187 司書の問い


 *    *    *    *


「……これでだいたい終わりかな?」

{{ はい、すべてスキャンしました }}


 ロランは積み上がった本を手に取り、元の棚に戻し始めた。

 近くを通りかかった老人は、感心したようにロランを眺める。


 長い白髪と深い皺の刻まれた顔に、知識と経験の重みが感じられるその老人は、静かにロランの姿を見守っていた。

 彼の眼差しには、若者が知識を追求する姿への敬意と懐かしさが滲んでいた。


 《……俺はろくに読んでないんだけどな》


 ロランは照れつつも、一冊一冊丁寧に棚に戻していく。

 本を棚に戻し終えると、次の目的を思い出す。


「次は地理だったか?」

{{ 地理の書架はあちらです }}


 エリクシルがARに位置情報を付帯する。

 ロランが歩き回っているときに周囲の情報も集めていたようだ。

 気が利くなと思いながら、ロランは次の目標地点へと向かった。


「どれから手を付けるか……」

{{ 左上の棚から順番に取り込んでいきましょう }}


 棚には世界地図や大陸図が並び、冒険者や旅人が参考にするための情報が詰まっているだろう。

 次々に取った本にはギルドの存在する主要都市や村、交易路と街道、自然地理、ダンジョンについて基本的なことが記されていた。


 ロランが次の本を取り出そうとしたとき、ふと目に留まった一冊があった。

 古びた革装丁のその本は、他の地図や資料とは異なるテイストを持っていた。


 「これは……なんだ?」


 ロランはその本を慎重に手に取り、表紙を確認した。


「リクディア100景なんてもんもあるのか……」


 彼は思わず声を上げた。

 ページをめくると、そこには美しい挿絵と共にリクディア各地の風光明媚な景色が詳細に描かれていた。

 エリクシルも興味深げにスキャンを開始し、本の内容を読み取る。


{{ 観光名所のガイドブックですかね。これは興味深いです }}

「湖の街バイユールの『翡翠湖』も景勝地なのか」

{{ 霊峰ネレイス、湖面に映る山もそのひとつのようですね }}


 ロランは、翡翠湖の美しい風景と霊峰ネレイスの神秘的な存在感に思いを馳せた。

 リクディアの観光名所がこれほど多岐にわたるとは驚きだった。

 ページを次々とめくり、エリクシルは黙々とスキャンを続ける。

 この地以外の、いつか訪れるであろう東の大陸、ハヌラーやラサリットなる島国についても調べた。


「どれもありきたりな情報ばかりだな」

{{ 衛星や端末のない世界ですからね }}

「そうか、じゃぁどうやって地図作ってんだ?」

{{ 実際に歩いて測量をしたのでしょう。それに詳細な地理などは軍事利用もされるでしょうから一般には公開されてないのかもしれません }}

「あ~。となると禁書の棚にあったりするのかな」

{{ どうでしょうか、もっと安全な軍の詰め所や要塞などで保管してそうですが…… }}


突然、背後から声がかけられた。


「……あの」

「え」


 ロランが振り返ると、そこには司書が立っていた。

 彼女は心配そうな表情でロランを見つめている。


「すみませんが、読まれた本を確認させてもらってもいいですか?」


 ロランは少し驚きながらも、彼女が何を心配しているのかを察した。


{{ 読むのが早すぎて、悪戯しているのではないかと疑われているのでしょうね }}

《あぁ、ここは協力しよう》


「……もちろん」


司書は積み上げられた本の中から一冊を手に取り、パラパラとページをめくった。


「特に異常はありませんね。でも……かなりの速さで読まれていましたね、重ねて失礼ですが本当に読まれているのですか?」


「……えーっと、読んでいるか試してみますか?」

《エリクシル! 頼んだぞ……!》

{{ もちろん、お任せください。質問に答えて差し上げましょう }}


 エリクシルはこの状況を楽しんでいるかのように、ロランのARに『準備万端』と表示して見せる。

 司書は挑戦的な眼差しを向けると、別の本を手に取って、コホンと咳ばらいをした。


「……では、この本に書かれている内容について質問しますね。ハヌラー大陸の特徴的な地形について、特に鉄砲水や風成の侵食を受けた渓谷の名称は何でしたか?」


 エリクシルはロランのARに解答をデカデカと真っ赤に強調して表示した。

 ロランはそれを見てニヤリとする。


「確か……『ヴァールガ渓谷』ですね。急峻な崖と深い谷底が特徴で、頻繁に発生する鉄砲水と風成の侵食によって形作られているとか」


 司書は驚いたように目を細め、訝しげにロランを見つめた。


「なるほど……。もう一つ確認させてください」

《まぐれだと思ったのか?》

{{ 舐められたものですねっ! }}

《やっちゃえエリクシル!!》


 司書は別の本を取り出し、さらに質問を続けた。


「……この本に書かれている『アルデニア平原』について、特徴的な植物は何ですか?」


 エリクシルが再び情報を提供し、ロランはそれを答えた。


「アルデニア平原には『シルヴァンブロッサム』という特有の花が咲いています。この花は夜になると淡い光を放ち、まるで星空のような風景を作り出すことで有名です」


「……なるほど、よく理解されていますね。失礼しました、確認させていただいてありがとうございます」


 司書は疑いが晴れたのか表情を和らげると、今度は尊敬の眼差しでロランを見つめた。


「お若いのに速読のスキルを持っているのですね。驚きました。その速さと正確さは本当に見事です」


ロランとエリクシルはそんなスキルが存在することに驚きつつも、微笑んで返答した。


「ありがとうございます。得意なんです」

{{ そうです! ほんの! }}


 ロランが謙虚に応えると、司書は感心しながら頷き、その場を後にした。


《エリクシル! 見事に決めてやったな!》

{{ えっへへ! がつんと正解してやりました! }}


 *    *    *    *


 ロランは閉館時間ギリギリまで書物を漁り、エリクシルのアーカイブという名の無尽蔵の胃袋を満たしてやるために懸命にページをめくった。

 彼の集中力は一度も途切れることなく、次から次へと書物に手を伸ばしてはエリクシルにデータを送り続けた。


「……図書館だけあって情報量が全然違ったな」

{{ 大変有意義な時間でしたね! }}


 ロランは疲労感を隠せずに溜息をついた。

 指先もだんだん重く感じるようになり、ページをめくる度に微かな痛みが走る。


「けどよ、もう、めくるだけでしんどい……」

{{ お疲れ様でした! ……次はお食事に宿、どちらも楽しみです! }}


 ロランは手首をぷらぷらとしながら席を立った。


「おっとっと……」


 一瞬ふらつき、机に手をつく。


{{ 随分長く座っていましたからね }}

「足が棒になったみたいだぜ……!」


 ロランはおぼつかない足取りで図書館のゲートをくぐると、魔道具を返し保証料を受け取る。

 司書が「いつでもいらしてくださいね」と熱っぽい眼差しを向けてきたのは驚いたな。

 エリクシルは色目を使ったと警戒してたけど……。


 *    *    *    *

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