文は悔やんだ。母を心配させてしまうなんて、息子としての甲斐性がない。
「……ごめんね、お母さん」
「謝ることなんてないのよ。あなたは私の大切な子どもなんだから」
医者には過労によるストレスだと告げられた。愛文は退院するまで考えていた。そして、今の会社を辞めるべきだと結論づけた。愛文は辞表を会社に提出した。
「お前なんてどこ行っても通用しないよ」
天宮はそう捨て台詞を吐いた。愛文は会社から出た。そして伸びをした。後先を考えずに辞めてしまった。でも悔いはない。後ろから足音が聞こえた。
「正門くん」
声だけで分かった。
「須藤さん」
「……今までお疲れ様。これからもがんばって」
「はい。ご指導ありがとうございました」
須藤さんとはそこで別れた。永遠の別れだと思った、その時は。まさか、飲み屋でまた再会するとは思わなかったのだ。俺は踵を返した。その夜のご飯は唐揚げだった。
正門愛文の愛と暴力と死と夢 はる @mahunna
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