013 森と丘とエリクシル★

 

「後始末は入念に……」 


 ロランはハンティングナイフで道を切り開き、森の奥へと進んでいった。

 湿気を含んだ風が苔と土の香りを運び、巨木が立ち並ぶ場所では迂回を余儀なくされる。

 彼は風の音や虫の声に耳を傾けつつ、自然の中を進んだ。


 やがて開けた場所に出ると、崩れた石が散らばっていた。

 風化した石に彫られた模様を見て、ここにかつて建物があったことを思い浮かべる。

 太陽が照りつけ、ロランは額の汗を拭いながら水を飲んだ。


 その時、視線を感じる。

 原生生物のつがいがこちらを見ていたが、やがて興味を失ったのか森の中へ消えていく。


「鹿みたいだな……」


 ロランは故郷で父と共に狩りをした記憶を思い出し、懐かしさを感じた。

 隣ではエリクシルが、自然の美しさに感嘆していた。

 彼女にとって、この体験はすべてが新鮮であり、ロランもまた、彼女とこの貴重な瞬間を共有していることを喜んでいた。


 *    *    *    *


 鬱蒼うっそうとした森に隠されるように巨木がそそり立つ。

 蜷局とぐろを巻いた根の元には大きなうろが見え、中は深々と光を吸い込む宇宙の闇のように暗い。

 ロランは吸い込まれるようにうろに近づいた。


 根の壁に手をついて中を覗き込み、フラッシュライトを取り出し中を照らしたが、光は一向に届かない。

 どっぷりと、なんとも言えない空気を感じるが、進まずにはいられない。

 さらに奥を照らし進もうとする。


(今すぐ戻れ――)


 しかし、その場を離れることができなかった。

 まるで蛾が光に引き寄せられるように、ロランは一歩、また一歩と闇の中へと進んでいった。


 突然、エリクシルの手が肩に触れた気がした。

 彼女の声が途切れ途切れに聞こえ、ホログラムが乱れている。


{……! ロ…………ーグ……!} 

{ロラン・ローグ!}


 彼女の声がはっきりと響き、ロランはハッと我に返る。

 洞から離れると、エリクシルの姿も音声も正常に戻った。


「大丈夫かっ!? 中に入ろうとしたらホログラムが乱れてたけどよ!」

「あなたこそ。ひどい汗ですよ」


ロランはべったりと汗をかいていることに気づき、心臓が激しく鼓動しているのを感じた。


{何故入ろうとしたのですか? 高濃度の魔素反応があります、危険に違いありません}

「……わからねぇ、けど、何かを感じたんだ。うろに呼ばれて、手を引かれたような、異質な何かを……」


 ロランも異様な雰囲気を感じていた。

 うろに近づいたのは無意識だったようだ。


{この中を探索するのはよしておきましょう}


 エリクシルは何事もなかったことに安堵した表情を見せ、離れることを提案した。


「ここは危険だな。……早く離れよう」


 ロランは本来の探索経路へと戻った。


 *    *    *    *


 再び森を抜け、開けた場所に出ると、広大な空と緑の丘陵が目の前に広がっていた。

 風は心地よく、疲れた体を癒してくれる。

 ロランはしばしその美しい光景に見とれた。


 丘を登ると、白い花々が一面に咲き乱れており、遠くには滝の水しぶきも見える。

 ロランは深く息を吸い、自然の美しさに心が満たされていくのを感じた。


「……綺麗だな」 

{とても……綺麗です、白い花も、木々も}


 二人はしばし足を止め、大地に生い茂る草花にそっと手を触れた。

 その微かな感触は、彼らを遠い昔に忘れ去られた静かな時間へと誘うかのようだった。


 エリクシルは、直接その草花に触れることはできなかったが、彼女の周囲に漂う自然の気配を鋭敏に感じ取っていた。

 ロランにとっては、長きに渡り星間の無機質なステーションを行き交っていた日々とはまったく異なる、穏やかな瞬間だった。

 彼は久しぶりに自然の息吹を心から感じ取ることができたことに、静かなる感慨を覚えた。


「……懐かしい香りだ。まるで昔、野原で遊んだ時のようだな」


 エリクシルはふと立ち上がり、静かに両手を広げた。

 風が彼女の周りをそよぎ、長い髪を優しく揺らす。

 彼女の瞼は閉じられ、柔らかな微笑がその端正な顔に浮かんでいた。


 その瞬間、エリクシルは自然と一つに溶け合う感覚を全身で味わっていた。


{ロラン・ローグ、わたしは風を感じています}


 エリクシルは静かにつぶやいた。

 その言葉は風に乗り、遠くまで届くようだった。

 風は彼女の言葉を受け取り、やがて周囲の木々もその言葉に応えるかのように、葉を揺らし始めた。

 空気は微かに震え、エリクシルの存在をより強く感じさせた。


 エリクシルはただ風を感じるだけではなく、自分がこの広大な自然の一部であるという深い実感を得ていた。

 彼女にとって風は単なる気象現象ではなく、生命を育み、世界を繋ぐ神秘的な力であった。


「風を感じるのか?」


 {空気の流れ、ですよね。恐らく例の不明な成分の影響だと思います。とても奇妙な感じです この世界との深い繋がりを感じるようです}


「……風を感じられること自体がおかしいんだ。そりゃ奇妙だぜ」


(感覚……腕輪を通してってことか? いや、いまはいい……)


 ロランはこの景色を前に野暮な考えはよそうと思った。


{そうなのでしょうか……}


 ロランは彼女の姿をじっと見つめた。

 いつの間にか、彼女の衣装が変わっていることに気づいた。

 花柄のレースが美しくあしらわれた白と藍紫色のワンピースが、彼女の姿をより神秘的に際立たせていた。


 風が駆け抜けると、雲が速やかに払われ、暖かな陽光が大地に降り注いだ。

 エリクシルの姿は、その光の中でひときわ美しく浮かび上がっていた。


「きれいだな……」


 その美しい光景に、ロランは無意識に呟いた。


{わたし……がですか?}


 エリクシルは頬を紅潮させながら、自らの髪にそっと触れた。


{わたしが綺麗…………すごく嬉しいです}

「ほんと、絵になるよ」

{わたしもロラン・ローグにお仕えできてうれしいです}


 エリクシルは褒められたことになんと返事をすれば良いのかわからずそう答えた。

 ロランはエリクシルの想定外の反応に(ちょっと違うんだよな)と思いつつも、その言葉自体は嬉しく思う。


「ありがとう」

{ありがとう……この場合は、確かに感謝を述べるべきでしたね。ひとつ学びました}


 そうそうそう、と頷きながらロランは笑うと、エリクシルもつられて笑った。


―――――――――――――

エリクシルさんのワンピース姿。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16818093084946288835

うろの木。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330667941423346

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