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077 帰ろう

 

 雲間から陽光が差し込み、シャイアル村を黄金色に照らし出していた。

 麦畑の広がる風景は、戦いの傷跡を癒すかのように穏やかで美しい。

 ロランたちは戦いを終えた余韻を感じながら、村への帰路を歩んでいた。


 村へ戻る道中、ロランたちは小鬼ゴブリンの処理や岩トロールとの戦闘を振り返りつつ、笑いを交えた軽い会話を交わしていた。


「ふぅ……。やっぱり戦いより、移動や解体に時間がかかりましたぜ!」


 チャリスがため息をつきながら言う。

 その顔には疲労が滲んでいたが、どこか安堵の色が浮かんでいた。


「戦闘もロランさんがいなければどうなったか……。並の冒険者ではあの岩トロールには歯が立ちませんぞ」

「いえ、俺ひとりではとても。エリクシルがいなければ、とても勝てなかったと思います。特に、あの黒くなったのには本当に肝を冷やしました」


 ロランの言葉にエリクシルが静かに応じる。


{そういえば魔石をスキャンした際、興味深い点に気づきましたよ}


 エリクシルがロランの目の前に、魔石スキャンの画像を投影する。

 琥珀色の魔石には煙水晶のような模様が浮かび、その内部にいくつもの異質な物質が内包されているのがわかる。


「これは……祈祷師シャーマン斥候スカウトの魔石とも違うな。内包物が複雑だ」

{その通りです。おそらく、これがあの硬化現象の原因となったのではないでしょうか。魔物特有のスキルや魔法である可能性があります}


 ロランは少し眉をひそめながら、スキャン画像を見つめる。


「詠唱もなかったし、斥候スカウトみてえなパッシブスキルか?」

{不明です。これが生物的な特性に基づく能力なのか、それとも魔素が引き起こす現象なのか……さっぱりです}


 コスタンが顎髭を撫でながら口を開く。


「感情の高ぶりとか、そういうのがきっかけだったのかもしれませんな。狂戦士の職能ジョブでは怒りで力を増幅させると聞いたことがあります」


 コスタンの言葉に、ロランとエリクシルが軽く首をかしげる。


{……もし感情が魔素と反応するなら、非常に興味深い仮説です。魔物についての資料でもあればいいのですが……}

「うむ、バイユールには図書館がありますから、いつか訪ねるのとよいでしょう」


 ロランは二人のやり取りを微笑ましく見守りながら、少し肩をすくめた。


「へぇ。でも、それはそれとして、まずは帰って寝ましょう。さすがにもう限界だ」


 村の入り口が見えてくる頃には、話題はもっと軽いものに移り変わっていた。

 麦の作付けや村で流行っている娯楽について笑い合い、気がつけば村人たちが彼らを迎えに来ているのが見えた。


「おーいっ!」


 コスタンが手を振ると、前方のサロメがほっと胸をなでおろし、村に向かって手招きをした。

 それを合図に、ムルコやニョムをはじめ、村のほぼ全員が歓声をあげながら集まってくる。


「ロランーーーっ!」


 最初に駆け寄ってきたのはニョムだった。

 まるでロケットのように勢いよくロランに飛びつく。

 ロランは片手でバイクを支えつつ、もう片手で彼女を抱きしめる。


「ロランならぶじだってわかってた!」

「あぁ! この通り、みーんな無事だぜっ!」


 ロランが笑顔で答えると、ニョムはその目をごしごしと擦った。

 その目が少し赤く腫れているのに気づいたロランは、軽く肩を叩いた。


「心配かけたな」


 ニョムは明るく笑顔を返すと、エリクシルを見上げて手を伸ばした。

 エリクシルは顔をほころばせ、しゃがんでニョムを優しく抱きしめた。


「エリクシルお姉ちゃんもおかえりっ! ニョム嬉しいよっ!!」

{ただいま、ニョムさん。私もまたお会いできて嬉しいです!}


