206 『木陰の宴』


 *    *    *    *


 工房街の南に位置する『木陰の宴』は、職人たちが集まる賑やかな店だ。


「さあ、着いたぞ!! たらふく飲んで食って騒ごうぜ!」


 店内はすでに多くの職人たちで賑わっており、笑い声や乾杯の音が絶え間なく響いていた。

 扉を開けた瞬間、香ばしい料理の香りが鼻を突き、ロランの目には色とりどりの料理が並んでいるのが飛び込んできた。

 ロランが席に着くころ、ニアも汗だくの姿で合流し、すぐに注文を始めた。


「はぁっ……ふうっ……。間に合ったか!」

「ニア師匠、汗だくっスね。どこ行ってたんです?」

「おう、急いで仕事をしてきてな。あたしは走るのも早いんだ!」

「ニアさん、走るとひと目を引くんだよなー!」

「そうそう、見る!」

「こっのバカども!」

「ひえっ!」「わほっ!」


 師兄しけいらはニアに頭をはたかれるがなんとも嬉しそうな顔だ。

 エプロンを着けていないニアが走る光景は想像に難くないが、本人を前に失礼だろう。

 そう感じたロランは、自分は「紳士であるべきだ」と念じ、その話題には触れないようにえる。


「……まずは乾杯だな! ロラン、お前も飲むか?」

「はい、いただきます!」


 皆でジョッキを掲げ、大きな声で乾杯の音頭を取る。

 ロランもジョッキを持ち上げ、その冷たい感触を楽しみながら一気に飲み干した。


「この『木陰のエール』うまいっスね!!」

「飲むねぇ!」

「おい、ロラン、やるじゃねえか!」


 次々と運ばれてくる料理は焼きたての肉や新鮮な野菜、そして職人特製のスープなど、どれも絶品だ。

 店内は湯気と香りで溢れ、体が自然と温まる。


「これ、めちゃくちゃ沁みる!」

「だろう? ここは職人たちの行きつけだからな、料理も最高なんだ! 特にこのスープ! 疲れが吹っ飛ぶぜ!」


 根菜たっぷりの職人特製スープは、仕事に疲れた職人たちの滋養に良いと評判で、この寒くなってきた季節にぴったりだった。


「んでよー、ロラン、このバカどもはなー」


 ニアは酒が進むにつれて、ロランに対するスキンシップが増えてきた。

 肩を組んだり、頭を撫でたり、親しげに話しかける姿に、周りの職人たちも笑いながらからかい始める。


「ニアさん、ロランにべったりじゃないか!」

「ロラン、お前、師匠に惚れられてるぞ!」

「やめてくださいよ、恥ずかしいじゃないスか!」

「がっはっはっは! ロランはやっぱり面白いな!」


 ニアも笑いながらロランをさらに強く抱き寄せた。


「お前、本当に面白いやつだな!」


 ロランは赤面しつつも、心から楽しんでいる様子だった。

 その光景を眺めていたエリクシルは、胸の奥にモヤモヤとした感情が湧き上がるのを感じた。

 彼女は無声通信でロランに警戒を促す。


{{ロラン、気をつけてください。この状況は少しおかしいです}}

《えぇ……?》


 ニアがロランに親しげに接するたびに、心がざわつくような感覚が広がる。

 彼女はその感情が何なのか理解できず、解析を始めた。


 ロランとニアのやり取りを再度思い返す。

 ニアはロランに対して親しみと信頼を込めたスキンシップを行い、ロランには心からの笑みが浮かんでいた。

 彼に心地よさと安心感をもたらしているのは明白だった。

 エリクシルは、このやり取りがロランにとって特別な意味を持つことに気付いた。


{{これは……嫉妬?}}


 エリクシルは自問する。

 ロランに対する特別な感情を持つことで、自分の役割は変わってしまうのか?

 その感情はロランを支えるために役立つのか、それとも妨げになるのか?


{{このような感情を抱えながら、果たして私はロランを真に支え、導いていけるのでしょうか……}}


 エリクシルは自己の役割と感情の矛盾に戸惑い、その思考の深みに沈み込む。

 だが、その間もロランはほろ酔い気分で宴を楽しんでいた。


「ロラン、次の飲み物は何にする? 私のおごりだ!」

「ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて……」


 こうして、ロランたちは楽しいひとときを過ごし、職人たちとの絆を深めていった。

 職人たちの笑い声と、賑やかな宴の音が『木陰の宴』に響き渡る。

 大きなテーブルを囲み、料理や酒が次々と運ばれる中、皆が満ち足りた笑顔を浮かべていた。


 宴もたけなわになった頃、ニアがふとロランに尋ねた。


「ロラン、今晩の宿は決まっているのか?」


 ロランは少し戸惑いながら答えた。


「……えっと、『ゴールデンリーフ・イン』に泊まってるんですよ」


 その言葉に、職人たちが驚きの声を上げた。


「あんな高級宿に!?」

「一泊500ルースもするって噂の!?」

「お前何もんだ!」「ただの冒険者じゃねえ!?」


(えっ! そんなにするのか!?)


 ロランもその値段に驚きつつも、ニアの表情に気が付いた。

 彼女は驚きの後、少し残念そうな顔を見せる。


「お前、そんなところに泊まってるのか……。もし寝るところがなかったらうちに来いって言おうと思ってたんだけどな」


 ロランはその表情を見て何かを言いかけたが、すぐに謝意を込めた言葉に切り替えた。


「すみません、師匠! でも、今日は本当にお世話になりました! また次にお会いしたときは、ぜひ!」


 ニアは寂しそうに項垂れたが、すぐに笑顔を取り戻し、ロランの肩をポンと叩いた。


「ま、たまには豪華な宿も悪くないさ。次にまたここに来たときは、うちに泊まりに来い!」


 職人たちも次々と声をかける。


「そうだぞ、ロラン。俺たちも歓迎するからな!」

「俺も邪魔するぜ!」

「はい、楽しみにしています!」

「お前らは本当に、邪魔だ!!」

「ニアさーーーん! つれねえぜ!」

「ぎゃっはっはっは!」


 ロランは元気な職人たちに挨拶し、再び『ゴールデンリーフ・イン』へと向かった。

 石畳の道を進む彼の耳に、まだ遠くから宴の喧騒が聞こえる。


 風がそよぐ夜空の下、宴の喧騒が徐々に遠ざかり、夜の静寂がロランを包む。

 彼はふと立ち止まり、背後に広がる明るい店を振り返った。

 『木陰の宴』の温かさが、まるで灯火のように彼の心に残っていた。


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