042 ムルコ特製シチューとパン★

 

 ロランは心を無にして、コスタンの話が終わるのを待った……。

 30分後……。


「あの層には深い霧が立ち込めていて、前も後ろもわからなくなり、魔物の奇襲に怯えることばかりでした……」


 ロランは死んだように虚ろな目をしていた。


「みなさん、食事ができましたよ。昼食にしましょう」


 ムルコの声がキッチンからの香ばしい匂いとともに響くと、ニョムの兄弟たちが一斉に歓声を上げた。


「わぁ、シチューだ!」「パンもいっぱい!」


 ロランもその匂いに現実へ引き戻され、ようやく顔を上げる。

 コスタンも話を一旦止め、ムルコに軽く会釈した。


「おっと、つい話し込んでしまいましたな! こんなに用意していただき恐縮です。後で食材をお届けしますよ」

「あら、それは助かります」


 ムルコは礼を受け流しつつ、大きなパンのバスケットと、湯気が立ち上るシチューを並べる。

 そのトレイの大きさにロランは思わず目を見張った。

 子どもがたくさんいる家では、このくらいの量が必要なのだろう。


「マヌ、皆さんにパンをお配りして差し上げて。ミョミョは食器をお願いね」

「「はーい」」


 先ほどからまとめ役として活躍している年長者の男の子はマヌと言うようだ。

 ミョミョと一緒にテキパキと食卓の手伝いをしている。


「……ロランさん、畑でとれた野菜と森で採ったキノコ、ラビの肉を煮込んだシチューです。お口に合うといいのだけれど」


 ロランは準備が進むのをボーっと見ていた。

 ムルコの声が聞こえた時、ニョムの家族は既に食卓に着いていたことに気づいた。

 ロランの前には、木の器に入ったシチューと丸いパンが一つずつ置かれており、器からは湯気が立ち上っていた。


 ロランはシチューの中を覗いた。

 シチューには根菜や葉物、キノコ、そして肉まで入っている。

 どこかの国では、シチューと言えば白いものというイメージがあるらしい。

 しかしシチューとはブイヨンやソースで煮込んだ具材全般を指す言葉である。

 ムルコのシチューは、野菜やキノコ、そして肉から出たブイヨンでしっかりと煮込まれていて、スープは旨みがよく引き出され、飴色に輝いていた。


「すごく旨そうなシチューですね。ところでラビとは?」

「原っぱや森の浅いところにいて、これくらいの大きさでこんな動物ですよ」


 ムルコがそう言うと両手で大きさを示すと、今度は頭の上で両手をピョコピョコと動かす。


「……あぁ"ウサギ"ですか!  こちらではラビと呼ぶんですね」

「あはは、そっか名前が違うんですよね。でも通じて良かったわ」


 ムルコが笑いながら答えるとロランが笑顔で「そうですね」と返事をする。


「ねえねえおかあさん、ニョムもうおなかペコペコだよ! 食べていい?」


 ニョムがスプーンを持ちながら前のめりになり、足をバタバタさせている。

 相変わらず感情と一緒に身体を動かす様子にほっこりとしてしまう。


「はいはい、じゃあ皆でいただきますしたらにしましょうね」

「「「「「いただきまーす!」」」」」


 その言葉を聞くや否や、ニョムの兄弟たちが声をそろえて言うと一斉に食べ始めた。


「ではわたしもいただきますね」


 パンは少し固めで、表面が香ばしく焼き上がっている。

 シチューの器にパンを浸し一口かじると、もちっとした食感に野菜とキノコの旨味がしっかり染み込んでいた。


 シチューには見慣れない根菜や野菜、キノコに加え、骨付きの大きな肉が沈んでいる。

 ロランは思わず目を細め、懐かしい味に浸った。

 手作りのシチューを食べるのは久しぶりだ。

 思い出すのは、亡くなった母が夏の別荘でよく作ってくれたシチューの味……。

 窓から風が通り、木々の香りが混じるなか、何気なく食べた母の料理。


 知らず知らずに、ロランの目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。


 その時はただ腹ごなしに食べていたシチューとパンだったが、今またこうして食べられている気がする。

 もちろん味は違う。パンも焼きたてだったように思う。

 それでも旨い。ひたすらに美味しく、優しく、母を思い出す味だ。


 ロランの頬を一滴の涙が伝う。暖かな気持ちだ。そして寂しくもある。

 ……よく味わって食べよう。


「ロランさん、大丈夫ですか!? ……パンが硬すぎましたか?」


 ムルコがそんなロランの様子に気が付き、慌てながらもやさしく手拭いを差し出した。

 ロランは少し照れくさそうに微笑んだ。


「いえ、パンもシチューもとても美味しいです。ただ、亡くなった母のことを思い出して……」


 ロランは手拭いを受け取ると目に押し当てる。


「母のシチューは誰もが恋しくなる味ですな……」


 コスタンが腕を組んでうんうんと頷きながら思い出すように言うと、間髪入れずにムルコが突っ込んだ。


「コスタンさんはいつも奥さんのを食べてるじゃないの!」


 コスタンは一瞬きょとんとしたあと、手を打って大笑いする。


「はっはっは、そうでした。ムルコさんのシチューは絶品ですぞ。いやあ家内のシチューはイマイチでしてなあ……おっと口が滑りましたな。皆さんこのことは黙っていてくださいね!!」


「まったくコスタンさんったら……」

「はははっ、……なんだか家族みたいですね。そしたらコスタンさんはおじいちゃんか、クククっ」


 コスタンの陽気な一言に、ロランもつられて笑ってしまう。

 家族のような温かさを感じ、懐かしい気持ちが心に広がる。

 ロランに笑顔が戻ったのを見て、ニョムも嬉しそうにパンをかじりだす。


「フフフ、では私がおじいちゃん役ということですな。こうして若い者たちと食卓を囲むのは、懐かしい気持ちになります」


 その瞬間、「えー!コスタンおじいちゃんはいやだ!」「話ながーい!」「なんか変なにおいがするー」と一斉に兄弟たちからの突っ込みが入り、場はさらに賑やかになる。


 コスタンが肩を落とすと、ムルコも優しく笑った。


{ふふふ、家族とは温かな良いものなのですね}


 エリクシルはそんな様子を静かに見守りながらしみじみと語った。


――――――――――――

農家の娘姿のエリクシル。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330666616951211

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