異変
231 信じる力
「クルバル、ロランさんはそう言ってるけど、あなたはどう思う?」
クルバルは一瞬迷うように口をつぐんだが、やがて静かに答えた。
「俺はファーニャ様に従い御身を守るのみです」
「そういう形式的な答えはいいの、クルバル。私は……あなたの本当の気持ちを聞きたいのよ」
クルバルは視線を少し伏せ、苦悩の色を浮かべた。
彼の表情には葛藤が見える。
「……俺はお嬢様に絶対に死んで欲しくありません。多少の無茶は俺が何とかしますが、タロンの主との戦い以降、御身を守り切れるか自信が揺らいでしまったんです……。カディン様にも申し訳が立たない」
その言葉には、これまで隠していた彼の不安と後悔が込められていた。
タロンの主との戦いが、彼にも深い傷を残したことは明らかだった。
それでも、クルバルはファーニャを守るという誓いを捨てることはなかった。
「そう……」
ファーニャはその言葉に一瞬顔をしかめたが、すぐに視線をそらした。
彼の告白に向き合うことを避けるように。
濃い霧が周囲を包み込む中、焚火の光だけが彼らを照らしている。
ロランはその場面を見つめ、エリクシルの声に耳を傾ける。
{{クルバルさん、彼はきっと、もっと強く言いたいことがあるのでしょうが、ファーニャさんとの関係を崩したくないのでしょうね}}
《……でも、それってファーニャさんがまた無茶をして危険な目に遭うかもしれないってことだろ? クルバルさん、自分で言わないのはまずいんじゃないか?》
{{彼はファーニャさんを守りたいという思いと、強く言えない立場の間で板挟みになっているのでしょう。彼女の無謀さを知りつつ、それを正すことが難しいのです}}
《……そっか、だから俺に期待しているのかもな》
ロランはエリクシルの言葉を反芻しながら、じっと焚火を見つめる。
彼に求められている役割が、次第に明確になっていく気がした。
{{ロラン、装備に頼り切ったファーニャさんの蛮勇を諫め、地に足をつけた戦い方を説いてみてはどうでしょうか}}
《あぁ……》
ロランは焚火を見つめながら、過去の戦いを思い出していた。
ラクモから学んだこと、コスタンから受けた教え、そしてエリクシルと共に挑んできた数々の困難。
彼はその中で、『生き延びる』ことの意味を痛感してきた。
無駄な力を使わず、冷静に敵の動きを見極めて隙を突くことを学び、盾を使った防御と反撃の重要性を教わった。
勇敢さだけでは戦場では生き残れないことを、彼らから学んだのだ。
ロランはそんな思いを胸に、静かにファーニャに向かって口を開いた。
「ファーニャさん、俺たち冒険者にとって一番大事なのは、『生きて帰ること』なんです。名誉を追って無謀に戦うより、次の戦いに備える方がずっと価値がある。英雄や勇者に憧れるのもわかりますが、彼らも決して無謀なわけではないと思うんです」
彼女の中で、長い間描いていた英雄像がぐらついていくのを感じていた。
「装備が頼りになるのはわかります。でも、もしその装備が何かの理由で使えなくなったら……あなたはどうしますか?」
ファーニャはロランの言葉に動揺を隠せなかった。
彼女の中で、あの日の無鉄砲な遠征の記憶が蘇る。
名誉を追い、仲間の声を聞けなかったことの後悔が心をよぎる。
彼女は長い間、沈黙を守っていた。
クルバルはそんな彼女の小さくなった姿を不安げに見守る。
「………………私、ずっと完璧な英雄になりたいと思っていたの。でも、実際の私は……その理想とは程遠いんだって、今になってようやく気づいた」
その言葉には、これまで抑えていた感情と、自分の未熟さを認める苦しさが滲んでいた。
ファーニャは少し視線を落とし、再びロランを見つめる。
「私は名誉ばかりを追い求めて、仲間を信じることもできていなかった……」
