106 華やぐケーキ
「おかえりなさい。早かったねえ。……ケーキの話、さっそく始めましょうか?」
{もちろんです! 今日は見た目の工夫に挑戦します!}
エリクシルはすでにやる気満々だ。
カルボナーラを習った時と同じ、エプロンと三角巾姿になっている。
「エリクシルのアイデアがあるんだよな?」
{はい、お砂糖はもう届いていますか?}
「ええ、さっき届けてもらったの。……それにしても、この砂糖で見た目がそんなに変わるの?」
とここでニョムが飛び跳ねだす。
「お母さん、ニョムもダンジョン行きたい! みんなと一緒にボーケンする!」
「絶対にダメです!」
ムルコは間髪入れずにピシャァッ!と叱る。
ニョムは残念そうに項垂れて兄弟のもとへ向かい、その後ろ姿は尻尾がペタンとなっていた。
可愛そうだが、仕方がない。遊びに行くのとはわけが違う。
船で留守番という手もあったが、エリクシルがニョムのためにならないと許可しなかった。
それは船の生活に慣れるのも困るという彼女なりの気遣いだった。
「すみませんねぇ、ニョムは末っ子ですから、ノワリや兄弟たちに甘やかされて育ったので……」
「いえいえ、誰でも冒険に行ってみたくなるものですもんね」
「えぇと、それで砂糖はこちらですけど」
ムルコがキッチンへと向かい、調理場の台に乗った砂糖袋を見せた。
{見た目に関しては、文明レベルに則したレシピを考えてみました――}
エリクシルはこれから訪れる冬に合わせ、シャイアルケーキにアイシングを施して雪のような見た目を演出する案を提案した。
ムルコは首を傾げながらも興味深そうに聞き入っている。
「なんだか冷たそうだけど……」
{そっちではなく}
ムルコの天然発言にエリクシルは冷静に応じ、さらに説明を続ける。
{砂糖を細かく砕いて粉糖にします。それを水や卵白で溶かし、ケーキの表面に塗れば乾燥して固まり、雪が降り積もったような見た目になりますよ}
「これが、俺たちの世界で言うところのグラニュー糖ってやつか……」
その砂糖はザラザラとした粒が粗いもので、真っ白とまではいかないが光を反射してきらりと輝いている。
固まりにくいのが特徴で、扱いやすそうだ。
「これをどうやって粉糖にするんだ? まさか叩いて潰すとかじゃないよな……」
眉をしかめるロランに、エリクシルは元気よく答えた。
{村の製粉所をお借りしようと思います! きっと簡単にできますよ}
ロランたちはコスタンに許可を得て製粉所を訪れた。
そこには大きな石臼があり、2本の太い木の棒が向かい合うように取り付けられていた。
人力で棒を押して回す仕組みだ。
臼の表面には砂糖を入れる穴があり、その下には粉になった砂糖を受け止めるための広い溝が彫られている。
ロランが腕まくりをし、強化服の力を活かしてひとりで臼を回し始めると、ニョムたちが面白がって次々と手伝いに加わる。
木の棒がギシギシと音を立て、臼が回るたびにザラザラとした砂糖が粉になって流れ出た。
その様子にエリクシルも満足そうだ。
粉糖を作り終え、木の器に収めてムルコの家へ戻ると、早速ケーキの表面にアイシングを施す作業に取り掛かった。
ムルコが作り置きしたシャイアルケーキの焼き目の上に、真っ白なアイシングがきれいに塗られていく。
「美味しそう!」「今日のおやつ?」
{おやつはこれが固まってからですよ}
子どもたちがキッチンの隅で目を輝かせながら見守り、エリクシルが笑いながら言った。
数十分後、ケーキの様子を見に行くと、アイシングはすっかり固まり、マットな表面がつやつやと光っていた。
ケーキの焼き色と相まって、雪が降り積もったような華やかな仕上がりだ。
「こんなにきれいになるなんて。これはポートポランの人たちにも珍しいと思ってもらえるわね」
ムルコの言葉に、周りの村人たちも頷きながらざわめき始めた。
完成の報せを聞きつけた人々が次々と訪れ、キッチンはたちまち賑やかな声で満たされる。
住民たちはケーキの美しさを褒め称え、味わえる喜びを素直に口にしていた。
甘さの中にある期待と感動が、部屋中を温かく包み込む。
ムルコは深く一礼をし、声を張り上げた。
「エリクシルさん、ロランさん、なんとお礼を言ったらよいのか! おかげでケーキの見た目も華やかになりました!」
ロランは照れたように手を挙げ、エリクシルも控えめに微笑む。
「量産についても、お酒の生産量さえ増えれば解決します。村が平和になりましたので、森へお酒の原料を取りに行くこともできますし、レベルの壁を越えた友人に道中の護衛をお願いできたので、何とかなりそうです。本当にありがとうございます!」
村人たちが次々と感想を述べる中、ラクモは完成したケーキをじっと見つめていた。
その視線には驚きと感嘆があり、彼はすぐにムルコへと歩み寄ると、いくつもの質問を重ね始めた。
ケーキ作りの工程や材料の組み合わせ、さらには装飾の工夫についてまで興味津々だ。
そして、発案者がエリクシルであることを知ると、ラクモは嬉しそうに彼女のそばへ腰を下ろした。
話し込むうちに、いつの間にか彼女に張り付くような形になっている。
エリクシルも満更ではなさそうで、照れ笑いを浮かべながらラクモの質問に一つ一つ答えていた。
「エリクシルさん、次は果汁を使ったアイシングを試してみませんか? 赤ベリィなら、このケーキにも合いそうです」
ラクモの提案に、エリクシルは感心したように頷いた。
{素晴らしいアイデアですね! 果汁を使うと風味が加わりますし、色合いも華やかになります。ぜひ一緒に試しましょう}
その会話を聞いていたムルコも、さらに新しい発想を膨らませている様子だった。
「見た目や味にこうして少しずつ工夫を加えられるのが、また楽しいんです。みんなの力を借りて、もっといいケーキにしていきましょう」
ムルコの意気込みに、ロランも微笑みながら頷いた。
ラクモの熱心さ、エリクシルの柔軟な発想、そしてムルコの努力が相まって、このケーキはさらに多くの人々を喜ばせるものになるに違いない――ロランにはそんな確信があった。
ムルコが話し終えた頃、コスタンが深い息をついて立ち上がった。
「……ふう、名残惜しいですが、最終調整のためにもうひと頑張りしてきますぞ!」
その言葉にロランはすかさず声をかけた。
「あ! 俺も何か手伝えることありますか?」
「いえ、ロランくんは休んでいてください。明日からダンジョン征服ですから、英気を養ってもらわなくては」
そう言い残して鍛冶場へと向かうコスタンを、ロランはしばらく見送っていた。
そしてふと、肩の力を抜くように息をついた。
「英気を養えって言われてもなあ。ただゴロゴロするのも落ち着かないし……」
ふと、過去の自分を思い出す。
運送業をしていた頃、暇な時間には映画を観たり漫画を読んだりと気ままに過ごしていたものだ。
それが今では、この村の静かな空気に身を委ねることの方が心地よく感じられる。
「……エリクシル、船に戻った後の段取りを詰めようか」
ロランの提案にエリクシルが嬉しそうに頷いた。
2人はゆっくりと村の小道を歩き出す。
冬の気配を含んだ涼やかな風が、彼らの周りを静かに吹き抜けていった。
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