026 ロランとエリクシル★
{ロラン・ローグ、話があります……}
「お、おぉ……珍しいな。なんだ?」
ロランはそういうと姿勢を起こしてカウチに座りなおす。
その斜め前にエリクシルは腰掛ける。
{ロラン・ローグ、少女が寝ている間に、今後について話し合う必要があります。保護するにあたっての具体的な期間などについてです}
「あぁ、期間か……、とりあえず傷が癒えるまでは面倒を見ようと思っている」
{傷……というのは心の傷も含めてですか?}
「体の傷はすぐに治るだろう。問題は心の傷だな。でも、いつまでも面倒みるわけにはいかないよな……」
{はい、保護期間の目安を設けるべきです}
「……うーん、傷が治って帰りたくなったらでいいんじゃないのか?」
{……ロラン・ローグ、少女はペットではないのですよ? あなたは少女を助けて、そのあとはどうするつもりだったのですか?}
エリクシルは少し呆れた様子だった。
「うぅ、エリクシル、言い方きついぜ。この犬っころをペットだとは思っちゃいねえよ。確かに助けたあとのことは深く考えていなかったけどさ」
{……あなたが助けたい、その一心で動いたのは分かります。でもそれだけでは、先を考えることができないかもしれません}
「そりゃ……助けるだろ」
ロランはエリクシルの言葉が突き刺さりながらも、助けることの正当性を自分に言い聞かせるように呟いた。
しかし覚悟が足りていたかと言われれば、答えに詰まる自分がいることに気付いていた。
{ロラン・ローグ、あなたは今後も困っているひとが目の前にいれば全て助けるおつもりですか?}
「あぁ、助けられるなら俺はそうするぜ」
ロランは意固地になっているわけではない。
彼の言葉には、若さゆえの純粋な正義感と衝動が混ざっていた。
それはエリクシルも理解していた。
つい先日まではエリクシルは自身の感情もわからず、整理もつけられなかった。
エリクシルが混沌と表現した感情を、御することのできなかった心を、ロランは真っすぐな言葉で落ち着かせ、見事治めたのである。
ロランの自身の保身に走らず、損得抜きで目の前の困った人を助けようとする、その愚直ともいえる真っすぐさはこの未知なる地や悪意を持つ者を相手にするのは、身を滅ぼしかねないのだとエリクシルは考えていた。
今度はわたしがこの危うい若者を
{あぁ、ロラン・ローグ……これはわたしからのお願いです。すべての危険に首を突っ込むような真似はおやめください。あなたには守るべき使命があるはずです。お父様と妹のアニエス様を探すという使命が}
「う、そ、それを忘れたわけじゃねえ……けどよ……」
ロランはエリクシルの言葉に痛いほど納得しつつも、心では目の前の少女を見捨てることなどできないと感じていた。
エリクシルが家族の話を持ち出すと、彼の心に積もったものが込み上げてくる。
{少女とアニエス様を重ねているのはわかります……}
「うっ……」
エリクシルに指摘され、ロランは言葉を失う。
そして、無意識に流れる涙を感じた。
「俺は……、俺はあの子を助けなきゃならねえ、じゃねえとアニエスも親父も探せねえ気がするんだ……」
ロランは静かに涙を拭うと、再びエリクシルに向き合った。
{ロラン・ローグ、わたしはあなたをお慕いしております。全力であなたを支えるつもりでいるのです。わたしはこの地で意思を持った理由を考えていました。意思を授かるにたる理由があってのことだと……。それはあなたを……守り、導くためだと}
(エリクシルがその綺麗な真っすぐな眼差しで優しく諭す様に俺に伝えてくれている。俺を守り、導く……)
ロランはエリクシルの決意に触れ、もう一度自身の行いを振り返る。
(コブルの集落で檻に繋がれた少女を見た時、アニエスの姿が重なったんだ。だから即座に助けようと決めたんだな……)
{……そうです}
エリクシルが無声通信を通じてロランの心を読んだ。
{……そしてあなたはそれを途中で放棄できるような人物でもありません。貴方は……少女を助けたものの、この見知らぬ危険な地を、どこにあるかもわからない少女の家まで届けなければならないのです。貴方はこの先も困っている人を助けたいと述べましたね}
「……あぁ」
{気軽に請け負って責任を背負い込むべきではありません。わたしのサポートがあるとはいえ、限りがあります。あなたが命を落としたら――}
エリクシルが言葉を詰まらせ目を伏せた。
{――わたしは一体どうすれば良いのですか?}
エリクシルの魂の叫びが聞こえてくる。ロランはそう思った。
そして彼女の言うことすべてが正しく感じ、浅はかな自分を恥じる。
彼女はもう既にロランを守り、導こうとしているのだ。
(俺が死んだらエリクシルはどうなる?
