第8話 唐の鎮将

 秋風に木々の梢から葉は落ちて、季節は冬を迎えようとしていた。


 夜になれば飛鳥宮に迫る山の奥から雄鹿の鳴き声が途切れ途切れに聞こえてくる。上げた蔀戸から差し込む月の光は葛城王の部屋の贅沢な調度を白々と染めていた。


 鎌子は灯火を夜風から避けるため、葛城王の脇に置かれた灯明を引き寄せた。間近に見る葛城王の横顔には生来の壮気を微かに損なう憂いがあった。


 三年弱に及ぶ水表の政に臨んだ葛城王は、飛鳥に戻ってからも夜の安息を取り戻せずにいた。葛城王には以前から気鬱を患う傾向がある。ふとした仕草に葛城王の憔悴を見て取った鎌子は、自分が王宮から退出する時間を遅らせて、夜更けてからも葛城王の呼び出しに応えられるよう常に備えていた。

 体調を崩しがちになっている蘇我連子の政務を肩代わりしているということもある。鎌子にとっては人がいなくなってからの方が捗る仕事も多く、夜遅くまで宮中に残ることは苦ではなかった。

 それに、夜が更けた宮中に葛城王と二人で語り合う時間はかつての百済宮でのひと時を思い出させた。


「遠智娘が残した子は鵜野皇女だけになってしまった」

 遠智娘は葛城王の最初の妃である。早くに亡くした寵姫を葛城王は忘れることはなかった。

「葛城王には他にも御子がおられましょう」

 鎌子が瓶子を持ち上げ傾けると葛城王は持っていた盃を差し出した。葛城王は酒を嗜んでも多くは飲まず、飲んで乱れることもない。ただ心を解すために酒を飲み、解した心の内を語れる相手が鎌子だった。

「そうはいっても、あれが残した子らが吾はいちばん愛おしい。せめて鵜野は健やかに長生きをしてほしい」

「鵜野皇女様は前の大王にも似て、とても御聡明です。大海人皇子を助け、いずれ必ず王族の要となるでしょう」

 葛城王は微笑を浮かべて鎌子を見た。

「鎌子はどうしても吾を大王にしたいようだ。早く大海人を皇太子に指名しろと鵜野に云われたか」

「そういうわけではありませんが、大王不在では唐や新羅との交渉が成り立ちません」

「それはそうだろうな」

 葛城王の即位について直截に語れるのも二人だけの時間に限られていた。

 葛城王は何人かの妃との間に子を成していても、正妃である倭姫との間には子が無い。大海人皇子は筑紫に妃を伴ったが倭姫は葛城王に同行せず、以前からずっと吉野宮に留まり続けて斉明天皇の龍神祭祀を引き継いでいる。

 鎌子の知らないところで斉明天皇と倭姫の間には何らかの了解があったようで葛城王もそれを知っている。だが鎌子にその内容が明かされていない以上、それは王族だけが共有する秘密だった。

 その秘密こそが葛城王の即位を遅らせているのだとしたら、鎌子にできることは何もない。もどかしい思いはあるが、葛城王の心情に寄り添うことが鎌子にできる唯一の事だった。


「鎌子、そういえば中臣も代替わりがあったのではなかったか」

「はい。国足が亡くなり、その息子である金に宗家の長の座が引き継がれました。これから朝廷の神祇は中臣金が司ることになります」

「鎌子の子には引き継がれなかったのか」

「我が子、史人は僧侶にすべく寺に修行に出しております。僧になれば中臣の神官にはなれません」

「だが内臣としての鎌子の業績は何らかの形で受け継がせたい」

「できれば神祇を担う中臣とは違う、新たな氏を賜りたいと思っています」

「臣に氏を与えることができるのは大王だけだ。やはり鎌子はどうしても吾を大王にするつもりだな」

 葛城王は、今度は抑え気味ではあっても声を上げて笑った。

 中天から傾き始めた月の光には金の色が混じり、地表近くを吹く風は枯草に微かに残る息吹を呼び起す。葛城王は改めて鎌子と正面から目を合わせた。

「吾が飛鳥から離れ筑紫で過ごしていた間に多くのことが変った。位を定め直し、政の基本的な決まり事を再確認しよう」


 年が明けて葛城王の称制三年目の二月に新たな位階が定められた。同時に葛城王が王位に就かないまま大海人皇子が実質の皇太子であることも公にされた。

 中臣の新たな長である中臣金は、新たな位階とともに氏上であることを認める太刀を葛城王から賜った。

「鎌子殿は内臣とはいえ中臣の長は自分です。そのことをお忘れなきよう」

 五十一歳の鎌子よりも二十は若い中臣金はそう言って肩をそびやかしたが、鎌子はその態度に取り立てて何か言うつもりもなく、ただ拱手して中臣金の言葉を受け流した。


 この月、半島では熊津城で唐、新羅、百済、そして倭の代表者らによる四か国会談が行われた。倭国からの出席者は使者のみで意見は求められず、ただその他の国の終戦後の方針について倭国の王に伝えることが課された。


 唐と新羅は以前から百済の旧領分割を巡って見解が分かれている。そう遠くないうちに唐と新羅の間で戦争が起きることは両者ともに予測していた。よってどちらも倭国を懐柔しようとする気配が強く、倭国に白村江の戦いの制裁処置を課することはなかった。


