107 陽だまりの匂いを胸に
「……エリクシル、船に戻った後の段取りを詰めようか」
ロランの言葉に、エリクシルが軽く頷いた。
彼らの足は自然とシャイアル鉱山跡地へと向かっていた。
廃坑となった鉱山は、過去の賑わいを感じさせる道具やトロッコがそのまま残されている。
赤錆びたレールは途切れ途切れに続き、静けさが耳に染みた。
まるで鉱員だけが忽然と姿を消したかのような、奇妙な寂寥感が漂う。
ロランは足を止め、目の前の景色をじっと見つめた。
エリクシルが後ろからその背を見守っている。
「……エリクシル、ダンジョンのコアって何だと思う?」
突然の問いにエリクシルは目を瞬かせた。
{見たことがありませんので、何とも……}
ロランはちらりとエリクシルを見やり、口元をゆるめた。
「壊したら報酬があるんだろう? それが『アイテム』かはわからないけど。そんでこの鉱山ができたって話だ」
エリクシルは頷きつつも、ロランの考えを読み取ろうとしているようだった。
「もしも……報酬やコアが持ち運べるものだったら?」
ロランの言葉に、エリクシルの目が驚きに見開かれた。
短い沈黙の後、彼女は慎重に言葉を選びながら答える。
{それが可能なら……シャイアル村はまた栄えるかもしれませんね。コスタンさんの治める町として……}
「あぁ、上手くいくかわからねぇけど……やってみる価値はあるだろ?」
その言葉に、エリクシルはふっと息をついた。
{確かに価値はあります。でも、まずは全員無事にダンジョンを攻略することが最優先です。それに、コアがどんなものかも分かりませんし……}
「わかってる。まずはやれるところからだ。けどさ、俺の考えも知っておいてほしかったんだ」
ロランの瞳には揺るぎない意志が宿っていた。
{本当に……無理だけはしないでくださいね}
その一言にロランは屈託のない笑顔を見せた。
「おう! エリクシルの言いつけだって、ちゃんと守るさ」
エリクシルはその言葉に安堵し、自然と微笑んだ。
彼女の笑顔はどこか柔らかく、ロランの心にも温かさをもたらすものだった。
村に戻る道中、夕陽を背にして歩く2人の間に、言葉はほとんどなかった。
ただ、煙突から立ち上る薄い煙や遠くで聞こえる子どもたちの笑い声が、穏やかに二人を包む。
「この景色を、しっかり覚えておこう」
ロランは小さな声で呟いた。
その言葉が風に消える前に、エリクシルの心にも届いていた。
村に入ると、ちょうど仕事を終えたコスタンたちと顔を合わせた。
自然な流れでムルコ家で夕食を取ることになり、一同は足を向ける。
ムルコの家では、ラクモとムルコが手際よく夕飯を準備していた。
香ばしい匂いが台所から漂い、テーブルに並べられた料理は歓迎会に負けず劣らない華やかさだった。
みんなが料理を囲み、笑顔で語らう。
温かい料理と賑やかな声に、ロランは思わず目を細めた。
だがその奥底には、明日への覚悟が静かに滲んでいた。
* * * *
エリクシルの澄んだ声が、静かな朝の空気に響いた。
{おはようございます。ロラン・ローグ、定刻になりました。恒星間年月日は統一星暦996年9月16日の6時です}
「……あぁ、決行日だな」
{……はい!}
部屋の窓から冷たい風が吹き込んでくる。
いつもと変わらない朝――だが、その空気には冬の気配が混じっていた。
冷水で顔を洗いながら、ロランはひとつ深呼吸をする。
「さて、起こしに行くか……」
子どもたちの部屋に向かうと、ミョミョの奇妙な寝相が目に飛び込んできた。
両足を壁に立てかけ、まるで逆立ちでもしているような姿勢だ。
「どうやったらそんな格好になるんだ……」
ロランは苦笑しながら、眠る子どもたちを次々に起こしていった。
その賑やかな声に安心感を覚えつつ、キッチンに顔を出す。
ムルコは朝早くから台所に立ち働き、いつものように元気で明るい笑顔を見せていた。
その姿に、ロランの胸に母親の面影がよぎる。
「ロランさん? 顔に何かついてますか?」
不意に問われて、ロランはハッとした。
「あ、いや……昨日も思ったんですが、ムルコさんのご飯がしばらく食べられないと思うと寂しくて」
ムルコは一瞬驚いたようだったが、すぐにふわりと笑った。
「あぁ、そうですね。ロランさんはいつも喜んで食べてくれるから、私も張り切って作っていました。……そう言われると、私も少し寂しいですね」
彼女は作業の手を止め、そっとロランの手を握った。
その眼差しには深い信頼と温かな想いが込められている。
「でも、ロランさんならきっと、ダンジョンを倒して戻ってきてくれると信じています!」
ムルコはその言葉とともにロランを抱きしめた。
その抱擁は、母が子を守るような深い愛情に満ちていた。
ロランは彼女の背中にそっと手を添える。
彼女の陽だまりのような香りが、心を優しく包み込む。
「必ず……必ず帰ってきます!」
その言葉に自らの決意を込め、ロランは力強く答えた。
朝食を皆で囲み、いつもの団欒を楽しむ時間はどこか名残惜しかった。
後片付けを終えると、いよいよ出発の時が訪れた。
ムルコ家の前に村人たちが集まり、ロランたちを見送る準備を整えている。
それぞれが必要な装備や荷物を肩に担ぎ、決意を胸に秘めていた。
コスタンがチャリスと抱き合い、耳元で静かに告げた。
「……村を頼みますぞ」
「お任せくだせぇ!」
ニョムが小さな足音で駆け寄り、ロランにしがみついた。
ロランは膝をつき、その小さな体を抱きしめる。
「……ロラン、ダンジョンは危ないから、ケガしないでね!」
ニョムの真っ直ぐな言葉に、ロランは優しく頷いた。
「大丈夫だ。俺だけじゃない、みんなが一緒にいてくれる」
「ニョムちゃん、大丈夫。ロランさんは強いからね」
ラクモも膝をついて、ニョムの頭を撫でる。
ニョムはラクモを見上げて真剣な眼差しを向けた。
「ラクモさんも無理しちゃダメだよ。絶対帰ってくるの!」
ラクモはニッと笑い、彼女を抱き上げた。
その光景を見て、ムルコ家の家族たちが次々にロランたちを抱きしめる。
「ロランさん、エリクシルさん、必ず無事に帰ってきてくださいね!」
「待ってるよ!」「気をつけて!」
「ニョム寂しいよ!」「ミョミョも!」
人々の声に背を押されながら、ロランはムルコから手渡された餞別のケーキを大切に抱えた。
「これは……皆で頑張る時に食べてくださいね。きっと気が紛れますから」
その心遣いに感謝を告げ、一同は東へと足を進める。
出発の合図は、ロランの静かな一言だった。
「さぁ、行きますか……!」
冷たい風が舞う中、旅立ちの決意を胸に刻み、彼らはゆっくりと歩みを進めた。
―――――――――――――――――5章 完
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