078 ラクモのお料理教室


 ロランが目を覚ましたとき、辺りはすっかり夕暮れの空気に包まれていた。

 エリクシルがベッド脇で静かに座っている。


「ここは……?」

{シャイアル村のムルコさんのお家ですよ。たっぷりお休みになられたようですね}


 ロランは夢の残滓を感じながら、頭を振って現実に戻ろうとする。


「……アニエスと親父を見た……」

{……妹様とお父様をですか? ……深く眠っていたので、夢を見たのでしょうね }


 アニエスと父――その姿が鮮明に脳裏をよぎった。


「そう、夢だ……あの窓は見覚えがある。……家にいたんだ。なのに親父が遠くにいるような感じがして……」


 どこか遠くて、近いような奇妙な感覚。


 そのとき、扉が軽く叩かれた。


「ロランさん、入ってもいいですか?」


 ムルコの優しい声が聞こえる。


「どうぞ」


 ギィと扉が開き、ムルコが顔を覗かせた。


「よくお休みになったようで安心しました。実は、ラクモさんがご飯を一緒に作りませんかと訪ねていらしたんです」

「ラクモさんが料理を?」


 ロランの腹がぐぅうと鳴り、ムルコは笑みを浮かべた。


「夕方ですからね、お腹も空くでしょう。ラクモさんの提案は珍しいですよ。さっ、急いで向かいましょう!」


 ラクモの家に到着すると、壁に寄りかかって待っていたラクモがロランを迎えた。


「よく休めたかい?」

「はい、おかげさまで……ラクモさんの方は?」

「この通りさ」


 ラクモは片足を扉枠の天井にぴったりつける妙技を見せた。


「おぉ……。おぉ……?」


《……元気ってことか?》

{{冗談なのか本気なのかわかりませんが、とりあえず頷いておきましょうか}}


「えーっと、良かった、です?」

「うん」


 ラクモの家はムルコの家と大きく変わらない間取りだ。

 ただし、そこかしこの壁にいくつもの調理器具が吊るされている。

 何に使うのか想像がつかないような複雑な器具もある。


「おいで、ここがキッチン」


 ラクモのキッチンに案内されると、壁には無数の調理器具が吊るされている。

 香草や干し肉、食材が整然と並べられた空間にラクモの几帳面な性格が表れている。


「まずは粉を混ぜてパスタを作るよ。全部教えるから、一緒にやってみよう」


 調理機に頼り切りだったロランが本格的な料理に挑む。

 やや緊張していると、ラクモは「簡単だよ」と微笑みながら、小麦粉を取り出して準備を進める。


「これって製粉所で作ったものですか?」

「そうだよ。村の麦を干して粉にしてるんだ。挽きたてだから香りも違うでしょ」


 ロランは粉を手に取り、豊かな香りに感嘆の息を漏らす。

 調理を始める前に、ラクモは布製のコイフとアームカバーを装着した。


{{ラクモさん……とても愛らしい格好ですね……。モフモフがこう……キュウっとなって…… }}

「あぁ、これ。抜け毛が入ると料理が美味しくなくなるからね。……シヤンの料理人は少ないから珍しいかも」


 粉を混ぜながら、ラクモは自分の過去を語り始めた。


「昔はフィラの料理処で働いてた。でも、毛が嫌がられることが多くてね。それで彼女とも別れて……」


 耳と尻尾がしゅんと垂れるラクモを見て、ロランとエリクシルは優しく頷く。


「でも村に帰ってきてからは、コスタンさんやチャリスさんに助けられたよ。特にチャリスさんが抜け毛対策の服を作ってくれたんだ」

{チャリスさん……なんて器用なんでしょう! 本当に何でもできる方ですね!}


「今は村おこしでムルコさんのシャイアルケーキを手伝ってるんだ。もっと作りやすくして、たくさんの人に食べてもらえるようにしたくてさ」


 ラクモの真剣な目に、ロランとエリクシルも応援の言葉を掛けた。

 調理の待ち時間に、ロランは思い出したように尋ねた。


「ラクモさん、あの戦いで覚醒されたとか?」

「そう、レベルも一気に2上がって21になったんだ」


{一気に2も……。コスタンさんたちはどうなったか聞いていますか?}

「うーん、みんなレベルが上がったとは言ってたけど……。詳しいことは、あとでコスタンさんにも聞いてみるといいよ」

{ありがとうございます。あとで尋ねてみます。それでラクモさんは覚醒して何か変わりはありましたか?}

「そうだね。身体の動きがすこぶる良いんだ。たぶんスキルが強くなったんだと思う」

{あ、あの、スキルが強くなったとは、どういうことですか?}


 エリクシルがメモを片手に、興味津々で前のめりになる。


(おい、これエリクシルのスイッチ入っちまったぞ。ラクモさん、捕まると長ぇぞ)


