第9話 淡海の都
倭国が百済遺民を引き受けることを承諾すると、筑紫の湊には次々に百済の民を乗せた船がやってきた。祖国の土地を追われた農民だけでなく、百済朝廷の高官や武人も数多く混じる中に鬼室福信の近縁にあたる鬼室集斯がいた。
鬼室集斯とその家族や部下は筑紫から近江へと送られ、一族が離れることなく暮らせるよう配慮がなされた。
前年に倭国へやってきた唐の高官である郭務悰は、鎌足との対談の様子を唐の朝廷に伝えた。その頃の唐の実権は皇帝である高宗からその皇后である武照(則天武后)に移りつつあった。
武照は皇帝の名を借りて倭国へと使者を遣わす勅命を出し、総勢二百五十四人の使節団が倭国に向けて出発した。最高責任者に任命されたのは武官の劉徳高だったが、郭務悰もまた使者に再任されていた。
九月二十一日、大小十数隻の船からなる唐の使節団は筑紫湊に到着した。
使節団は筑紫大宰が用意した施設に入り、飛鳥からの許可を待った。前回、唐の皇帝の勅命を持たない郭務悰は飛鳥へ向かうことを許されず筑紫大宰で鎌足と会見するのみで帰国した。だが今回、唐の使節団は皇帝の勅命を受けている。十日ほどで飛鳥に向かう許可が下りた。
筑紫湊からは阿曇比羅夫の先導により内海(瀬戸内海)を通り難波湊へと向かうことになる。
航路の途中、周防、吉備、伊予の国々が海岸近くの小高い場所に築いた山城が一行の目に否が応でも入って来る。前もって筑紫から知らせを受けていたそれぞれの山城には甲冑を付けた兵がずらりと並び、矛や剣を陽光に光らせていた。
船が進む先、右手にも左手にも何処かの山城が視界に入らないことはない。
劉徳高は終日甲板に出てその様子を眺めていた。
「劉徳高様、たまには船室に降りてお休みください」
郭務悰の言葉にも軽く頷くのみで、劉徳高の目は海岸から離れない。無数の小島の影には船の影が見え隠れしていた。
「郭務悰殿、倭国が使う弓のことを何か聞いているか」
「いいえ。私は文官ゆえ武器のことは分かりません。ただこの距離、我が国の兵が使う大弓ならば矢はここまで届くでしょう」
劉徳高は郭務悰にちらりと視線を向けたが、再び目を海岸に向けた。その軽く寄せられた眉には歴戦の軍人の片鱗が覗いている。
劉徳高は郭務悰を見ることなく、
「百済王城付近から新羅兵を一掃した倭国の兵は、新羅にも百済にもいない強い馬を連れてきていたという。皆、一様に新しい剣を揃えていたとも。馬も剣もかつて百済が倭国に伝えたものだ。一度技術を取り込めば、それを自分のものとして工夫し鍛え上げることに倭国の民は長けているらしい」
「武をもって倭国を支配するのは少々考えものですな。下手に戦えば我らの兵器を上回るものが作られてしまうかもしれません」
「だから、か」
劉徳高はそこでようやく振り返り、つま先で甲板を叩いた。
「郭務悰殿の提案で文官ばかり二百人ほど連れてきたが、彼らが武の代わりになると考えての事か」
郭務悰は大きく頷いた。
「はい、その通りです」
「なぜ文が武に勝るのか」
「我が唐と国の作り方が同じならば、協議も調整も、国交のあらゆる場面で制度が共通しているという認識のもとで話を進めることができます。しかし国の成り立ちが違えばその話し合いでさえ難しい」
「倭国を唐と似た国にするのが目的か。倭国はそれを大人しく了承するのか」
「唐と似た国になることが今の倭国の目標です。倭国の有力な臣である中臣鎌足は、倭国が唐と同様の国となるための手助けを頼んできました。大変好都合です。この機を逃すわけにはいきません」
「真似をされれば危うい武器とは違い、国を治める律令は真似されることで相手を支配することにもなるというわけか」
「はい。ですのでどうぞ文官の我らに倭国の支配をお任せください。劉徳高様はゆるりと倭国の景色や饗応をお楽しみいただければと思います」
郭務悰が手で合図をすると武官が二人の元に酒器を持ってきた。劉徳高は郭務悰が差し出す盃を受け取り、船の行く手を見ながら飲み干した。
難波湊に到着し、数日滞在した唐の使節団は十月下旬に飛鳥に向かった。
使節団を飛鳥後岡本宮で出迎えたのは鎌足だった。前年、右大臣だった蘇我連子が亡くなって左右の大臣が不在となった状況で、内臣である鎌足が王族に次ぐ権威のある臣となっていた。
後岡本宮は斉明天皇が十年前に造らせた宮殿である。檜皮葺の大きな屋根をもついくつかの建物は優雅だが、百済の工人が造る山城のような堅牢さは皆無である。鎌足は唐の使者がそれとなく宮殿の様子を観察していることには何も言わず、淡々と対応した。それどころではないほどの予定を郭務悰と事前に打ち合わせていたのである。
