第3話 唐牡丹の衝立

 鎌子は各地に馬の徴用を命じた木簡を書き上げたが、上毛野氏へ宛てたものには自分の署名を抜いた。そして別の文書を紙に書いて添え、戸口に控える舎人に託した。

「この書を蘇我連大臣そがのむらじのおおまえつきみの館に持っていき、蘇我殿の名で上毛野氏に送って頂くようお願い申し上げろ。大功ある上毛野氏に私が命ずるのは失礼にあたる、由緒正しき朝廷の大臣である蘇我殿にお願いしたいのだと忘れなく伝えるように」

「分かりました。では早急に」

 鎌子の使いになれている舎人はすみやかにその場を去った。


 蘇我氏は十六年前に葛城王によって宗家を滅ぼされた。だが傍家は残り、今も一族の蘇我連子そがのむらじこは大臣として朝廷の名家の名を維持し続けていた。


 一方で鎌子の出自である中臣は倭王の祭祀を執り行う一族である。

 祭祀とはいっても鹿の骨を用いた太占の法によって吉凶を占う術が主流なので、権力を持たず位も低い。かつては名家の物部氏と肩を並べる権勢を手に入れたこともあったが、当時の中臣の長は蘇我氏との争いに負けて滅ぼされている。


 それ以降、政治の表舞台から立ちのいて久しい中臣氏出自の鎌子が、葛城王の信任を得ていることに反感を持つ昔からの臣は少なくない。

 鎌子が左右の大臣に並ぶ内臣である以上、表立って何か云うものはいないが、内臣という地位そのものが鎌子のために誂られたようなものである。面白くない筈がない。

 鎌子への反感はある程度仕方ないものではあったが、それを葛城王への不満として表す者には対応する必要があった。


 そのため有力豪族へ葛城王の命令を伝えるときは、その豪族と肩を並べる家柄の豪族の長に依頼するという段階を鎌子は必ず行っていた。上毛野氏への馬の徴用の命令を蘇我氏に依頼したのがそれである。


 この煩雑な段取りを煩わしく思っているのは、鎌子よりもむしろ葛城王その人の方だった。葛城王は鎌子の位を上げ、領地を与えて朝廷での中臣の権力の底上げを図っているのだが、当の鎌子自身に権力への固執はなかった。

 日々あまりにも難題が多すぎるのがその一因だ。そして鎌子に多くの難題をもたらすのが葛城王なのである。


 鎌子は信濃と常陸に宛てた木簡に自署を入れた。この二方は鎌子の指示で直ぐに動いてくれる信頼がある。馬の徴用を命じた木簡を全て伝令に託し終えると鎌子はすぐに外出の身支度を始めた。

「河内に行く。馬の支度を頼む」

 鎌子は部屋に侍っていた自らの従者にそう命じた。


 木簡に記した指示に応じて各地から馬が集まったとして、それらの馬をどこに置くのか。

 飛鳥宮にそれほどの数の馬を収容するうまやは無い。数百頭の馬を入れる即席の牧と、それらの馬を飼養する馬飼うまかいの人手を確保しなければならなかった。


 飛鳥宮の最も近くに拠点を構える馬飼の民は倭馬飼やまとうまかいと呼ばれる集団である。

 だが倭馬飼はむかしから蘇我氏の庇護を受けている。乙巳の変で蘇我入鹿が葛城王自身に弑されてから、朝廷と倭馬飼には隠微なわだかまりが生じていた。百済からの移民が多く在しているということも現在の状況からすると好ましくない。


 鎌子の頭には生駒山地を超えた向こう側に拠点を持つ河内馬飼かわちうまかいの存在があった。河内は乙巳の変で葛城王に貢献した阿倍氏の拠点であり、鎌子が阿倍氏の紹介で先の孝徳天皇に初めて謁見した場所でもあった。

 当時、軽皇子と名乗っていた孝徳天皇は、阿倍氏の拠点近くの邸宅で蘇我氏打倒の機会をうかがっていた。


 あの時から今に至るまで、すべての物事は一つの方向に向けて流れ続けている。


 宮廷内の官人がいつもより少ないことを理由に、鎌子は自ら馬を駆って河内へ向かうことにした。


 静かな飛鳥の宮廷の石畳には雪が積もっていた。

 く、く、と歩を進める度に雪が鳴った。肩に掛けた鹿皮と脛までを覆う靴が雪の冷たさを和らげたが、冷気は容赦なく身体の内に沁みてくる。

 厩から馬が引き出されて来るのを待つ間、鎌子が巡らせた視線の先に官人が詰める長屋が見えた。


 白い雪。

 過去、ここ飛鳥宮よりも北に置かれた百済宮でも同じような長屋の窓から雪を眺めたことがあった。この世の全ての音を覆い尽くす雪景色に、その時傍らにいたもう一人の人物の面影が甦った。



