136 奇跡の治療★
{大丈夫ですよ……すぐ眠くなりますし、そ間に手術は終わります。コスタンさん、10から0まで数えていてください}
エリクシルが優しく言うと、コスタンは少し困惑しながらも、指示に従い数を数え始める。
「10、9、8……」と声を出して数える間もなく、麻酔の効果で彼は意識を失う。
{さてさて……麻酔とポーションが競合しないかの治験、からですね}
* * * *
手術が無事に終了したとのアナウンスの後、隔離が解除され、一同が医療ベイに集まる。
コスタンの手術部位にあたる3か所の傷は、ポーションの効果によって徐々にふさがっていく様子が確認できた。
「う……お……? 終わったの……ですか?」
「コスタンさん随分ぼんやりしてるね……」
目を瞬いて視線の定まらないコスタンにラクモが声をかけた。
{恐怖感を和らげるために全身麻酔を行ったので、まだ完全には目覚めてはいないようです。先ほどポーションの点滴を追加処方したのでじきによくなるでしょう}
「あぁ、マンドレイクとかの煮汁飲んで意識飛ぶのと似てるね」
「へぇー」
{マンドレイク……興味深いですが、それとはまた違うと思います}
簡単にネヴュラの麻酔について解説したあと、今後の手順についても説明する。
{膝の靭帯を縫合したので、あとは治癒のスクロールを使用するのみです}
「うむん、む……。ゴホッ……で、は……」
「そりゃ無理だよコスタンさん。僕が代わりにやるね」
放心状態に近いコスタンに代わり、ラクモがスクロールの使用を買って出た。
ラクモが台に置かれたスクロールを手に取った時。
{…… あっ! やっぱりロラン・ローグに使わせてもらってもいいですかっ!?}
「おれっ!?」
「あぁ、それもいいね。今やっておけばいざ必要な時に困らない」
{それもそうなんですが……}
正直な話、治癒魔法の効果については十分なデータが集まっていない。
過去にはコスタンが中級の癒しの魔法を受けとのことだが、膝は完治していなかった。
治癒の魔法自体も人体にどのような変化をもたらすのかはいまだ未知数だ。
しかし魔法が魔素の具現化するという特性で成り立っているとすれば、一つの仮説が立てられる。
魔法を使う人の傷や治療に関する知識、さらには治療の方法や過程をどうイメージするかが、魔法の効果や精度に密接に関わってくるというものだ。
この仮説が示すのは、魔法の効果は単に低級中級といった階位の強さだけでなく、その使用者の知識や想像力によっても大きく変わるということである。
つまり低級の治癒のスクロールであっても、術者の医学的知識の深さによって、その効果が十分に発揮されたりされなかったりするのではないか。
「へぇ~、すげぇな! ……もしそれが上手くいけば、仮説じゃなくてエリクシルのヴォイド魔法学理論が確立されるってことだな!」
{ロラン・ローグ! 気が早いですよっ!}
「いやいやっ! 俺はエリクシルを信じてるぜっ……!」
{っもう……!}
ロランに満面の笑みで褒めちぎられたエリクシルは、照れたように頬を赤らめている。
対してコスタンは、いまだ青白い顔ながらうんうんと頷いている。
「青春、ですな……」
「仲良しだねー」
その言葉にハッとしたエリクシルは頬に手を添え、緩んだ顔を引き締めて真面目な顔つきに戻る。
そして教師モードになったエリクシルからロランに押し付けられる医療知識の数々……今回の治療方法、術式、靭帯の構造や性質。
そして治癒を使用する際の正確なイメージがARによって伝えられる。
{……いいですか? 靭帯は伸び縮みするものです。移植した靭帯は現在このように縫合されています。ここに切れ目が見えますよね? ここの繊維のひとつひとつを
「繊維を撚る……。全然わかんねぇんだけど……」
{これは繊維を拡大した画像です。繊維を捻じり合わせる、もしくは粘土を捏ねるように馴染ませるイメージではいかがでしょうか }
「捻じる、粘土……靭帯ってコラーゲンなんだよな? これを馴染ませる……線が消えるようにだな? ……よし!」
やや不安げなロランだったがエリクシルが動画付きで説明することで、なんとかイメージを共有できたようだ。
ロランはエリクシルの教えを復唱しながら、治癒のスクロールを目の前に掲げる。
スクロールの羊皮紙には幾何学的な模様が描かれ、コスタンによるとこの魔法陣に魔素を流しこむように念じる必要があるという。
{では患部を観察しながら記録します……}
ピピピピッ、ジィーー。
短い電子音の後に、膝のホログラムがリアルタイムに表示される。
「やるぜ……! むぅーっ……!」
ロランが力を込めて唸っていると、スクロールが黄色く発光し始めた。
そして聞く者を心地よく感じさせる、優しく響く鐘の音が発せられている。
次の瞬間、幾何学模様の魔法陣が放光し、光の粒子が迸った。
粒子がコスタンの右膝周囲に集まり、ゆっくりと深部へと溶け込んでいく。
その様子をモニタリングするエリクシルの表情は恍惚としている。
そしてスクロールはその役割を終えると、一際まばゆい光を放ったのち、塵となって消えた。
「おおっ! 消えたっ!」
治療の過程では、まず光の粒子が膝の靭帯縫合部に集中し、損傷した組織を包み込むように結合を促し始めていた。次に、腫れた部分から内視鏡が通過した経路に沿って光が浸透し、微細な回復作業を進めた。
この光の粒子が舞う様子は、神の奇跡のように、美しく繊細な光景を創り出す。
光は靭帯の傷をやさしく包み込み、温かな癒しの光で照らしていたのだ。
{……治療を終えたようですね。……左が治療前、右が治療後ですが。なんて美しい……健康そのものな靭帯に見えますっ!!}
