096 ケーキの商談と課題


「ありがとうございます。では、行きましょうか」


 ロランも腰を上げ、少し緊張した面持ちで後に続く。

 心地よい甘味の余韻を胸に秘めながら、次なる挑戦――商談の場へと足を踏み入れた。


 案内された個室には、オールバックに口元の髭が特徴的なダンディな男が座っていた。

 彼は手を軽くテーブルに置きながら、来客を促すように微笑んでいる。


「どうぞ、お掛けください。早速ですが、お話を伺いましょう」


 彼の落ち着いた声が室内に響く。


「……さて、ケーキをお売りになりたいとか?」

「はい、こちらです。今朝焼いたものです」


 ロランがテーブルにバスケットを置き、コスタンが布を取って中身を見せた。

 ダンディな男はケーキをじっと見つめると、小さく頷きながら皿とナイフを取り出す。


「……味見してよろしいですか?」

「もちろんです」


 ケーキを皿に移し、手際よくスライスした男は、一口食べると静かに目を閉じた。

 しばらくの沈黙が続く。

 ロランは緊張で唾を飲み込み、隣のコスタンも汗ばむ額をハンカチでぬぐう。


 そして男は、静かに瞳を開けて口を開いた。


「……酒が入っていますね?」

「ええ、村で作った酒を隠し味にしています」


 コスタンの答えに、男は再び小さく頷く。


「ふむ。これは良い品です。作り手はそちらのロラン様ですか?」

「あっ、いえ、俺じゃありません。村の職人が作ったものです」


 ロランが慌てて答えると、男は少し残念そうに眉を下げる。


「新進気鋭の菓子職人かと思いましたが、そうではありませんか。なるほど……」


 その後、男は製作者であるムルコについてやケーキの生産体制を尋ねた。


「ポートポランの菓子店に住み込みで作るという手もありますが……」

「それは難しいですな。彼女には子供が6人おりまして、村を離れるのは到底無理な話です。それに、酒造の原材料の手配も村でなくては……」


 コスタンが丁寧に言葉を選びながら答えると、男は腕を組み、一瞬考えるように視線をテーブルに落とした。


「そうですか……ご事情はよくわかりました」


 彼は少し間を置いて顔を上げると、今度は試すような視線を向けてきた。


「それでは、レシピや酒を買い取るというのはどうでしょう?」


 提案には一切の感情を滲ませない声色だったが、その視線にはどこか商人としての駆け引きを楽しむような光が宿っていた。


「それもお断りします。このケーキは村の誇りでもありますから」


 きっぱりと言い切るコスタンの態度に、男の眉が一瞬上がり、唇の端に微かな笑みが浮かんだ。


「なるほど。……では、こうしましょう――」


 男は手早く部屋の外に人を呼びに行き、数分後、中年の女性が現れた。

 彼女は男が懇意にしている菓子店のオーナーらしい。


「これが例の……」


 オーナーはテーブルに置かれたケーキをじっと見つめ、慎重にナイフで切り分け、一口味わった。

 その瞬間、表情が少しずつ変化し、驚きと感嘆の色が浮かぶ。


「素晴らしい……。このケーキに使われている酒、そして生地の調和が絶妙ですね」


 彼女はそう言いながら、もう一口食べて深くうなずいた。


「この味は、再現が難しいでしょう。同じ酒を使おうとしても、酒造りは作り手や環境に大きく依存します。村の風土と職人の技術があってこその味です」

「彼女のレシピは特別でしてな。村の特産品と長年の試行錯誤がこの味を作り上げたのです。簡単には真似できませんぞ」


 オーナーは感心した様子でケーキを見つめ、さらに言葉を紡いだ。


「このケーキには物語があります。お客様は、味だけでなく背景にある物語や地域性を求めています。他の店では絶対に手に入らない一品として、大きな価値がある」


 そう語るオーナーは、ポートポランで地域色を活かした商品ラインナップを意識していることを明かした。

 他店との差別化を重視し、珍しい品を取り扱うことで話題を集める戦略を取っているのだ。


「ぜひ取り扱わせていただきたいと思います。特別なケーキとして、しっかりとお客様にその背景を伝えます」


 商談はすぐにまとまり、月に2回、最低10本を卸す契約が締結された。

 1本あたりの買取価格は行商人への卸値であった20ルースから30ルースに引き上げられ、さらに人気次第で買取数や価格の再交渉も行うという条件付きだ。


「これで商談成立ですな!!」


 コスタンが満足げに微笑み、ギルド職員や菓子店オーナーと最後の挨拶を交わす。

 一行が個室を後にすると、エリクシルが通信を送ってきた。


{{ロラン・ローグ、これで安定した収入源が得られるのは大きな一歩です。しかし、課題もいくつか浮き彫りになりましたね}}

《ああ、ラクモさんも言ってた増産体制とか?》

{その通りです。現状では生産量の拡大が難しいため、村全体で効率を上げる方法を考える必要がありますね。それと……}

《それと?》

{……見た目です}


 エリクシルの言葉に、ロランは少し驚いた表情を浮かべた。


《味が十分に評価されてればいいんじゃないか?》

{オーナーも素朴と評価していたように、喫茶のケーキと比べ、村のケーキは素朴な外見です。市場では競争が激しいため、差別化が重要です。華やかさを加えることで、消費者の興味を引けるはず}

《なるほど……確かに見た目からして違ったもんな……高級って感じ!》

{{それで……わたしに、いくつか考えがあります――}}


 ロランはエリクシルの案に期待を膨らませ、思わず口元を緩めた。

 その様子を見たコスタンが興味深そうに顔を寄せる。


「どうしました、ロランくん?」

「エリクシルが、シャイアルケーキの見た目について案があるようなんです」

「ほぉ……? それは楽しみですな!」


 商談を終え、個室を後にした2人は、ふと転移石の前で足を止めた。


「コスタンさん、ちょっと見ていっても?」

「ほっほ、勉強熱心ですな……」


 ポールに立てられた看板には転移石の料金表が記載されている。


――料金表 首都行き――

 フィラオルン王国

 ・王都フィラ       ――10,000

 エセリウム公国

 ・公都アルフミア     ――20,000

 ラクシュメル王国

 ・王都ラクバリシュ    ――20,000


「げぇっ! 1万ルース!! そんで外国は一律倍かよ!」


 ロランは看板を見上げ、眉をひそめた。


「高いですな。ポートポランの住民でもそう頻繁には使えないでしょうな」

{それだけ特別な設備なんでしょうね。時間がお金で買えると思えば……}


「……国内移動は首都以外でも一律1万ルースらしいな。バイユールもリストにあるぞ」

「ふむ、バイユールであれば例のバイクで向かう方が良いでしょう。近場であれば高額な料金を払う必要もありませんし」

「近いんですね?」


 ロランが尋ねると、エリクシルが人目を見計らって補足した。


{地図情報によれば、バイユールはシャイアル村からポートポランより少し遠い程度です。1時間もかからないでしょう}

「なるほど、そりゃバイクで十分だな」

{他国での移動も国内一律料金で可能であれば、転移石の使い道も広がりそうです}

「今は金が全然足りねえし、使えるようになったら改めて調べようぜ」

{そうでしたね……}

「では……次は、お待ちかねの観光ですぞ!」


 コスタンが力強く宣言すると、ロランは思わず肩の力を抜いて笑った。


「商業ギルド側のバザールには、食品や生活雑貨、珍しい品々が揃っていますぞ! じっくり見ていきましょう!」

「いいですね。期待してます!」


 ロランはバックパックを担ぎ直し、エリクシルも音頭を取る。


{さあ、先生、行きましょう!}

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