次なる目標

103 漂流者と賢者の計画★


「……コスタンさん、大事な話があります」


 一瞬間を置いて、ロランは静かに言葉を継いだ。


「実は俺、戻ったら『タロンの悪魔の木』に行こうかと考えています……!」


 言葉が夜風に消えていくような静けさが、2人の間に一瞬だけ広がった。

 コスタンが歩みを緩め、ゆっくりとロランを振り返る。


「ダンジョンに……ですか?」

「はい。魔物氾濫フラッドを抑えるには、誰かが定期的に入らないといけないんですよね。それに、もしもす《・》ことができれば、『アイテム』が手に入るはずです」


『タロンの悪魔の木』は、原生林にぽつんと存在する放棄されたダンジョンだ。

 冒険者が寄り付かず、管理者もいないその場所は、ただ静かに危険を秘めて存在している。


 コスタンはロランの言葉に静かに耳を傾けていたが、やがて深く息をついた。


「ロランくん……冒険者登録をしたばかりで向かう場所ではないことは理解していますな? あのダンジョンは情報も少なく、難易度は計り知れません。準備は――」

「このために買い揃えたんです。ポーションもスクロールも、船に戻ればエリクシルが解析できます。それに……村の未来を考えたら、今やらなきゃいけないんです」


 その言葉に、コスタンの厳しい顔がわずかに緩んだ。


「ふむ……軽々しく否定はできませんが、慎重を期さなければならないのも事実です」


 コスタンは腕を組み直し、ロランではなくエリクシルに向かって声をかけた。


「エリクシルさん。あなたの知識は信頼に値するものです。どうか、この状況をどう捉えるか教えていただけませんか?」

{もちろんです、コスタンさん。まず、最大の懸念は以前洞の木で通信が途絶えたことです。その場合、私の索敵能力や戦術支援をお使いいただけません。それが致命的なリスクになります}


 コスタンは深く頷き、しばし思案する。


「なるほど……エリクシルさんの能力は歴戦の冒険者に引けを取りません。私もそれを間近で見てきました。しかし、それが使えぬとは苦しいですな……」


 ロランの表情が少し曇ったが、エリクシルの言葉が続く。


{ですが、対策はあります。弾薬を最大限用意し、火力で蹂躙する方針がひとつ。また、ダンジョン経験者を加えれば安全性は格段に上がるはずです}

「ふむ……例の銃を無尽蔵に使えればあるいは……」

「さすがに無限に使えるわけじゃありませんけど、出し惜しみはしませんよ」


 ロランとエリクシルが肩をすくめて微笑む。


「ならば……一人、心当たりがあります。協力を得るには十分な説明が必要ですがね」


 静かな口調ながら、その言葉には慎重な判断が感じられる。

 それでも前向きに考えてもらえたことにロランとエリクシルは目を見合わせた。


「……コスタンさん、それなら準備の期間が必要ですね」

「もちろんですとも。命がけの挑戦ですからな。準備不足で突入するのは避けねばなりません」

{それから、寝泊りについても考慮すべきです。長期滞在が予想される場合、拠点の確保は最優先課題です}

「その点は俺の船を使ってもらいます。風呂も寝床もありますし、洗濯もできる。快適ですよ」


 その言葉が耳に届いた瞬間、コスタンの目の色が変わった。


「ほっほ! ロランくんの船を拠点にするのですか!」


 一気に表情が明るくなり、その声には期待が隠しきれていない。


「これは……漂流者の船を訪ねる機会を得られるとは、私のような冒険者にとって夢のような話ですぞ!」


 コスタンは少年のような瞳でロランを見つめた。


「野営どころの話ではありませんな! この世界に存在しない技術を間近で見ることができる。そんな経験はどれだけの価値があるか……。それだけでもこの計画に乗る意義があります!」

