081 一角獣の外套★

 

{わたし……少し休ませていただきます……}


 か細い声でそう言うと、スゥッとエリクシルが姿を消してしまった。


「えっ! おい! エリクシル!?」

「エリクシルお姉ちゃん消えちゃった!」


 ロランが慌てて端末に呼びかけるが、反応はない。

 ニョムがまん丸な瞳でキョロキョロと周囲を見回す。


 ロランの胸には、しまったという感情が渦巻く。

 悩んでいるところに新たな悩みの種をまいてしまった。


「あらまあ、エリクシルさんどこかに行っちゃったのね……わたし、何か気に障ることを言ってしまったかしら?」


ムルコが申し訳なさそうに肩をすくめる。その優しい表情に、ロランは首を横に振り力なく微笑んだ。


「いえ、ムルコさんは悪くありません。エリクシルは、自分で解決したいことがあって……少し時間が欲しいんだと思います。今はそっとしておくのが一番です」

「それならいいんだけど……」


 ロランの返答にムルコは眉間のしわを少し緩めたものの、心配そうな視線は消えなかった。


「……砂糖と塩、そして火と氷の魔石でしたよね。必ず届けますから」

「ありがとう。だけど……本当にエリクシルさん、大丈夫かしら?」

「きっと大丈夫です。……それじゃあ、コスタンさんのところに行ってきますね」


 ロランが立ち上がると、ムルコがキッチンから大きな籠を持ってくる。

 籠は丈夫なバスケットのようで、ふんわりと掛けられた布の隙間から甘い香りが漂ってきた。


「これ、シャイアルケーキの新作よ。ポートポランでよろしく頼むわね」


 ロランはその匂いに顔をほころばせながら、籠を受け取ると軽く手を振った。


「皆へのお土産も忘れませんからね!」


 振り返りざま、彼は子どもたちへ元気よく言葉を投げる。


「「「「わーい!」」」」


 背後からは歓声が上がり、ロランの心を少し軽くした。


 ロランはムルコの家を出た後、チャリスとラクモの家を訪ねた。

 二人とも遠慮がちに首を振り、必要なものはないと断られてしまう。


「ほんとに何もいらないのか……」


 ため息をつきながら、ロランはコスタンの家へと向かった。

 自分で何か見繕おうと考えてみたが、これという案は浮かばない。


 こんな時、いつもならエリクシルが的確なアドバイスをくれるのだが――


《あのー、エリクシルさーん? 大丈夫ですか?》


 声をかけた瞬間、空間がわずかに揺れるような気配がした。

 エリクシルが淡い光と共にロランの隣へ現れる。

 その姿は、先ほどの不安げな表情とは打って変わり、晴れやかな笑顔を浮かべていた。


{……わたしは覚悟を決めました。この世界を分析して丸裸にすることをっ!}


 彼女は両手を腰に当て、胸を張って堂々と宣言する。

 その背後には燃え盛る炎のエフェクトが現れ、彼女の決意を誇張するように揺らめいている。


「おっ、はい、さいですか……。まあ、それで元気になったなら、良かった」


 ロランは少し肩をすくめながらも、安心したように微笑む。


{ご心配おかけしました}

「俺もびっくりしたけどよ。それよりもムルコさんが気にしてたぞ。今度謝っておけよ?」


 その言葉に、エリクシルの瞳が驚きで見開かれる。


{あぁ、わたしはなんてことを……}


 エリクシルは瞬時にムルコの家へと駆け出した――いや、駆け抜けた。

 扉も気にせず幽霊のように貫通していく。


 ロランは思わず後ろを振り返ったが、しばらくしてエリクシルが再び現れる。


{……謝罪をしてきました。でも、まだビックリされていましたね……}


 彼女はしょんぼりと肩を落としながらそう言う。


「……扉貫通して現れたら、そりゃそうだろ……」


 ロランの呆れた声に、エリクシルは頬を膨らませて拗ねたように黙り込む。


 *    *    *    *


 コスタンの家にたどり着くと、扉の向こうから元気な声が聞こえてきた。


「おお、ロランくん! 待っておりましたぞ!」


 扉を開けると、そこには笑顔をたたえたコスタンの姿があった。

 彼の手には黒い外套が掛けられている。


「その服も似合っていますな。これを羽織ればもっといい!」


 ロランはその外套を両手で受け取り、思わず感嘆の声を漏らす。


「これ、ほとんど新品じゃないですか?」

「そうですとも! これは冒険者を引退する直前に購入したものですが、ついぞ着る機会がなくてな。ロランくんにこそふさわしい!」


 黒無地の外套は柔らかなウール製で、フードは大きめに仕立てられ、さりげなく武器を隠す工夫がなされている。

 鏡越しに目をやると、背中には白馬の一角獣が力強く刺繍されており、金色のたてがみが黒地に映えて幻想的だった。


