039 ムルコの家★

 

 ロランが石積みに寄りかかり物思いにふけっていると、ニョムとその家族が近づいてきた。

 彼は咄嗟に外套で武器が隠れているかを確認する。


「ロランだよ! ニョムを助けてくれたの!」

「あぁ、あなたが……ありがとうございます。私、母のムルコと申します。娘を助けていただき、本当に感謝しています」


 ムルコはニョムにそっくりだった。

 飴色の瞳に煤竹色の髪。編み上げた髪を肩から前に垂らし、ニョムの兄弟たちも同じ髪色をしている。

 彼らの姿に、周囲の村人たちも興味深げにロランを見つめていた。。


「ロラン・ローグです。娘さんを無事に送り届けられて良かったです」


 ロランはムルコに名乗る際、周りからの視線に気恥ずかしさを覚えたが、なんとか堂々と振る舞おうと気を張った。


 ロランは少し照れつつも、堂々と名乗り頭を下げる。

 するとムルコが突然驚いた様子で耳と尻尾を立て、膝をついて頭を垂れた。

 村人たちがざわめき、兄弟たちも母に倣って膝をつく。

 ニョムだけが一人立ったままだ。


「あぁ! 非礼をお詫びします。お召し物から貴族様とは思わず……」


 ムルコは頭を垂れたまま慌てた口調でそう言った。

 古びたケープをまとった彼女の背中は、何度も修繕されていることを示す無数の縫い目で覆われていた。


《無声通信、エリクシル、俺が貴族だと勘違いされているみたいだ》

{{この地では姓を持つ者は貴族に限られるのかもしれません}}


 ロランはすぐに気づいた。没落した自分の家を知っているはずはない。


「ムルコさん、頭を上げてください。俺は貴族ではありません。ただの旅人です」


「そう……でしたか。自由民の方だったのですね。ですが、娘の恩人に変わりありません」

ムルコは顔を上げ、お辞儀をしながらそう言った。ロランには聞きなれない単語も多いが、エリクシルの翻訳のおかげで意味を理解していた。


 告げるロランの言葉に、ムルコは驚きと安堵の入り混じった表情を浮かべた。

 兄弟たちはひそひそ声で「貴族じゃないってさ」とささやき合い、すぐにまたにぎやかに話し始めた。


 ここまでの会話でロランには聞きなれない単語がいくつも飛び交うが、エリクシルの翻訳パワーが火を噴くように働き、予測翻訳した情報を伝達してくれているためなんとかついて行けている。


《あー……エリクシル? 自由民ってなんだ?》

{{自由民とは古代社会で奴隷身分以外の平民を指すことが多いようです。あくまでデータベースをもとに発言の意図を予測しただけで、この地でもそうであるという保証はありませんが}}

《ありがとう助かるよ》


 エリクシルが翻訳情報に加えて補足情報を伝達してくれるが、ロランの生きていた世界での歴史情報などから引用・予測しているため確証はないのだ。


「あぁ、自由民です」

ロランはそう返しながら(これからはロランとだけ名乗るべきだな)と心に決めた。


「ここで立ち話もなんですし、どうぞ家にいらしてください。お礼をさせていただきたいんです」

「お家においで!」


 ムルコの招きに、ニョムがピョンピョンと跳ねて、嬉しそうに手招きする。


「では、お邪魔します」


 ロランはそう言い、ニョムとその家族に案内されて村の中を進む。


 ニョムの家は広場の端にあり、壁や屋根の状態も良い。

 修繕されているのかもしれないが、ロランは亡くなった父親が手を入れていたのだろうと直感する。

 家の前に到着すると、ムルコが振り返った。


「私は村長にニョムの無事を報告してきます。どうぞ中でくつろいでください」


 ムルコは軽く頭を下げると、広場の中心にある井戸を避け、傷んだ大きな屋敷へ向かっていく。


「ロラン入って!」


 ニョムが扉を開けて待っている。

 兄弟たちもどうぞとロランを迎えた。


「あぁ、お邪魔するよ」


 中に入ると、まず目に飛び込んだのは大きなテーブルと椅子。

 おそらくニョムの父親の自慢だったのだろう。家族全員で食事できるような立派なものだ。


 ニョムが椅子を引いてくれたので、ロランは荷物を置いて腰を下ろす。

 部屋を見渡すと、石の壁と木の梁、大きな石造りの暖炉が目に入る。

 煙突が天井を突き抜けて外に続き、金属製のバケツには薪が用意されていた。

 暖炉には干しキノコが吊るされ、狩りをする暮らしを想像させる。


 そんなロランの観察を遮るように、ニョムの兄弟が木のコップを置いた。


「妹を助けてくれてありがとう! どうぞ、飲んでください」


 いま家にいる兄弟の中で一番上の兄だろうか、ニョムよりしっかりとした体格と顔つきをしていた。


「あぁ、ありがとう。いただきます」


 ロランがコップを手に取ると、秋の森の香りがふわりと広がった。


(爽やかな酸味と甘みが心地いい……キノコの香りもかすかにあるな)


「美味しい?」「おいしい?」


 皆が一斉に感想を求める。


「美味しいよ。さっぱりしてて……キノコが入っているのかな?」

「そうだよ、コヨの森のキノコだよ!」


 兄弟たちが一斉に答え、賑やかに話し始めた。

 皆で思い思いにおしゃべりをする様子を見ながら、ロランは微笑んだ。


「そういえば、ニョムの服、初めて見るよね!」

「ほんとだ! 可愛い!」「おしゃれー!」

「いいね!」「静かにしなさい!」


 一瞬だけ静かになったが、すぐにまた兄弟たちの視線がニョムの新しい服に集まる。


「えへん! これね、エリ……!」


 慌てて両手で口を押えるニョム。

 エリクシルのことはまだ内緒だとロランと約束していたのだ。

 ロランは偉いぞと微笑む。


「エリって誰?」「何か関係あるの?」

「ロランがくれたんだよ!」

「へぇ!」「私も欲しい!」

「ミョミョもー!」「ズボンも可愛い!」


「ロランさん、騒がしくてすみません」

「いえ、大丈夫です」


 一番上の兄が礼儀正しく謝ると、ロランも微笑んで応える。

 その時、玄関から扉の開く音がした。


「ロランさん、お待たせしました」


 現れたのは、耳も尾もない、落ち着いた表情の初老の男だった。

 ムルコの隣に立つと、杖を支えに姿勢を正し、ロランをじっと見つめた。


 ロランは静かに目を合わせ、その様子を注意深く観察するのだった。


―――――――――――――――

ニョムのお母さんとお姉ちゃんのラフスケッチ。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330666091891578

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