「いや、師匠を招待できるのは光栄ですけど……そんなに大したものじゃないですよ。ニョムくらいしかお客さんもいなかったんで。けど、快適なのは間違いないです」


 その謙遜に、コスタンは声を弾ませたまま笑った。


「君はわかっていない! 異世界の技術の結晶を拝見する機会など、一生に一度得られるかどうかです! これは冒険者のロマンそのもの!」


 ロランは軽く苦笑いしながら背負った荷物を直した。


「まぁ、そう言ってもらえるなら準備もやりがいがありますね。でも……それでも失敗はできないんで、慎重に進めないと」

「その意気です。夢に心を躍らせつつも、現実を忘れない。それこそが冒険者にとって最も大切な姿勢ですな」


 コスタンは満足げに頷きつつも、真剣な表情に戻りロランを見つめた。


 村に戻ると、まず大量の物資をコスタンの家に運び込み、皆で公平に分配した。

 ムルコにはシャイアルケーキの材料を手渡し、魔石を渡した際には、「これで数年は釜戸と冷蔵庫には困らないだろう」と笑顔を見せていた。

 500ルースで数年持つのなら、その価値はあったと思う。


そして、夕食後のくつろいだ時間に、ムルコがケーキについて切り出した。


「ロランさん、商業ギルドでケーキの話、どうだった?」


 ロランはムルコに報告を始める。

 シャイアルケーキが商業ギルドで正式に認められ、月に2回、最低10本を納品する契約が成立したこと、1本につき30ルースの価格がついたことを伝えると、ムルコは驚きながらも声を上げて喜んだ。


「それは嬉しいわ! 夢みたい……!」


 さらに、ロランは見た目の工夫が今後の課題であると伝えた。

 村のケーキが街で人気を得るためには、味だけでなく見た目にも工夫が必要だという。

 ムルコは少し不安げに眉を寄せたが、その横でエリクシルが自信満々に胸を張った。


{ムルコさん、ご安心ください! 私に良い案があります! シャイアルケーキを街のカフェに負けないくらい魅力的にしてみせます!}


 その力強い言葉にムルコは安堵の笑みを浮かべた。


 その夜、子供たちと豆菓子をつまみながら、ロランは今日の出来事を反芻していた。

 ポートポランで冒険者としての第一歩を踏み出し、その後学んだ多くのこと――薬草の情報、治療薬、装備の重要さ。

 それらが次の挑戦にどう役立つのか、ロランは胸の高鳴りを感じていた。

 首元に手を伸ばし、冒険者証の冷たい感触を確かめる。

 その小さな重みが、責任と期待を静かに伝えてきた。


 ふと視線を上げると、プニョちゃんを中心にして遊ぶ子供たちの姿が目に入る。

 プニョちゃんはまるで子供たちの動きを真似するように、くるくると転がりながら器用に豆菓子を避けている。

 それに大笑いする子供たちの声が、ムルコの家の静けさに響き渡っていた。


「……こういう光景、悪くないな」


 ロランは小さく呟く。


 村の平和はこんなにも当たり前のように見えるのに、守るためには大きな危険を乗り越えなければならない。

 あの『タロンの悪魔の木』のダンジョンを攻略するという決断は、間違いなく命を賭ける挑戦だ。

 それでも、この笑い声が途切れることはあってはならない。


 思いが顔に出ていたのか、エリクシルがそっと声をかけてきた。


{ロラン・ローグ、思案しているようですね。緊張する必要はありません。すべては計画通りに進めれば問題ありません}

「いや、そうなんだけど……」


 ロランは内心の迷いを振り払うように苦笑した。


{あなたなら為せます。わたしはそう信じていますよ}

「エリクシル……ありがとう」


 彼女の言葉に背中を押されるようにして、ロランは立ち上がる。


「おい、お前ら! そろそろ寝る時間だぞ!」


 名残惜しそうに豆菓子を手に取る子供たちを見送ったあと、ロランはようやく毛皮のベッドに身を沈めた。

 ぬくもりの中で、村の平和を守るという決意が胸の中にじんわりと広がっていく。


 天井をぼんやりと眺めながら、ロランは思った。

 船を拠点にし、エリクシルとコスタンと共にダンジョンへ挑む――そんな未来が、今日の行動で少しずつ形になりつつあるのだと。


 毛皮のベッドに横たわると、皆の笑い声とプニョちゃんの転がる音がまだ耳の奥に残っているようだった。


「……こういう日常が続けばいいのにな」


 ロランの小さな独り言は、夜の静けさに吸い込まれ、遠くの星空へと溶けていった。

――――――――――――――――

ロランの船に招待されると聞いたコスタン。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818023213259510501

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