237 守るべきもの


「……じゃぁ、今度は俺のおすすめの露店を教えますよ。ここにきて6日間、いろんなものを食いましたから!!」

「あはっ! それは楽しみ!」


 ファーニャは目を輝かせた。

 賑やかな市場を進む中、売り子たちが声を張り上げ、スパイスの香りが漂ってくる。

 活気の中に身を置くファーニャは、普段の盟主としての立場を忘れ、ひとりの女性としての顔を見せていた。


「ここだよ」


 ロランが指を指して満足げに笑うと、ファーニャの瞳はさらに輝きを増した。


「この街一のパン包みだ」

「早く食べたい!」


 店主が陽気に迎え入れ、すぐに注文を受けて手際よく調理を始めた。


「これを食べたらぶっとぶぜ!」


 一行は露店の小さなテーブルでケバブ風のパン包みを手にしていた。

 炎で炙られた肉は外はカリッと、中は驚くほどジューシー。

 独特な香りを放つスパイスが絡み合い、口の中で溶けるように広がった。

 新鮮なオニョンやシャキシャキのレスタが、肉の旨みを絶妙に引き立てている。


「冒険者らしい味付け! 気に入った!」

「ここは名店ですよね」

「クルバルっ! あなた、ここを知ってたの!?」

「え、えぇ……非番の時に少し……」

「私に黙ってこんなおいしいものを食べていただなんて!」


 クルバルは苦笑いを浮かべ、ケバブを口に運びながら、渋く頷いた。


「いや、その……そんな大したことでは……」


 寡黙な彼がこうして弁解するのは珍しい光景だったが、ロランはそのやり取りを微笑ましく眺めていた。

 その日の彼らは、バイユールの活気に満ちた商店街を歩きながら、あちこちの露店で食べ物を楽しんでいた。

 市場のいたるところで聞こえる音楽や、香辛料の香りが彼らを包み込み、食の冒険心を掻き立てた。


「……味も最高だけど、と一緒に食べると、こんなにも美味しいんだね」


 ファーニャはふと呟いた。

 目を閉じ、しばしその味わいと時間を堪能する。


「へへっ、気に入ってくれて何よりだ」


 ロランは肩をすくめて、少し照れたように笑った。


 ファーニャは澄んだ青空を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。

 心地よい風が髪を揺らし、その顔には純粋な幸福が溢れていた。


 そんな彼女を見つめるクルバルは、ふっと笑みをこぼす。

 彼もまた、その瞬間を心の中で噛み締めていた。


「……ロランさん、私の血盟クランに入ってもらえない?」


 突然のファーニャの提案に、ロランは思わず彼女を見つめた。

 驚きの表情が隠しきれない。

 市場の喧騒が遠くへ消え去ったかのように、彼の心は一瞬静寂に包まれる。


血盟クランに……?」


 ファーニャの提案の重さを感じ取り、その意味を深く考える。

 血盟とはただの仲間以上のもの、家族のような存在だ。

 共に命を預け合い、どんな危険にも立ち向かう覚悟を持つ者たちの集まり。

 その誘いが、自分に向けられたということが、ロランに大きな衝撃を与えた。


「……ロランさんは慎重で頼りになる。クルバルもそう思うでしょ?」


 ファーニャは軽く笑みを浮かべてクルバルを見る。

 クルバルは無言で頷き、その瞳にはロランへの信頼が宿っていた。


 ロランがすぐに答えないのを見て、ファーニャは少しためらいながら再び口を開いた。


「……『豊穣の風』は、解体の危機にあるの」


 ロランの心がはっと動揺する。


「あの日から、全てが変わった。父はもう続ける意味はないと言った。でも、私はどうしても諦めたくない。皆の命を懸けたこの血盟クランを、簡単には終わらせられないの……」


 その声には決意と共に、深い苦悩も滲んでいた。


「だから、お父様と交渉したの。……コーヴィルさんが紹介してくれた冒険者、つまりロランさんを迎え入れることを条件に、解体を取りやめるって」


 彼女の言葉のに、ロランの心は乱される。


《コーヴィルさんは、俺を囲い込むために……!?》


 彼女が一歩引いた態度を取っていた理由、そしてロランに対するもてなしの意図が読めたような気がした。

 冒険仲間、同世代の友人になるように招かれたと思っていたが、思わぬ真実に胸の内がざわつく。

 だが、同時にこの異常に高い評価にも違和感が残る。


{{……ロラン、あなたを低く見積もるつもりはありませんが、虫草や試験の合格だけであなたの資質を見抜いたとは考えにくいんですよね……}}

《実は漂流者だってバレてたり……》

{{そこまでは見抜いていないとは思いたいですが……。あなたを単なる冒険者として見ていないのは確かでしょうね。コーヴィルさんは何か大きな目的を持っているのかもしれません……}}


 ロランは胸に膨らむ疑念を抑えつつ、ファーニャを見た。


「……最初は、あなたがどんな人か分からなかったから……冷たくしてしまったけれど、今は違う。あなたと一緒なら、血盟クランをまた立て直すことができると信じているの」


 彼女の視線は真っ直ぐで、そこには策略の影は見当たらない。

 ただ、彼女自身の覚悟と期待が詰まっているだけだった。


《エリクシル、この誘いはどう思う?》

{{ファーニャさんの血盟クランは、豪商の支援を受けられるという大きな魅力があります。ただ、その分、規律が伴い、自由が制限されるリスクもあります}}


 ロランは心の中でエリクシルの言葉を反芻し、すぐに次の質問を口にした。


《一度入ったら簡単に抜けられないってことか?》

{{はい。彼女の話しぶりから察するに、幹部候補として迎えるつもりでしょう。責任は重くなり、脱退は難しいでしょうね}}


《なるほど……そりゃ困るな》

{{はい。脱出を目指すなら、シャイアル町での自由な活動が柔軟で有益でしょうね}}

《そうか……。あっちにはもう協力者もいるしな》


 エリクシルの分析が示すように自分にはこの場で負うべき責任よりも大事な使命がある。

 ロランは冷静に自分の優先すべきことを思い出し、決意を固めた。


「……光栄です、ファーニャさん。……でも、俺にはしなければならないことがあるんです」


 ファーニャの瞳が一瞬揺らぐ。


「……そう、があるのね……」


 ロランは彼女の寂しそうな様子を見ながらも、自分の選択に迷いはなかった。


「はい、俺は明日ここを発ちます」


 彼女は苦い笑みを浮かべたが、その奥にある理解と決意が垣間見える。

 クルバルが静かに立ち上がり、ロランの肩に手を置いた。


「……助けが必要な時は、いつでも連絡してください」


 その言葉には優しさが込められていた。

 ロランは彼らの気遣いに感謝し、また目の前の食事を見つめた。

 市場の喧騒が戻り、風が彼の髪を揺らした。


「ありがとう、今は……ただ、この瞬間を楽しみたい」


 ロランの言葉にファーニャも笑顔を返し、再び3人は穏やかな時間を楽しんだ。

 この一瞬が、彼らの心に深く刻まれることは、誰もが知っていた。


 ――食事代    50ルース

 ――所持金19,245ルース

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