 ロランは心の中で呟きながら、ラクモの返答を待つ。


「エリクシルさん、僕は冒険者じゃないから詳しく説明できないよ。ギルドで鑑定を受ければスキルがどう強くなったかとか、具体的なことがわかるんじゃないかな。そっちで聞いてみて」


 ラクモはコスタンや村人たちから、エリクシルの探究心の強さを聞いていたのかもしれない。

 自分は情報を持っていないのだと潔く話を切り上げた。


{……そうなのですね……。ギルドに寄ったら尋ねてみます。ありがとうございます}


 エリクシルは少し肩を落としながらも、律儀にお礼を述べる。それにラクモは嫌味のない爽やかな笑顔で応えた。


「僕も気にならないわけじゃないけどね。ギルドに行く機会もないし、村で暮らしてる分には特に不便もないから」


 その言葉にロランとエリクシルはうなずきながらも、自分たちの中に広がる疑問を改めて感じていた。


{……ダンジョンで魔物を倒していないのにレベルが2も上がったというのも気になりますね}


 エリクシルがメモ帳とにらめっこしている。


「あぁ、俺もそこ気になってる。魔石も割ってねぇし、魔素を吸収したわけでもねぇ。レベルの壁ってどうなってんのか……」

{ロラン・ローグのレベルも確認していませんが、どうなっていますか?}

「まぁ、たぶん変わってないと思うけどな……」


 ロランは小声で「ステータス開示」と呟く。目の前に浮かび上がった情報を確認し、肩をすくめる。


◆ロラン・ローグ 23歳

◆無職 自由民 レベル1


{……変わりありませんね……。仮説を立てるには情報が不足しています。まずはコスタンさんのレベルも尋ねてから考察を進めるべきですね}

「そうだな。ギルドに行ったらその辺も含めて確認してみよう」


 エリクシルのメモ帳には矢継ぎ早に新しい文字が書き込まれ、ロランは少し苦笑しながら次の工程へと気持ちを切り替えた。


 ラクモの指導でロランがパスタを切る工程をこなしていると、次々と村人たちが手伝いに訪れた。


「今日のパスタはバロカーナだよ」


 ラクモが冷蔵庫のような魔道具から取り出したのは、芳醇な香りを放つチーズだった。

 さらに吊るされていたピギィのベーコンも加わり、調理は次の段階に進む。


《この魅惑的な香りのチーズに、ベエコンに卵とくれば……!》

{{カルボナーラですね!}}

《ウッヒョー!》


 ロランは茹で上がった麺を丁寧に鍋に移し、ラクモが削り入れるチーズや焼き上げたベーコンを見守る。


「最後の工程は卵だよ。温度を見極めないとね」


 鍋の中でゆっくりと卵が絡まり、トロリとしたソースが麺に馴染む。

 ラクモの手際に、村人たちは息を飲んで見守る。


「完成だ……!」


 調理が終わる頃、村の広場では祝勝会が始まっていた。

 夕闇に照らされる焚火のそばで、ピギィの丸焼きがじっくりと炙られている。

 油が皮から滴り落ちるたびにジュッという音が響き、香ばしい匂いが広がる。


 祝勝会が盛り上がる中、子どもたちは焚火の周りを駆け回り、大人たちは陽気な音楽に合わせて手拍子を打つ。どこからともなく簡素な笛の音が聞こえ、雰囲気を一層彩る。


 ロランは完成したカルボナーラを手にする間もなく、ピギィの肉がたっぷりと盛り付けられた。

 一口食べると、チーズの濃厚さ、カリカリのベーコン、肉汁溢れるピギィが織りなす味の調和に驚愕する。


「うっっっっまっ!!!」

「うむ、ロランさんにぜひ食べてもらいたくて……!」


 口の中で踊るような豊かな味わいに、ロランはふと微笑む。

 自分の手で作り上げた料理が誰かを喜ばせる――ロランはその喜びを初めて実感した気がした。


「……料理って、楽しいんですね」

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