089 溟海の王と長耳の来訪者★

 

 複数の足音からビレーが誰かを連れてきたのかと思ったが、新たな顔ぶれの3人が出てきた。


「……では、マスター・ドマン、以後よろしくお願いします」


 低く滑らかな声が場を包む。

 金髪碧眼の男が大男に深々と礼をする。

 その姿はまるで一枚の絵画から抜け出したような美しさを湛えていた。


《……おい、エリクシル!》

{{はい、あの特徴的な長い耳は――}}


 尖った長い耳と人間離れした整った容姿――その特徴は、ロランの世界で『高貴な生まれハイボーン』と称されるアールヴ族のそれによく似ていた。

 彼らは神秘的な技術を秘め、自らの母星を隠すことで知られる謎多き存在。

 ロランにとっては映像作品で目にする憧憬の対象でもあった。


「……ああ、わかった。商業ギルドには俺から伝えておく。マスター・アイナリアによろしくと」


 耳長の男に応じる大男の声は、岩を削るような低音だった。

 その大柄な身体に似合った豪胆な声は、場の空気にさらに重みを加えていた。


 ドマンと呼ばれたその男は、身の丈2メートル近い巨体の持ち主で、後ろに束ねた髪と剃り込まれた側頭部が印象的だ。

 鱗のような篭手と胸当てを身に着けているが、腹部はむき出しで、全身に鍛え抜かれた筋肉が漲っている。

 その姿は、まさに戦士で、力強さと荒々しさを併せ持っていた。


 男に続いて現れたのは、同じく長い耳を持つ女。

 彼女は高級そうな衣服を纏い、鼻を押さえながら眉をひそめている。


「ここは潮の臭いが苦手です。一刻も早く帰りたいのですが?」

「シャランナ、よせ」


 耳長の男が女をたしなめる。

 その静かな声には、相手の言葉を柔らかく収める威厳が滲んでいる。


「森に住まうあなた方には不快だろう。復路分は出す。ナルウェさん、これを」


 大男は紋様の描かれた金属製の手形を渡した。

 男女はそれを受け取ると、冒険者ギルドを後にした。


「ではこれで失礼」

「ふぅー、やっと帰れる」


 高貴な佇まいの背中が見えなくなるのを見届けると、コスタンは立ち上がり、タイミングを見計らったように声をかけた。


「マスター・ドマン」

「……おぉ、コスタンか。息災か?」


 ドマンの厳つい顔がわずかにほころぶが、その眉間には悩みの影が落ちている。


「岩トロールの件は解決したので心配ありません」

「そうか……ならいい。だが、今は別の厄介事がのしかかっていてな」


 ドマンは腕を組み、重々しく息をついた。

 その逞しい上腕は鋼のように盛り上がり、僧帽筋は甲冑を彷彿とさせる迫力だ。

 その姿はまさに戦場を渡り歩く戦士そのもの。


「……厄介事とは?」


 コスタンが眉を寄せると、ドマンは厳しい目で遠くを見つめるように語り始めた。


「外洋に"リヴァイアサン"が現れた」


 その名が告げられた瞬間、空気が張り詰めた。


「溟海の王"リヴァイアサン"……! なんと何十年ぶりでしょうか!」


 コスタンは驚愕の面持ちで拳を震わせる。

 その声には恐怖と憧憬が入り混じっていた。


「あぁ……30年ぶりだ。奴の姿が確認されるや否や、周囲の海域は魔物で溢れ返った。我々の力では、追いやられた魔物の処理だけで手一杯でな」

「それは無理もありません。海の竜からすれば我々などは海に浮く木っ端にも劣る存在でしょうから……」


 コスタンは静かに語りながらも、その目は少年のように輝いている。

 彼の顔には、恐れ以上に冒険者としての高揚感が溢れていた。


《海竜って……マジかよ!》

{{そんな頂点捕食者が存在するのに、それでも海路を切り拓こうとする人間の胆力に驚きます}}


 ロランもまた、コスタンの熱気に当てられたように胸が高鳴るのを感じていた。

 その時、カウンターの奥から軽やかな足音が響いてきた。


「マスター! エセリウムの使者の方は帰られたんですかあ?」

「あぁ、ビレー、ついさっきな。あっちの冒険者の手配も済んだ」

「そうですか。早く通常業務に戻れるといいんですけどぉー」

「そうだな。ではコスタン、またな。……君は新人か? がんばれよ」


 ドマンは頭を掻きながらロランたちに一言声をかけ、その場を後にした。


 ビレーはロランたちに一言「マスターに報告があるので、もう少しお待ちください」と言ってドマンについていった。


「……コスタンさん! あの耳長の人達って!?」