――「お前は誰だ」


 それは二十年前、冬が間近に迫る秋の日のことだった。あの日、鎌子は学問の師である南淵請安の代理で宮廷の南東にある長屋の一室にいた。


 遣唐使としての任務を終えて帰ってきた南淵には膨大な報告書を王に献上する任務があった。慣れがあるとはいえ数十年の長きにわたってこの任務を歴任してきた老人にとっては重い仕事だった。


「文字は口述で誰かに書かせるとして、年寄りにはあの大井宮まで行くのが一苦労だ。着いたところで宮の石畳を長々と歩くのは辛い。鎌子、わしの代わりに報告書を持って宮廷に行ってくれ」

 南淵の私邸で、唐から持ち帰った青銅の火鉢に惜しげなく炭をくべ年若い弟子に足をさすらせながら南淵は鎌子にそう頼んできた。


 先の推古天皇は長らく飛鳥に都を置き、その推古天皇に仕えた南淵は当時の宮である飛鳥小墾田宮に近く邸宅を構えていた。今の舒明天皇は都をさらに北の百済大井宮に移していたが、南淵にはもう王を追って新たな邸宅を建てる気がなかった。


「私でも良いのでしょうか」

 家業を継がなかった鎌子に宮廷での役職は無い。だが南淵は手の平をひらひらと横に振った。

「良い、良い。わしの塾におぬし以上の適任はおらんだろう」


 南淵が営む塾は官人を養成するための私塾である。多くの豪族の子弟がここで学び、宮廷での役職に就いている。かつては蘇我入鹿もここで学んでその才を認められていた。だが入鹿がそうだった様に、ほとんどの者は仕官が決まると塾に来なくなる。


 仕官の当てのない鎌子は塾に通い続けて、いつしか最年長の一人になっていた。いずれ学問で身を立てたいとは思っていても不安を感じることが無かったといえば噓になる。そんな状況での代理の話は、南淵に後継者として認められている、そんな自負を鎌子に与えた。


 数日後、鎌子は南淵に貰った唐様の衣服を身に付け、木簡数巻を携えて秋風の中を宮城へと向かった。塾の門弟一人が随行し、馬に乗っての道行きだった。

 

 南淵の紹介状の権威は大きく、宮殿の南大門を入ってすぐに官人に名を呼ばれた。南淵から預かった木簡を預けると、しばらく宮廷内で待機するように言われた。

「南淵先生の報告書を王は楽しみにしておられる。公では数日後に受領の報せが出るが、その前に目を通して個人的に質問をしておきたいとのご希望だ」

 身なりからして王に仕える近習は、そう云って鎌子を宮廷の隅にある長屋の一室に案内した。

「ここは南淵先生が使われていた部屋だ。一晩ぐらいは泊まれるだろう、ここで待ちなさい。何かあれば舎人に伝えるように」

 近習はそのまま部屋には入らず、石畳の上を足早に歩き去った。


「……一晩は泊まる覚悟か」

 思わずそう呟きながら鎌子が戸を開けて部屋の中に入ると、南淵が私邸で使っているものと同じ香の匂いが微かに漂ってきた。卓に置かれたままの木簡や書物、唐風の家具にも南淵の気配がある。ここは間違いなく南淵が執務していた部屋だった。


 埃が積もってる様子もない。南淵が留守の間もこの部屋には人の手が入っていたことを伺わせた。卓の椅子を引いて座る前に、入り口の戸の脇に作り付けの書棚が目に入った。時間を潰すための書物を書棚から見繕おうと部屋を横切って近づいた、その時、鎌子は部屋の奥に立てられている衝立に気づいた。


 華やかな牡丹が描かれた唐の衝立。その影に座面の低い椅子が置かれているようだった。見える限りでは長椅子のようだ。南淵がここで寝泊まりした時に使っていた物だろうか。

 鎌子が何の気なしに衝立の向こうを覗き込むと、長椅子の上には思いがけず先客がいた。


 最初に目に入ったのは白い衣だった。

 白い袍の上に白い貫頭衣を重ね、足には鹿の革でできた柔らかそうな靴を履いている。

 艶やかな漆塗に螺鈿の飾りも華やかな長椅子の上、黒髪をみずらに結わえた少年がのびのびと体を横たえて熟睡していた。

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