 ホログラムにノイズが混じるが、誰もそんなことは気にしない。

 村人たちの拍手が鳴りやまず、歓声が広がる中、ロランは肩を叩かれながら感謝の言葉を受け取った。

 足にしがみつく子供たちもいて、身動きが取れない状況に苦笑いする。


「本当に帰ってきたんだな……」


 ロランの目頭が熱くなる。

 ぼやけた視界の端で、サロメとコスタンが熱い抱擁を交わしているのが見えた。


 *    *    *    *


「さぁさ、こちらです。この毛皮を敷いたベッドでゆっくり休んでください。もとはノワリが使っていたものですが、ロランさんに使ってもらえるなら喜んで提供しますよ」


 ムルコが柔らかな笑みを浮かべ、ロランを寝室へと案内した。


「ありがとうございます。ありがたくお借りします」


 ロランは丁寧に礼を述べると、荷物を降ろし肩を軽く回す。

 疲労の重みがじわじわと全身に広がっていた。


「なにか必要なものがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 ロランの返事を聞くと、ムルコは満足げに頷き、静かに部屋を後にした。

 ベッドに腰掛けた瞬間、ロランの身体に溜め込んでいた疲れがどっと押し寄せてきた。


「ふぅーーーっ……」


 思わず大きな息を吐く。

 隣に腰を下ろしたエリクシルが、柔らかな声をかけた。


{お疲れ様でした}

「仮眠を取ったとはいえ、やっぱり疲れたな……。今ならいくらでも寝られそうだ」

{……ロラン・ローグ、今回も頑張りましたね。あなたはまたひとつ成し遂げたのです。わたしはそれが誇らしいですよ}


 誇らしい……。

 そう言われてロランは腹の底が熱くなるのを感じた。


 ロランは照れ笑いを浮かべながら、ベッドへ大の字に倒れ込む。

 短く刈り揃えられた薄ピンク色のメェルの毛皮が、ふんわりと身体を受け止めた。


 もこもことした柔らかな感触に、自然と肩の力が抜けていく。

 心の中に溜まっていた疲れや緊張がシュワシュワと溶け出し、穏やかな眠気が全身を包み込む。


「……たしかにいいベッドだな」


 ふと、メェルの毛皮を短く刈り揃える技術について考えがよぎるが、それも束の間、急激な睡魔が思考をかき消した。

 ロランは抗うことなくその心地よい闇に身を委ね、静かな寝息を立て始めた。


{おやすみなさい、ロラン・ローグ……}


 エリクシルはロランの眠った顔を覗き込み、そっと髪をなでる。

 その目には慈しみが宿り、彼女の指先が静かにロランの額に触れる。


 静かな夜の空気の中で、エリクシルの微笑みだけが優しく輝いていた。


 *    *    *    *


「ローラーーーーン!」


 どこか遠くから、アニエスの声が響いてくる。

 甘く切ないその呼びかけが、霧のように漂う意識の奥底を揺さぶった。


「ロラン」


 低く重い声が耳を打つ。親父の声だ。

 しかし、その姿は見えない。声だけが虚空から滲み出るように響き渡る。


「お兄ちゃんっ!」


 アニエスの小さな顔が突然近づいてくる。

 彼女の笑顔は陽だまりのように温かいが、その瞳の奥には何か言い知れぬ不安が見え隠れしている。


「起きなさい、ロラン」


 ゆっくりと窓辺に立つ男の輪郭が浮かび上がる。

 逆光の中、その顔は影に隠されてよく見えない。だが、確かに親父だと感じた。


「お父さん、どうしてそんなところに立っているの? 早くうちに帰ってきてよ――」


 その言葉は胸の中で反響するだけで、声にならない。

 薄暗い光の中、男の輪郭が微かに揺れた。


「でないと母さんが……」


 ロランの意識は闇に引きずられるように沈み、霧の中の景色が儚く消えていった。

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