 ――新羅は唐と対峙せねばならなくなった時、背後で百済の残党が反乱を起こすことを警戒している。倭国が百済遺臣を引き取ることを強く要望する

 ――唐は来るべき新羅との決戦に備えている。倭国に新羅に対抗しうるだけの備えがあるのかを知りたい


 結果として、唐と新羅による合同の見解というよりも互いが牽制し合っていることが明白な要求が熊津城から倭国に伝えられた。葛城王は鎌子に二か国への対応を尋ねた。

「百済遺臣は筑紫でいったん引き取るとして、唐は倭国の何を検分するための使者を寄越すのだろうか」

「唐の将軍である劉仁願は倭国の軍事力を具体的に見極めたい、という思惑でしょう」

 白村江に先立ち、上毛野稚子や阿倍比羅夫が百済王城の周辺から新羅軍を掃討していたことは劉仁願の耳にも入っている。白村江での倭軍の不手際さに疑問がある、とも熊津城で倭国の使者に伝えたという。

「唐は倭国の軍事力が低いと判断すれば自ら攻め込み、筑紫を新羅攻略のための自軍の領地とするのではないだろうか」

「私もそのように考えます」

「鎌子、唐の使者を受け入れる前に筑紫の大野城の完成を急がせよ。筑紫から難波に到る海路にも城を築き、唐に倭国の軍事力を示さなければならない」

「分かりました。早急に筑紫へ使者を送ります」

 鎌子は部屋に控える舎人に使いの準備をするよう命じてから、また葛城王と相対した。

「それから葛城王、私はこれから唐や新羅との交渉に偽名ではなく実の名で対応することが必須となります。が、私の名の一字である子という字は唐や新羅においては軽んじられることがあると聞きました。よって私は名を鎌足と変えようと思います」

「……鎌子は名を変えるのか」

 鎌子は葛城王の口調に僅かな戸惑いがあることを感じとった。

「葛城王、何かご不満がございますか」

 一歩前に進み椅子に座る葛城王の側に寄ると、葛城王はやや見上げるようにして鎌子を見た。それはまだ今よりも背の低い少年だった頃の葛城王が鎌子に話しかけるときに見せた仕草に似ていた。葛城王も同じことを思ったようで、目元には昔を懐かしむかのように細められ、けれど口元にはどこか寂し気な微笑が浮かんでいた。

「鎌子の名は吾が長い間、馴染んでいた名だから。これからは中臣鎌足か。しばらく呼び間違えそうだ」



 新羅の要請を受け入れたため、三月になると半島から倭国へ多くの百済の臣や民がやってきた。その中には百済義慈王の息子である善光王もいて彼は難波の百済使節の館に入った。

 数十名いた百済の将校はそれぞれ百人程度の百済の民を統括する任務が与えられ、筑紫だけでなく吉備や播磨に住処が定められた。彼ら百済移民によって、倭国防御のための百済式山城が各地で造られていった。


 唐も倭国への対応を怠らなかった。百済鎮将となった劉仁願は、さっそく、郭務悰という役人を使者として倭国に遣わせると告げてきた。

「葛城王、未だ倭国の軍備は唐に示せるものではありません。使者は筑紫に留めさせます」

「筑紫の大野城は完成したのか」

「はい。百済移民のはたらきにより、大野城だけでなくかねてよりの構想だった水城もほぼ完成しております」

 水城は大きな堤の下に水堀を備えた巨大な防壁である。人も馬も溺れる深さの水をなみなみと湛えた水城は筑紫平野に威容をもって立ち塞がっていた。

「今回の使者は将である劉仁願が寄こしたもの、葛城王が面会に応じる必要はありません。将には臣である私が対応します。唐の皇帝の勅による使者を改めて寄こすようにと伝えましょう」


 鎌足は郭務悰を迎えるため、葛城王の了解を得て筑紫へと向かった。

 郭務悰は鎌足が白村江以前から通信をしていた官人である。柔らかな物腰の郭務悰は、鎌子との面会を喜んだ。

「これまでは文字だけでのやり取りでしたが、今こうして倭国内臣の鎌足様に会えたことは大変な光栄です。この湊はずいぶんと賑やかですね」

「筑紫は湊だけではありません。郭務悰殿にはぜひ倭国の水城を見ていただきたい」

「ありがとうございます。水城とはあの大きな堤の事でしょう。船の上からも見えました。随分と立派なものを造られたようで、これは唐の皇帝に報告せねばと思っていたのです」


 郭務悰は筑紫大宰に滞在している間、白村江前後の倭国の状況について鎌足の説明を受けた。

「仲郎もとい鎌足様からの書簡である程度のことは察しておりましたが、直接うかがうことで明らかになったこともございます。わたしが唐に戻って鎌足様から伺ったことを報告し、あらためて皇帝の勅名を受けた使者を倭国に送りましょう。さて、倭国は唐に何か望むことはございますか」

「唐の政治体制については学ぶことが多いと思っております。唐に学生を派遣したいのですがいかがでしょうか」

「唐は各地から留学生を受け入れております。倭国の留学生を拒むことなどありませんよ。……他には、例えば他国に求めることなどは」

 郭務悰はにこやかな表情のまま何気なく問うてきたが、それは注意が必要な極めて危うい質問だった。言葉を濁していても、郭務悰の云う他国とは新羅のことに他ならない。

「ございません。他国に求めることがあれば、倭国はその国と直接交渉を行います」

 鎌足が微笑を絶やさないまま応えると郭務悰は目をさらに細めた。

「おお、そうですか。今後何かあれば唐は倭国の助けとなりましょう。どうぞご遠慮なく」

 下手に答えれば倭国は唐に下る意思があると報告されかねない。かつての金春秋がそうだったように、人好きのする柔らかな物腰は外交を操るための手法である。鎌子は無言のままで拱手し、明確な返答を避けた。


 九月に倭国に来た郭務悰は筑紫で饗応を受けた後、海が安定するのを待って十二月に筑紫湊を発った。


 翌年、葛城王が飛鳥に戻って二年目となる称制四年の二月に、間人皇女がついに床を上げることなくその生涯を閉じた。

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