船の動力がなくなるその時まで独りで……何もできずに……ただ死を待つだけなのか?
俺が
ロランは自問自答し、この問いにどうすることが一番なのか考えた。
そして、エリクシルがこれほどまでに自分を思い、心配してくれていることに気づき、静かに頭を下げた。
「「……エリクシル、すまなかった。そしてありがとう」」
{……分かってくださればいいのです}
「……あぁ」
エリクシルはロランに顔をぐっと近づける。
{それでは、あの少女を助け無事に送り届けるのです。ロラン・ローグ、成すべきことを成しなさい}
ロランはエリクシルの説得を受け入れ、感謝の気持ちを伝えたあと、ふと考えを巡らせて言葉を選ぶ。
「……エリクシルには悪いけど、やっぱり心を読んでほしくない。俺にも隠したい物のひとつやふたつくらいある。プライバシーってやつだ。それはエリクシルも理解できるだろう?」
その言葉を聞いて、エリクシルはしばし黙り込み、真剣な面持ちでロランを見つめた。
{……わたしとしては、あなたを通じて学んでいました。あなたの考えを知ることで安心していたのです……}
「そうか、そうだったのか。不安だったんだな、話してくれてありがとう。でもエリクシルはもう立派に感情を学ぶことができていると思う。俺だけじゃなく、あの子からも学べると思う。俺は……この通りひねくれてるからよ……」
エリクシルは小さく笑い、ロランの冗談交じりの言葉に頷く。
{わたしまでひねくれてしまうと思っているのですか? ふふっ、自覚なさっていたのですね? わたしは大丈夫だと思いますよ。そのままのあなたを慕っていますから}
「……そうかぁ……」
ロランはエリクシルの言葉を受け、ふと笑みがこぼれる。次第にそれは声を伴い、やがて笑い声となった。
「……ははは、あははは……」
エリクシルもその笑いに釣られるように、穏やかに微笑む。
ロランの考えすぎは杞憂に終わり、彼は改めてエリクシルへの感謝を述べた。
「エリクシル、話してくれてありがとう。おかげで俺はまた少し成長できた気がする。これからもよろしく頼むな…………それと、無声通信はキーワードを使おう。プライバシーは必要だからさ」
エリクシルはその言葉を聞いて少し考えたあと、真剣に頷いた。
{……承知しました、ロラン・ローグ。あなたの意思を尊重します}
「ありがとう、エリクシル」
ロランはエリクシルの柔らかな笑みを見つめ、彼女の変化を感じ取っていた。
彼が自室に戻り、眠る少女の顔を覗き込む。
(アニエス………………)
「ムニャ……お母さん……」
ふと、妹の姿が少女と重なる。
彼女が母親を夢に見て安らかに眠る姿を見つめ、ロランの胸に温かなものが広がった。
(あぁ……この子は母親の元にいるのが一番だ……。俺は気付かないうちに、自分の妹かのように接していたんだな。……この犬っころの……この子の名前も知らなかった。明日聞かないとな……)
ロランはそう考えながら静かに涙を拭い、エリクシルの方へ戻ってきた。
「それじゃあ、俺も寝るわ。エリクシル、おやすみ」
{おやすみなさい、ロラン・ローグ。あなたは良く頑張っていますよ……}
ロランは彼女の言葉に少し驚き、そして暖かさを感じて微笑む。
「……ありがとう、エリクシル」
彼はカウチに横たわり、いつもより少しだけ軽い気持ちで目を閉じた。
――――――――――――
ロラン、泣く。
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