ファーニャの声はかすかに震えていた。
目の前で炎が揺れるたび、彼女の心の中で蘇るのはあの日の光景だった。
「……考えないようにしていたけど、あの遠征は私のせいで失敗した……」
その言葉はこれまで抑え込んでいた後悔が溢れ出るように、彼女の口からこぼれ落ちた。
ロランはそんな彼女の姿を見て、静かに言葉を重ねる。
「でも、まだ間に合います。装備に頼るだけじゃなく、俺たちと連携して戦うことで、ファーニャさんの本当の力が引き出せるはずです」
ファーニャはその言葉を反芻し、深く息をついた。
彼の言葉に耳を傾けるうち、彼女の中に変化が生まれていた。
「……あなたたちが私の戦い方に不安を抱いているのは理解できたわ。私も完璧だなんて思っていない。でも、これからはもっとあなたたちと一緒に戦う方法を考えてみたい」
ロランはその言葉に微笑み、心の中で少しの安堵を感じた。
彼自身が学び取った「生き延びるための教え」を、ようやくファーニャに伝えられた気がした。
ファーニャはロランの言葉を聞き終えた後、しばらく沈黙していた。
焚火の音だけが静かに響く中、彼女の中で何かが変わり始めているのが、ロランには感じ取れた。
彼女はやがて少しだけ微笑みを浮かべ、意を決したように口を開いた。
「……私、ずっと一人で戦わなきゃって思ってた。皆を守るためには、私が先に立つしかないって。でも、それが逆に皆を危険に晒してたんだね」
彼女の声はどこか柔らかさを帯びていた。
いつもの強気な態度から一転、今は少しだけ自分の弱さを受け入れたように見えた。
クルバルはそんなファーニャの変化を見つめながら、感慨深げに頷いた。
「お嬢様……俺は、あなたがこうして話を聞いてくださるだけで、心から嬉しいです」
その言葉には真心が込められていた。
クルバルは焚火の光に照らされた彼女の横顔を見つめ、深く息をつく。
彼の目には、これまでにない安堵と希望が映っていた。
ロランは二人の様子を見守りながら、今こそ具体的な戦術を提案する時だと感じた。
少し前にエリクシルと話していた戦術案が頭をよぎる。
「……俺たちはそれぞれ違う役割を持っています。ファーニャさんは剣士として前線で攻撃を担当し、俺は戦士として敵の動きを制御する役割を果たします。そして、クルバルさんは重装歩兵として、堅実な防御と援護を担当する。この三つの役割をうまく連携させれば、どんな敵にも対応できると思います」
クルバルもその言葉に深く頷き、静かに意見を述べた。
「確かに、俺たちの役割を活かせば、もっと効率的に戦えるでしょう。だが、それには互いの動きを理解し、息を合わせることが大切です。戦闘前の計画と、陣形の整備が欠かせません」
《なんだ、クルバルさん、わかってんのにそれを教えてやれてないのか……!?》
{{彼女が聞く耳を持たなかったのでしょう。では、具体的な戦術案を……}}
《助かるよエリクシル》
ロランはエリクシルの助言を受け、さらに具体的な戦術を提案する。
「例えば、クルバルさんが前線で盾を構え、俺がその横で敵の攻撃を引き受ける。そして、ファーニャさんはその後ろから機敏に動き、隙を見て強力な一撃を放つ。こうすれば、ファーニャさんも無駄な危険を冒すことなく、確実にダメージを与えられるはずです」
ファーニャは真剣に考え込んだ後、微笑みを浮かべた。
「……そうね、試してみる価値はあるわ。今までとは違うやり方で、もっとあなたたちを信じてみる」
その言葉を聞き、ロランとクルバルは互いに目を合わせ、そして静かに頷いた。
焚火の光がゆらゆらと揺れるたびに、彼らの決意がますます強固なものとなっていく。
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