149 獣と話す者★



「おおっ…………」

《おっ、おいっ……!! エリクシルどういうつもりだ!?》

{……こちらに敵意はありません}


 エリクシルがゆっくりと獣の前に踏み出す。

 その姿は美しく、神秘的でさえあった。周囲の音は次第に遠ざかり、風のささやきや植物がこすれ合う音さえも、この瞬間の神聖な静寂の中で失われていった。彼女のホログラムのシルエットが光を集め獣の前に立つと、朝日の光と一体となってゆらゆらと輝いた。


 その瞬間、巨大な獣はエリクシルの眼前へと重い足音を響かせながら歩み寄り、その巨大な顔をエリクシルに向けて轟音のような咆哮を放った。咆哮に混じる涎が飛沫となってエリクシルに襲いかかるが、ホログラムにノイズが走るばかりだ。


 それを意に介さない彼女は静かに手を挙げ、動きに合わせてホログラムが軽やかに揺れ、彼女の存在そのものがこの場の空気を澄ませるかのようだった。


 エリクシルは獣の目をじっと見つめる。

 深く、穏やかで、何よりも理解を求める目は、絶対的な恐怖と言語を超えて、魂に語りかけるもののようだった。


(エリクシル……)


 獣はそのホログラムの前で一瞬動きを止め、巨大な体が緊張で強張るのが見て取れた。しかしエリクシルの存在が放つ圧倒的な不思議さと静けさに、徐々に警戒心を解いていく様子がうかがえた。エリクシルが放つ、不可解ながらも引きつけられる美しさが、この刹那、野生の獣をも虜にしたのかもしれない。


(まじかよ……)


 獣はしばらくエリクシルをじっと見つめた後、匂いを嗅ぐ素振りを見せる。そしてその鋭い視線を後ろにいるロランに移し、一瞬の沈黙の後、再びエリクシルに目を戻した。


(こっ、怖ェーーーーッ!!! なんで俺!?)


{……皆さん戦意を解いてください}

「いや、しかし…………いえ……」


 コスタンは逡巡していたが、皆に目配せをする。

 皆が武器を収めようとするが、極度の緊張のせいか固く握りしめられた拳がなかなか開かない。


(こ、強張ってるっ……)


 ようやく緩んだところで装備をしまい、戦意を解くために深呼吸をする。


 獣は口を震わせ、ひとりずつ順に見定めるかのように視線を動かした。

 最後に睨みつけられたチャリスは思わず、「ひぇっ」と声をだしてしまう。


 皆が震える中、エリクシルは一呼吸おいて獣に話しかける。


{……この森は貴方の縄張りなのですね……侵すつもりはありませんでした。……ですが、わたしたちも船を今すぐに動かすことはできないのです}

「…………」


 一同は固唾を飲んで見守る。


{……わたしたちにこの森を荒らす意思はありません。……ゴブリンとは敵対していますが、今現在の目標はダンジョンを征服することです}


 エリクシルの表情には深い慈悲と理解が込められていた。彼女の透明な姿が、朝日に照らされて一層幻想的に映える。獣の大きな黒い目がエリクシルを見つめ返し、その視線の中には警戒心と好奇心が混ざり合っていた。


{どうか……}


 エリクシルはその巨大な生き物の前でほんの少し体を前に傾け、和解と理解を求める姿勢を示した。

 その動きは、周囲の木々の葉が風にそっと揺れるように自然だった。


 話が通じているのか確信は持てないが、獣は威嚇することはあっても、それ以上に攻撃的な行動をとることはなかった。この静けさの中で、ロランも幾分か冷静さを取り戻し、獣の全体を改めて見回す。


 先程は恐ろしく隆起した筋肉に驚いたが、よく見えれば至る所に生傷があることに気が付いた。

 さっきまで何かと戦っていたのか?気が立っているのもそのせいなのだろうか。


{……ダンジョンを征服すればわたしたちも人手を減らします……。どうかご理解ください……}


 グルルルル……

 獣は前脚で大きく薙ぎ払うと、地面が割れ、木っ端が弾き飛んだ。

 目の前の地面から近くの巨木まで深々と爪痕が残される。


《ヒェエェ~~~~!》

{{静かに!}}


 一体どれほどの膂力があればこんなことをできるのか。

 この圧倒的な力を前にロランは恐れおののくことしかできない。


(ゴクリ……)


