236 深淵の真実


「お父様は図書館に多額の寄付をしているから、私にはその権利があるの。さあ、行きましょう」


 図書館に入ると司書がファーニャを見て驚き、立ち上がった。


「ファーニャ様! これはご無沙汰しております!」

「今日は禁書庫を使わせてもらうわ」


 ロランはそのやりとりを黙って見守る。

 司書と目が合い、相手の戸惑いが一瞬読み取れた。


「あ、いらっしゃいませ……」

「……そういえばロランさん、図書館で勉強していたことがあったと言ってましたね」


 司書は恐れ多い表情でファーニャの顔をうかがう。


「ファーニャ様、彼とはどういった関係で……?」

「友人よ、彼も禁書庫に入ります」

「ご友人……ですか」


 司書は驚きながらも頷く。

 ロランの顔をまじまじと見て、なにやら考えているようだ。


「構わない?」

「…………は、はいっ! どうぞっ、こちらへ!」


 司書は思考を中断すると、禁書庫への案内をし、厳重な扉の鍵を開けた。

 禁書庫の中は、古びた本と巻物が棚にびっしりと並んでいる。


{{ロラン、資料を漁る際は慎重に。目的のものだけでなく、他の手がかりも確認してください}}


 禁書庫の中、古びた本や巻物がびっしりと並ぶ重厚な棚を前にして、3人は手分けして資料を漁り始めた。

 ロランは一冊一枚を手に取り、エリクシルの指示に従い速読スキャンを進めていた。


{{ここはお宝の山ですね……!}}

《お気に召して良かったよ》


 なかには錬金術のレシピらしきものや、古代の魔物について、異端の魔法書の記録、天文学に関する資料まである。


{{有用な情報はこちらでアーカイブ化しておきます。今は目的の情報を探しましょう}}

《わかった》


 ロランは異様な速度でページをめくり、その動きはあまりにも速すぎて、一瞬のうちに本を閉じて次に移る。

 クルバルがその様子を横目で見て、眉をひそめた。


「……ロランさん、読んでいるのか?」


 ロランは一瞬だけ手を止め、クルバルの方を見やり、軽く肩をすくめた。


「ええ、まあ……。訓練の賜物ってやつです」


 クルバルは怪訝そうに眉をひそめたが、深くは追及しなかった。

 ファーニャもその様子を見て軽く微笑む。


「ロランさん、その速さ、ただ者じゃないわね。速読のスキルを持っているの?」

「あぁ、えーっと、そうです」

「あら、本当に。すごいわね!」


 しばらく読み漁り貴重な資料のアーカイブ化を進めていると、エリクシルからの無声通信が入った。


{{ロラン、左の棚に『異界の巡礼録』というものがあります。ダンジョンについての手掛かりがあるかもしれません}}

《了解、エリクシル》


 ロランは指示された通りに古びた巻物を手に取り、中を開くと心の奥底がざわつくのを感じた。

 黒く掠れた文字に刻まれた言葉が、深い闇の中で囁かれているような錯覚を覚える。


 ページには『黒き触腕』や『深淵の神』という単語が踊り、読まれることを待ち構えていたかのように情報が浮かび上がる。


「これだ……! 『暗き淵の巡視者アビサリス』の記述、間違いない……黒い蔓のことも書かれている!」


 ロランが声を上げると、司書が鋭く反応して顔を覗かせた。


「静かにお願いします!」

「すみません……」


 ファーニャとクルバルも、ロランの見つけた巻物に目を向ける。

 彼らの視線が交錯し、禁書庫の空気が一層重くなった。


 …記すは邪なる影に覆われし巡視者たちの名…

 見よ、迷いし者よ、心せよ…彼らの行いと、その代償を…


 かの者、アビサリスの名を冠する暗き淵の巡視者…

 闇より生を受け、深淵へと還る…

 夜の帳に身を潜め、深淵の神…■■■■■■(黒塗りされて読めない)の啓示を乞う

 目覚めし黒き触腕…深淵の触穂は地上を呑み、魂を堕落へと誘う

 終焉は静かに訪れん…


「……これが、黒い蔓の正体なのね……」

「『深淵の触穂』……まさに、俺たちが見たものそのままですね」

「終焉は静かに訪れん……か」


 3人は、顔に緊張の色を浮かべ、クルバルが低く呟くと、その場の空気はさらに重くなった。


「……『暗き淵の巡視者アビサリス』……聞いたこともないわ。黙示録みたいだけど、クルバル、何か知ってる?」


 ファーニャの声にクルバルは眉をひそめ、肩をすくめて答えた。


「いえ、俺は宗教や秘儀の類は詳しくないもので……」

《宗教……どう考えてもカルト教っぽいもんな……》

{{確かにその可能性は高いです}}


 ロランの心の中で疑問が渦巻く中、ファーニャは巻物を睨むように見つめた。


「……黒塗りの深淵の神、名前もわからないんじゃお手上げね」

「はい、お嬢様。手出し無用で願います」


 彼女の指がページをなぞるたび、古びた紙が微かにきしむ。

 クルバルもこれ以上は調べがつかない、と諦めた表情を浮かべている。

 ロランは深淵という言葉に込められた重みを感じ取りながら、つい問いかけた。


「深淵ってやっぱりダンジョンのことなんですか? そこにも神っているんですか……?」


 ファーニャは神妙な顔つきで彼を見つめ返す。


「ヒューム族のあなたにも生まれた時の抱擁は感じられたはずよ? 神はすべての場所に存在する。地上でも、地下でも、そしてヒトの心の中にも」

「あ、そうか……そうでした……」


 コスタンに教えられたこの世の神、種族ごとに見た目が異なるという。

 神はなにすることなく、生を受けたときに抱擁を授ける。

 その記憶は決して色褪せることはない。


{{ダンジョンに神が宿るという考え……これは興味深いですね}}

《エリクシル、ファーニャさんが言ってることって、その辺の石ころにも神が宿るみたいな話だよな》

{{例としてネオニホンの八百万の神々と通じる思想、アニミズムのことですね。自然物すべてに神霊が宿るとされていましたから}}

《やお? さっぱりわかんね……。とりあえず、異形の者はダンジョンの神で間違いないってことか……》

{{わたしたちはあの深淵、つまり神の領域に招待されたと考えられますね}}


(いったい何のために……)


 ーー魂を堕落へと誘う。

 巻物の一文が思い起こされ、ロランの肌が粟立つのを感じる。


 ファーニャは怪訝な表情をしたロランをおかしな目で見つめている。

 それに気付いたロランは誤魔化すように笑うと、静まり返った禁書庫で彼の腹が小さく鳴った。

 沈黙が一瞬破られ、ファーニャはふっと笑みを浮かべた。


「もうお昼ね。冒険者は空腹では戦え勉強できないんでしょ?」

「そうですね……お恥ずかしい……」

「あっ、そういえば露店の食事を食べたいと思ってたの! そういうところでは食べさせてもらえなかったし!!」


 ロランはチラリとクルバルを見る。


(咎めないあたり、露店はオッケーなのか……。てか、ちょっと嬉しそうにしてるなこのヒト)


{{すべての資料に目を通すことはできませんでしたが、仕方ありませんね}}

《あぁ、これくらいで我慢してくれ》


「……じゃぁ、今度は俺のおすすめの露店を教えますよ。ここにきて6日間、いろんなものを食いましたから!!」

「あはっ! それは楽しみ!」

「行きましょう!」


 ファーニャは手を叩き、目を輝かせた。


 ――所持金19,275ルース(図書館、顔パス)

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