劉徳高が連れてきた唐の使節団二百五十四人のほとんどが官人だった。これは前もって鎌足が郭務悰に依頼していたことである。
「さて鎌足殿、さっそく取り掛かりましょうか」
「どうぞお願いいたします。まずは大学寮の方へご案内いたしましょう」
劉徳高が旅の疲れを癒す間、郭務悰は鎌足の案内で大学寮へと招かれた。唐の政治や国の在り方を学生に講義するためである。通訳を交えながらの講義の合間に、郭務悰が連れてきた唐の官人は文書の整理のしかたに始まり、律令のしくみ、地方政治のしくみ、文化芸術様々なものを大学寮の学生や倭の官人に伝えた。
鎌足が葛城王に頼んで設けてもらった十日ほどの期間はあっという間に過ぎた。
「郭務悰殿、ありがとうございました。けれどやはり短いですね、もっとお話を伺いたいことがあります」
「倭国の官人は優秀ですがまだ知識が足りていません。実際に接して見て必要なものが分かりました。唐の書物をいくつか用意して倭国に送りましょう」
「唐に戻られる時に倭国から何人か連れていってください。彼らに持って帰らせましょう。それから文官である郭務悰殿にこのようなことをお願いしてよいのか分かりませんが、唐の兵器についても学びたいことがあります」
「それは……」
郭務悰は一度言葉を切ってから鎌足を正面から見て拱手した。
「劉徳高様にお話しておきましょう」
十一月十三日、唐の使者、劉徳高は王宮で葛城王と謁見した。
「倭国の王、葛城王様にお目通り叶い大変光栄です」
葛城王はかつて斉明天皇が座っていた王座から劉徳高を見下ろした。
「唐は百済を滅ぼした後に高句麗を狙っていると聞いたが、今はどのような状況になっている」
「ご存じかと思いますが、今年初めに高句麗の将軍、淵蓋蘇文が死亡しました。今、蘇文の息子たちが仲間割れを起こし高句麗の内部は崩壊寸前となっております。次の高句麗遠征で彼の国は唐のものとなるでしょう」
「次の高句麗遠征はいつ頃になる」
「私が唐を発った時にはすでに検討が始まっておりました。早くて今年の内でしょう」
「そうか。では高宗皇帝に武運があるようにと伝えてほしい」
劉徳高は拱手して感謝を示したのち、声を潜めた。
「……それから、これは武照様からですが、葛城王は未だ倭国の大王の座を継がれていないとのこと。倭国に大王不在ならば唐がしかるべき人物を派遣しようとおおせでした」
「その必要はない」
葛城王は冷静に申し出を拒否した。
「劉徳高、長旅をご苦労だった。唐へ帰る時に倭国から唐への使者を付ける。王都まで彼らを送り届けてほしい」
葛城王はそう云うと王座を立って謁見を終えた。
劉徳高ら唐の使節団は饗応を受けた後、すみやかに筑紫湊へと送り返された。
十二月に劉徳高らは筑紫湊を発って唐へと帰っていった。
年が明けてからは唐の攻撃の気配を察した高句麗から頻繁に使者が来るようになったが、倭国は援軍を拒否し続けた。
他国に余計な干渉をしなければ巻き込まれることもない。
ようやく倭国の内政に注力できる環境が整い始め、葛城王は斉明天皇をはじめとする王族の陵を次々と造っていった。
かつて蘇我氏が栄華を誇った甘樫丘の上からは飛鳥の地が一望できる。
「父上の陵はあの北の山の端に造られている。母上と間人の陵はあちらの谷に、我が子である健皇子と太田媛も母上の近くに葬った」
葛城王は傍らに立つ鎌足に王族の陵を一つ一つ指し示す。
「飛鳥の地はまるで吾の家族の墓地の様だ。……ここに吾の陵を作る場所はあるのだろうか」
力なく下ろされた葛城王の腕の先、その手の甲に鎌足は軽く指を触れた。
「葛城王」
「……吾は大丈夫だ。鎌足、ここから都を移そう。どこか良い場所はないか」
「近江淡海はいかがでしょうか」
葛城王の目には困惑が浮かんだ。
「近江淡海は母上と縁が深い地だ。なぜそこを勧めるのか」
「淡海の北は山一つ越えれば海があります。かつて高句麗の使者がその海からやってきました。新羅との関係が悪化した時、新羅近海を通らずに高句麗や唐と連絡を取ることができます。敦賀の阿倍比羅夫殿の領地にも近く、海路の案内にも事欠かないでしょう」
「外に開く湊を筑紫だけでなく、敦賀にも設けようという考えか。それは面白い」
葛城王の表情に明るさが戻り、鎌足は安堵した。
「葛城王、難波と近江の間の山科は古くからの中臣の地、私の領地があります。近江の地は必ず中臣が、私が守ります」
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