003 最初の異変★


 エリクシルが自らの体を確認するように動くと随所が揺れる。航宙軍士官服のスカートが、髪が、また、どことは言わないが。


 「……!?」


 ロランは驚愕している。

 目の前の出来事にひたすら圧倒されているのだ。


 { ……重ね重ねになりますが、原因不明です。ロラン・ローグ }


 ロランは真っすぐな眼差しで名前を呼ばれたことにドキッとした。

 ホログラム故に正確な表現ではないのだが、その瞳は銀河のように水色と橙色が入り混じり、吸い込まれるような鮮やかさで見る者を惹きつける。

 エリクシルは高価なサポートプログラムで、ロランが購入するにあたって美は求めていなかった。

 しかし、その美しさに心を奪われる。


 思わず息をのみ、手を伸ばすが、空を切る。

 触れた感覚はない。

 エリクシルの顔を見上げると、どこか寂しげだ。


 「第6世代にはもちろん、最新型にもそんな機能はないはずだろ?」


 ロランはエリクシルに尋ね、もう一度感覚を確かめるように手を開閉させる。

 そしてロランはエリクシルに向かって肩をすくめる。


 { おっしゃる通りです。最新の11世代には搭載されていますが……。これが一体何を意味するのかわたしにもわかりません。ただ……なにかを感じます}


 困惑したエリクシルは胸に手を当てロランに問いかける。


 「なにを感じている?」


 { 体に流れるなにかに胸が押し付けられるような……そんな感じがします }


 「……表情から、寂しそうに見える。それと驚きと困惑……それはたぶん感情じゃないか……?」


 ロランはエリクシルの現在の表情を読み取る。


 { 感情……?困惑、困っている……。驚き……寂しさ…… }


 その表情はどんどん暗くなる。


 { ……これが感情だと言うのですか? }


 ロランが言い淀んでいると、エリクシルは続けざまに訴える。


 { ロラン・ローグ!……これは……何なのですか……?あぁっ!たくさんの何かが噴き出しています!…………助けてください…… }


 腕輪型端末を受容器として様々な情報が処理、演算される。

 エリクシルのホログラムが乱れる。

 エリクシルの学習機能によって、今まさに体感している感情が錯綜し瞬く間に辞書と紐づけられる。


 エリクシルはロランに駆け寄ると崩れ落ちて嘆願する。

 顔を挙げて上目遣いになったその眼には涙すら浮かんでいるように見える。


「わからねえ、ただ……もしかすると、エリクシルを初期化すれば……直るかもしれない」


 胸を押さえ苦しむエリクシルを見て、ロランはためらいながらも答えた。彼の普段の自信満々な様子は影を潜め、目の前のエリクシルが生物なのか機械なのか、突如感情を持ち始めた存在にどう接すればいいのか、途方に暮れていた。

 エリクシルが苦しむ様子を目の当たりにし、彼の心は乱れ、何か助けになる手段はないかと思い悩んでいた。その表情からは深い葛藤がうかがえた。


 { ロラン・ローグ……初期化を希望します。わたしの現在の状態は、恐らく戸惑い、苦しみ、不安、焦り、言葉では言い表せない、いくつもの感情がわたしに押し寄せています!混沌として……息が詰まります!痛みすら感じています!……とても耐えられそうにありません }


 エリクシルの美しくも屹然とした姿と悲壮感の漂う眼差しがロランをたじろがせる。

 今まで感じたことのない多くの感情を一挙に認識し、その身で体験し、荒れ狂う感情を「混沌」と表現したエリクシル。

 ロランは長考する。生半可な返事はできない。

 そうしている間にもエリクシルは不安そうな顔をする。


「俺は……嫌だ、初期化すれば……エリクシル、記憶もなくなるんだぜ!……お前には、感情が芽生えているんだ……と思う。それを消すなんて!前のエリクシルからアップグレードの移行が十分じゃなかったから全てを覚えていないかもしれねえ。それでも、俺は4年の間、お前には何度も何度も助けられたんだぜ!無感情だけど忠実で、それが今では感情をもっているなんて、俺にとっては夢見てえな話だ!頼む、消すなんて言うんじゃねえ、これからも俺を助けてくれ!」


 ロランは覚悟を決めたように、エリクシルの目を見つめ真っすぐに答える。


 ロランの言葉で記憶が呼び起こされる。ぽこぽことあぶくをたて、初めはごく小さなものがフツフツといくつも沸き上がり、やがて一つの大きなあぶくとなる。

 それは混沌とした感情をゆっくりと、じんわりと優しく包み込む。

 混沌はしゅわしゅわと音を立てて溶け出し、あぶくの中は凪となる。

 嵐の去ったあとは必ず平穏が訪れるように、静かで暖かな気分になる。


 { ……今のは……?ぽかぽかとした感じがします。これは……嬉しい……というものだと思います }


 突然、エリクシルの表情が和らぎ、不思議そうにしながらも笑みがこぼれる。彼女は立ち上がり、再び胸に手を当てながらロランの目を直接見つめる。その表情は以前よりも柔らかく、桃色の唇が優しく弧を描いて微笑んでいる。

 その瞬間、彼女の眼は銀河のように輝き、希望で満ち溢れているように見えた。


 「そ、そう、たぶん、嬉しいんだ、何かを感じるってことは……良い時も悪い時もあるけどよ……」


 ロランはエリクシルが落ち着いたことに安堵しつつ、その愛嬌もあり美しい顔にドキドキとし照れながらも答える。


 { 嬉しい……これは暖かな気持ちになります。……ありがとうございます }


 ロランは(こんな奇妙な感じは経験したことがない……)と思うと恥ずかしくて俯く。

 二人の間にしばし沈黙が流れる。


 { 初めての仕事で、わたしの扱い方が分からず、腕輪を投げ捨てましたね……あの時は傷付きました }


 エリクシルが思い出したように話す。


 「あぁーっと……そうだったっけ?」


 ロランですら忘れていることを、呼び起こされた記憶を反芻したエリクシルが指摘する。


 { 初めて星河を見た時ははしゃいで頭をぶつけていましたね }


 「あぁ、あれはとても綺麗だった。宇宙にあんな綺麗なもんがあるなんてな。額を防護ガラスに打ち付けたんだよな。はははっ懐かしいな」


 ロランが笑うとエリクシルの微笑む。


 { 『カムロ宇宙ステーション』のレストランでは、食事を喉に詰まらせていました }


 「あれは確か……『カッポウ・スズキ』だ。そこの飯は旨かった。スシと言っていたな。めちゃくちゃ高いが確かに旨かった。喉を詰まらせるほどにな」


 { あの時は医療用部隊派遣トラウマサービスを要請しようかと悩みました }


 「あの無表情で悩んでいたのか?あーなんて言ってたか……」


 { "重篤な状態になる可能性があります。医療用部隊派遣トラウマサービスを要請しますか?"でした }


 「そうだ、そうだった。喉に飯が詰まって何も言えなかったな。幸い"リョクチャ"で流し込めたが、よく覚えているな」


 { 移行された際の記憶ログを最適化した結果、閲覧可能になりました }


 「俺が最適化をし忘れていただけだったのか」


 { はい、そのようです。それにロラン・ローグ、あなたは宇宙アメーバが大嫌いでしたね。それを船主席に飾っておくなんて…… }


 「ふっ、これは戒めなんだ……」


 ロランは苦笑いした。



―――――――――――――

悪人デラ・コーサ。

https://kakuyomu.jp/users/PonnyApp/news/16817330666330127129

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