 そして、尾っぽの刃に光が灯ったかと思えば、思い切り振り下ろし、巨木に一刀。

 木の葉や枝が擦れる音に続いてドシンと巨木が地に横たわった。

 その地鳴りのような衝撃に一行は揺れる。


(な、なんじゃありゃあ~~~!! やべぇって!!!)


 獣は目を見開いて動けない一行を一瞥すると、尾をするりと翻して森の中へと去っていった……。


「……………………」


「ぷはぁーーっ!」

「死ぬかと思った……」

「ぶふぅうーーーーー」


 緊張の糸が切れた一同は一斉にしゃべりだす。

 そんな中、コスタンがおもむろに呟く。


「……あの獣、タロンの原生林の主でしょうな……」

「でしょうぜ! 主と言える貫禄! ……いやぁ生きた心地がしなかった! あの身体! でかいのなんの!!」

「……エリクシルさんが交渉をしてくれなかったら、僕たち今頃あの獣のお腹の中だったかも……」


 三人が各々の感想を言い合う中、ロランは先ほど獣が斬り倒した巨木へと近づく。


「見ろよこの断面……なにしたらこうなるんだよ……」

{魔法……の力でしょうね}

「まるでここから先に入るな、入ったらこうなるぞ……。って言っているみたいだね」


 ラクモの言葉を受け、ロランは残された爪痕を手でなぞりながら思う。

 生半可な銃では屠れない存在に恐怖するしかなかった。

 そして獣の、まるでエリクシルの語りかけを理解したかのような様子……。


「……あの獣、エリクシルの言ってたことがわかったのか?」

「その素敵な衣装、まるで神話に謡う使徒のような御姿も気になりましたぞ!」

「引いてくれたってことはわかったってことなんじゃない?」

「知恵はありそうに見えましたぜ」

{あぁ、ええっと、獣が興味を引いてくれるように神々しさを演出してみました。上手くいったのであれば良かったです。……それと理解を示してくれたのかは正直わかりません}


 エリクシルは元の制服に切り替えると言葉を続けた。


{……でも獣の一連の行動、今まで一定の距離でこちらの様子をうかがっているだけだったのに急に姿を現したことや、わたしたちを順に見つめていたことを考えると、ある一つの仮説が思い浮かんだのです}

「おう、それは……?」

「うむうむ」

{この一帯はあの獣の縄張りであると、我々侵入者に対して警告をしたのだと思います。我々とチャリスさんが合流することでさらに人数が増えましたよね? その様子を見て"これ以上寄越すな"という意志の表れではないかと}


「……状況を考えるとそういう風にも思えてくるな……」

「戦意を解いたのは正しかったのですな……」

「その通りだね」

「いやぁ、あの空気の中でそんなに頭が回るとは……俺はしょんべん漏らさないか堪えるので精一杯でしたぜ!」


 チャリスは緊迫した空気を和らげようと笑いながら言うと、ロランとラクモが付け加えた。


「いやぁ、それも無理ないですよね……」

「うんうん、僕もチビりそうになった」

「格も相当高いでしょうな。ドラゴンと同じく、いちパーティーが戦うべき相手ではありません……!」

{わたしたちの武器でも有効打を与えられなかったと思います。彼の魔法も先程のものだけではないでしょうし……}

「だよな……。エリクシルのおかげで助かった。ありがとうな」


 ロランの言葉に皆同じように頷きながら緊張感は薄れ、新緑の森を背景に穏やかな空気が流れ始めていた

 彼らはエリクシルに感謝を告げ、腰が抜けてへたり込んだチャリスンを助け起こして船への帰路を歩みはじめた。


 *    *    *    *


――――――――――――――

獣と話す者。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818093085225907305

チャリス&チャリスン

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818093077036589520

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