レントゲンやCTのような画像が、治療の変化を視覚的に示し、その進行を捉える。
一行にとっては医学的な詳細は理解しづらいかもしれないが、エリクシルの顔に浮かぶ喜びの表情から、彼らも治療が成功したことを感じ取ることができた。
「やったのか……!」
「終わったのですな……!」
ロランはガッツポーズをし、ラクモは拍手を送る。
コスタンも完全に麻酔が抜けたようで、顔に生気が満ち溢れている。
「コスタンさんはどんな感じ?」
「うむ、痛みはありません! しかし歩いてみないことには……。エリクシル先生、歩いてもよいですかな?」
{やはり魔法による治癒は事象を捻じ曲げるかのよう、それにこの細胞、テロメア……えっ? あっ、どうぞ! 運動機能を評価するために、軽く走ってもいいですよ!}
治療過程を噛み締めているのか、心ここにあらずといった様子のエリクシル。
先生呼ばわりされているのも気が付かなかったようだ。
そんな彼女をひとまず放置し、許可を得た3人はトレーニングルームに向かう。
膝の状態を確認するのだ。
大きく屈伸、ジャンプ、柔軟体操。どれも簡単に行える。
まるで怪我など最初からしていなかったかのようだ。
コスタンの口からは笑みがこぼれた。
「コスタンさん、ほら」
ラクモが両手を上段に構え、組手を申し出る。
「では胸を借りて……」
トレーニングルームで組み付き、膝の負荷を確かめる。
こなれてきたのか、コスタンは大きな歯を見せて笑う。
動けることが楽しいようだ。
「はっはっは! ラクモさん、足元がお留守ですぞっ!」
コスタンの足払いをギリギリで避けるラクモ。
自然と組み手はヒートアップする。
「ふはっ、胴ががら空きだよっ!」
繰り出す回し蹴り、体をくの字にして避けるコスタン。
楽しそうに体術を繰り出す犬と初老、その奇妙な組み合わせ。
ロランは眼をぱちくりさせながら観戦する。
「全く! 嘘のように!」
「良い! 体捌き! だね!」
一手一手を
その一挙一動を見逃すまいとするロラン。
食い入るように見つめ、漏れる言葉。
「ふたりとも、すっげぇなぁ……」
* * * *
ひと汗かいた後の小休憩。
アイスコーヒーを飲みながら、エリクシルを待つ。
「膝、いいね」
「完璧、でしょうな。……それにこのアイスコーヒーが火照った体に良い!!」
冒険者としての全盛期を上回っていると豪語するコスタン。
エリクシルの治療結果に大変満足し、その幸せを分かち合いたい様子だ。
彼は今までの苦難の道をぽつりぽつりと語り始める。
怪我、ヤケ酒、出会い、そして愛。
冒険者を諦めたあと、妻の力を借りて再び立ち直り、妻の故郷で鉱山労働に励む。
子をなし、町長に代わり村を支えてきた。
現在は鉱山の閉鎖によって村は困窮し、成人した子から出て行ってしまう。
冒険者になるか、街で仕事を見つける方が実入りもいいだろう。
そう思って、彼らが敗れた時に帰る場所を守ると決めた……。
ある日、青年たちが訪れ、人生はまた一変した。
一風変わった装い、愛嬌のある好青年。
連れ去られた子供を救ったという、その実力は計り知れず。
しかしなにかを感じていた。彼はなにか、燃えるような使命を帯びている。
時折その屈託のない笑顔の合間に、覚悟を決めた表情を見せる。
こういった手合いの者は決まって、何かを為す。
彼はすぐさまその実力を見せてくれた。
村の窮地を救っただけではない、村に命を吹き込み、実りを与えた。
それだけではない。
冒険者として返り咲くチャンスをくれた。
しかしまたそれを失いかけた。
夢から覚めたのだと思った。
失う覚悟ができていなかった。
情けなくすがりそうになる。
不安でいっぱいだ。
泣きたかった。
だがそれも。
堪えた。
その先は、彼の導き手が癒し、治した。
久しく忘れていた、いや違う、忌避していたのだ。
故郷と家を疎み、棄て、過去を封じた。
アレノール、『太陽の光』とは異なる。
……エセルドリンの奇跡……。
コスタンは祈るように瞑想をしている。
宗教の話題になると険しい顔をするコスタンだったが、今は穏やかな表情だ。
心労を吐露し、心に平穏を取り戻したようにも見える。
大人は感情をよく隠す、ましてや指導する立場であればなおさらだ。
きっと彼の肩の荷が軽くなったのだろう、ロランは彼を見てそう思った。
* * * *
仕事を終えて合流したエリクシルに、コスタンは
「エリクシルさん、私の魂にまた安寧が戻りました。貴方には感謝してもしきれません。今この場に守るべき剣はありませぬが……。改めて、此度のダンジョン征服、ロランくんの盾としていかなる悪意も防ぐことを約束します」
{ど、どうしたのですか、コスタンさん?}
コスタンの熱い眼差しとその覚悟に驚きを隠せないエリクシル。
ラクモが耳をピコピコとさせながら答えた。
「彼なりの感謝と決意の表明だよ」
「うん、たぶん、俺もそうなんだと思う。でも剣って?」
「剣は誓約に使う」
{誓約……それに感謝と決意……ですか。……ありがとうございます。ですがコスタンさんが倒れるのも避けなければいけません、ですから……}
エリクシルは気恥ずかしそうに微笑みながら、ロランに目配せをした。
「あぁ、そうならないよう注意するよ」
* * * *
――――――――――――――
エセルドリン。
https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818093073494479946
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