「彼ら耳長は、エセリウムの"エルフ"族ですな。魔法に優れた、森の妖精と呼ばれる種族です」


{{エルフ……アールヴ族の別称でしょうね}}

《おとぎの国のエルフ妖精か……。コブル族みたいにアールヴ族の末裔なのか?》

{{……それは、詳細なスキャンをしなければわかりません}}


「エルフ族か……。すごく綺麗な人たちですね」

「うむ、ですが気難しくプライドも高いと聞きます。私もあまり交流はないので詳しくはわかりませんが」


 ロランは彼らの高貴な雰囲気に圧倒されながらも、女のエルフが潮の香りを嫌がっていたことを思い出していた。

 同時に、使者らしからぬ彼女の態度が気になったが、その美しさが印象を強く残している。


{……外洋には恐ろしい頂点捕食者がいるんですね}


 エリクシルが周囲に人がいないのを確認し、小声でつぶやく。


「そうだ海竜! 海竜も気になる」

「頂点捕食者、ドラゴンはその一角と言えるでしょう」

「それって『海の竜頭亭』の由来の竜ですか?」

「いえ、あれは下級ドラゴン。討伐できれば名誉ですが、"リヴァイアサン"は神話に名を連ねる最上位の海竜――溟海の王です。今でもその戦士たちの骸は海の底。それ以来王の暴威にひれ伏すことしかできず、追う者も絶えるとその姿を消したのです」


 コスタンの語り口は熱を帯び、目を輝かせている。

 ドラゴンがいかに冒険者たちの憧れの的であるかが伝わってきた。


「30年ぶりにまた現れた理由は謎ですが、人間の及ばない領域ですな」

「下級といってもドラゴン! ますます『海の竜頭亭』を訪れるのが楽しみになってきましたっ! ……あっ、こんな大変な時に悪いですよね」

「まぁ、溟海の王が直接貿易船を襲っているわけではありませんから、気にすることはありませんぞ」


 そこへ奥の部屋から再び足音が近づき、ビレーが戻ってきた。


「……さて、色々とお待たせしました! まずはロランちゃんの等級1の認識票です」

「これが認識票……」


 ロランは銅色のフレームに納められた薄い鉄製の認識票を受け取る。

 その裏面には自分の名前が刻まれていた。


「コスタンさんは引退前は等級5でしたが引退されてから10年以上たっています。本来であれば1等級からやりなおしですが、今回はマスターの計らいにより等級3となりました。わせてメンター登録も完了です!」」

「ほっほっほ、等級3でも助かりますわい」


 鉄色に輝く認識票を手のひらで眺めるその表情には、冒険者として再び歩み始める喜びが滲んでいた。


「街への入場時にはこの認識票を提示してください。入場税が割引されますので忘れずに!」

「わかりました!」


「……さて、次は依頼の清算でしたね?」


 ビレーはそう言いながら、カウンターの上に大きな銀の盆を置いた。

 その表面は磨き抜かれており、仄かな光沢を放っている。


「えぇ。ロランくん、討伐証を」


 ロランは頷くと、バックパックから討伐証を慎重に取り出し、お盆の上に並べた。

 次々と現れる証の数々に、ビレーは目を見張る。


「岩トロールの討伐証に……小鬼ゴブリン祈祷師シャーマンまで……? この角――!」


 彼女の指先が震えるように触れたのは祈祷師シャーマンの討伐証だった。

 その不気味な頭蓋骨と独特な角の形状に目を凝らすと、ビレーの顔色が変わった。


「ちょっと待ってください! これ……『鉄壁』の祈祷師シャーマンじゃないですか!?」


――――――――――――――――

ギルドマスターのドマン。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818023212381387364

エルフの使者。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818023212381388272

リヴァイアサン。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818023212381389153

シャーマンの角の形なんて覚えてないよという方へ。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330666177304918

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