065 モウに囲まれた夜
「準備が整いましたよ。お夜食にしましょうか」
サロメの声が響くと、場の緊張が少しだけ和らいだ。
「うむ、話も膠着していたところだ。腹が膨れれば良い案も浮かぶでしょう。皆、腹ごしらえとしましょうか」
コスタンの
サロメたちが運ぶ木の皿には、先ほどの宴の食事がふんだんに盛り付けられていた。
漂う香りも見た目も、胃袋を確実に刺激してくる。
「ロランさん、これはどうすれば良いかしら?」
サロメが木の器に収めた缶詰を見せてくる。
缶詰からは湯気が立ち昇り、丁寧に温め直されたことがわかる。
「ああ! ありがとうございます。あとは俺が中身を移しますね」
とろりと濃厚なビーフシチューが姿を現し、ゴロゴロとした肉塊と一緒に香ばしい香りが広がった。
「これは……? ずいぶん見慣れぬ料理ですな」
「これは俺の世界の"牛"……モー! と鳴く動物の肉を使った料理なんですけど」
ロランが説明すると、村人たちは一様に驚きの表情を見せる。
「ああっ! それならモウだな!」
「モーって鳴くのなんて珍しいもんね!」
口々に「モウ」と繰り返す村人たちに、ロランは内心くすっと笑う。
「そのモウの肉を使った煮込み料理、シチューです」
コスタンが顔をしかめながら、シチューの色合いや質感に目をやる。
「シチューにしてはやけにドロッとしていますな。色味も濃い……煮込み過ぎたようにも見えますが……」
そこでエリクシルが、いつもの冷静な声で説明を加える。
{このシチューはたくさんの野菜と肉の筋や舌、骨、お酒を煮込んで作られています。硬い筋や骨を美味しく食べられるようにするために、しっかり煮込まれているのでドロッとしています。色味はお酒の色と関係しているんですよ}
「ふむ……物は試しですな……」
コスタンがスプーンで一口すくい、慎重に口へ運ぶ。
「むっ……ホロホロに…………」
コスタンは目を閉じ、ゆっくりと咀嚼を繰り返す。
そして、長い沈黙の後、穏やかな声でこう告げた。
「……私は今、モウに囲まれていました」
「どういうこと?」「モウに囲まれる……?」
この謎めいた発言に、村人たちはざわめき立つ。
「皆さんも食べてみなさい。私の言葉の意味がわかるでしょう」
コスタンの達観したような表情に後押しされるように、村人たちはシチューを求めて列を作り始めた。
その勢いにロランもたじろぎつつ、フォロンティア・ミルズ特製ビーフシチューを見守る。
缶詰4つ分のシチューは、あっという間に空となった。
ゴロゴロと入ったすね肉と舌肉、厳選された香辛料の刺激、野菜の自然な甘みとコクが合わさった濃厚な味わい。
異世界の人々にとっては未知の食体験であり、次々と感嘆の声が上がる。
「たしかにモウがいた。とても旨い」
「まごうことなくモウの群れだったな……これは驚きの旨さだ」
村人たちが笑顔で皿を抱え、至福の表情を浮かべる。
その光景に、ロランは肩の力を抜いて笑った。
ロランも料理を堪能しながら村人たちと談笑を重ね、食べ終える座り込んだ。
「ふぅ~~満足。ご馳走様でした!」
{たくさん食べましたね}
「うむ、見事な食べっぷりでしたな! 食事は生活の基本です。食べてしっかり休息をとる――これは冒険者を目指す者にとって、なおさら重要な心得ですぞ」
ロランはお腹をポンポンと叩きながら、満腹感とともにコスタンの言葉を噛み締めた。
「さすがにこれだけの量を毎日食べるわけにはいかないでしょうけど、冒険者はその分、命を懸けて働くわけですもんね。……本当に美味しい料理でした。こんなに色々食べられたのは初めてかもしれません」
「いやぁ、実力のある冒険者ともなれば、もっと良いものを食べますぞ!」
コスタンは得意げに頷き、ロランは思い出したように尋ねる。
「確か港街ポートポランでは"シーサンペント"や"ホーンフィッシュ"といった魚系の魔物が食べられると言ってましたね」
「うむ、魚系の魔物ですな。魚もいいですがな、湖の街バイユールに行けば"クラヴァーク"に"コカトリス"などの肉も食べられましょう。特に"コカトリス"の心臓のママト煮込みは一度食べたら忘れられません!」
「どちらから訪ねるべきか迷いますね!」
ロランが笑顔で応じると、コスタンも大きく頷いた。
「うむ、どちらも捨てがたいですが、港街ポートポランの方が近いですな」
ロランはその言葉に納得し、改めて感謝を口にした。
「すべてが終わったら、訪ねてみようと思います。……そういえば、夜食の準備、ありがとうございました!」
サロメが皿を片付けながら微笑む。
「いいえ、ロランさんにこの村の料理を気に入ってもらえて、こちらも嬉しいです」
「うむうむ、ロランさんの"モウの煮込み"も非常に旨かったです! こんな味の料理が金属の箱に納められているとは思いませんでしたな……!」
「へへ……!」
{ロラン・ローグ、気に入っていただけて良かったですね}
「あぁっ!」
夜食を終えると、大広間には静かな緊張感が漂い始めた。
ロランは腰を浮かし、周囲の視線を受けながら切り出す。
「岩トロールは、一度俺の拠点に戻って武器を見直せばなんとかなると思います。そして、攻撃を仕掛けるタイミングですが……」
ロランの言葉に、村人たちは息を呑んだ。
その一瞬の間に、彼は静かに続けた。
「砦に
「おお! それは……しかし切り立った山向こうとなるとかなり遠いでしょう。間に合うのですか?」
コスタンが鋭い目つきで尋ねると、ロランは頷きながら答えた。
「はい、早馬とはだいぶ毛色が違いますが、乗り物があります。それを使えば、ギリギリ間に合うと思います。ただし、皆さんには俺が指定する場所で合流してもらう準備が必要です」
「……皆さんと言うと、私だけではないのですな?」
コスタンの問いに、ロランは軽く肩をすくめるように答えた。
「そうです。あぁ……先に話しておくべきでしたね。まずは、レベルの壁について確認させてください」
『レベルの壁』という言葉が響いた瞬間、コスタンの表情が硬くなる。
その意味を察したのか、彼は目を大きく見開き、低い声で確認するように口を開いた。
「……私どもが討伐に参加し、レベルの壁を越えるということですか……?」
その言葉に、大広間がざわめき始める。
「岩トロールを倒す?」「俺たちが……?」「どうやって……」
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