 ロランは思わず口元を緩めた。


「これなら……ちょうどいい」


 パチパチパチパチ……。

 拍手の音に振り返ると、サロメが温かな笑みを浮かべながら迎えてくれる。


「とてもよく似合っていますよ」


 その言葉にロランは照れたように頭をかく。


「ありがとうございます。この一角獣……神秘的でカッコいいですね!」

{とても幻想的ですね }


 その言葉にサロメの目がわずかに細まり、柔らかな光を帯びる。


「意匠は少し変えていますが、これは我が家に伝わる紋です。"ユニコーン"と呼ぶのですよ」

「ユニコーン……」


 ロランはその響きに耳を傾けながら尋ねた。


「コスタンさんって、もしかして貴族だったんですか?」


 その言葉にコスタンはわずかに困ったような表情を浮かべ、ゆっくりと首を振った。


「……私はすでに貴族ではありません。ただ、家系にはその名残がある。それだけです」

{教養も豊富で知恵も深い……納得できますね }

「……わかる気がします」


 ロランは深く頷き、改めて外套を手で撫でながら言った。


「素敵な外套をありがとうございます。大切に使いますね!」

「うむうむ、そうしてくだされ」


 隣ではサロメが、どこか懐かしそうにロランを見つめている。


「その姿……若い頃の夫を思い出します。……なんだか懐かしくて」


 彼女の胸に手をあてた仕草と遠い目に、ロランは思わず外套をギュッと握りしめた。


「……これは、師匠からの餞別みたいなものですね」

「まさしくその通り!」


 コスタンは豪快に笑いながら冗談めかして言った。


「……ついでに私も同行しますがなっ! わっはっはっ!」


 その軽妙な言葉に場の空気が和み、皆が自然と笑顔になる。


{……それにしても、立派な鏡ですね }


 エリクシルが興味深げに鏡を眺めると、コスタンが笑いながら説明を始めた。


「ああ、これは前任の町長が残していった物ですな。持ち出せる大きさではなかったのでしょう。仕方なく置いていったようです」


{こんなに立派な一枚鏡、なかなか見ませんね }

「使い道はあまりありませんがな!」


 軽い会話が一段落すると、コスタンは手を叩いて気を引き締めた。


「さて! そろそろポートポランに行きましょうか!」


 その言葉に、サロメが微かに不安げな表情を見せる。


「気を付けて行ってくださいね……」


 彼女の言葉には、家族を送り出す者の深い想いが込められていた。

 コスタンは彼女を優しく抱き寄せ、穏やかな声で囁く。


「大丈夫、ロランくんがついておられる。なにも心配はいらん」


 その言葉に安心したようにサロメは頷き、二人の絆を示す穏やかな抱擁が続いた。

 ロランとエリクシルはその光景に微笑み、同時にどこか羨望を覚えた。


「ロランくん、よろしく頼む!」


「はい、任せてください!」


 力強く返事をしたロランは、サロメに挨拶を済ませ、コスタンと共に外へ出た。


 コスタンの家の前にはバイクが停まり、荷台には岩トロールの角とシャーマンの頭飾りが括り付けられている。

 横にはシャイアルケーキの入ったバスケットも積まれていた。


「うむ、見事に荷物が詰まっていますな!」

「そうなんです。ムルコさんのケーキを売るようにお願いされてまして」

「うむうむ、村の一大事業になるかもしれないのです。まずはこの商品を商業ギルドに売り込むところから始めましょう!」


 ロランとコスタンがバイクの準備を整える間に、村人たちが集まり始めた。

 ムルコや子どもたちはもちろん、ラクモやチャリスも顔を見せる。


 誰もが静かに見送りの準備を整えた二人を見つめ、温かな眼差しを向けていた。


 ニョムは兄弟たちと一緒に手を振り、小さく跳ねている。

 ムルコは優しい微笑みを浮かべ、ラクモとチャリスは腕を組んで壁にもたれていた。


 ロランはバイクに跨がりながら、振り返ってその光景を胸に刻み込んだ。

 ――村全体が、自分たちを送り出している。


「じゃあ、行ってきます!」

「出発ですぞ!」


 バイクのエンジンが唸りを上げると、村人たちは手を振りながら見送った。

 子どもたちの小さな声援が、風に乗って遠ざかっていく。


「ぎゃひーーーーー!」


 コスタンの叫びがバイクの音に紛れ、村に響いた。


――――――――――――――――4章 完


ロランの最新装備。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330667316772534

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