3-2:変わらないこと、夕景、ないしょ話。


 ——16:15 / 2122/05/31 (JST)


 陽が陰りはじめていた。

 施設の屋上は相変わらず貸し切り状態で、広々としたコンクリートの上には人気がない。

「うううーーーーん……」

 腕を組んで頭の上で大きく伸びをする。この時間に吹く風もいつしかあまり冷たくなくなってきていて、季節が変わり始めたのを感じていた。

 私はエアマットから体を起こすと、隣で眠っている結実花を揺り動かした。

「おーい、そろそろ陽が落ちるよー」

 そんなことを言いつつ肩を揺さぶっていると、何度目かで結実花がぱちっと目を開けた。

「ふへっ? あ、あれ……私、寝ちゃってましたか?」

「うん。言うて、お昼の時点でもう落ちそうだったじゃない」

 きょろきょろと周りを見回してる様子がちょっとおかしくて、とても安心した。

 抱えていた不安を話して少し安心したのか、結実花は昼食時からずっと眠そうにしていた。

 少し眠るように言ったけれど、部屋に行くのを結実花は嫌がり——まあ気持ちはわかる——結局いつものように図書館に寄って屋上まで来たところで、力尽きてエアマットの上で眠りに落ちた。

 笑って見ていられたのはそこまでだった。

 私は施設巡回ロボットを屋上まで引っ張ってくると、簡易検査機で結実花の状態を調べさせた。巡回ロボットに接続した医療AIは事も無げに毎朝繰り返している文句を述べて『正常』だと告げると、『ベッドで休むことを推奨します。個室まで運びましょうか?』と続けてきた。

 私はお節介なロボットを追い払うと、持ってきたブランケットを結実花に掛けて今日の読書を始めた。

「あの、未希」

「んー?」

 いつものように余分に持ってきた本が辺りに散らばっている。それを一冊一冊積み上げながら結実花に答える。

「ごめんなさいっ」

 私は手を止めた。

「あんな話をしたばっかりで、未希だってきっと不安だったのに……なのに私、一人で寝ちゃって……」

 振り向くと、ブランケットをぎゅっとかき抱いた結実花と目があった。少し目が潤んでいる。

「いいよ」

 私は笑おうとして、ちょっと失敗して頭を掻いた。

「なんともなかったし、ちゃんと起きてくれたし……。まあその、このタイミングで寝落ちかよ! とは思ったけどさ」

「うう……面目ないです」

「でも、そのお陰で少しわかった気がした」

 結実花が小首をかしげた。

 私は跳ねている結実花の前髪をそっと手ぐしでなおすと、隣に座った。

「ESSのせいで私達はかなり終わりと近いところに来ちゃったけれど、いつ終わりが来るかわからないのはそのずっと前から変わらないことだったんだな、って……」

 息をついて、膝の上で腕を組んだ。

「私達はさ、当たり前に明日が来ると思ってたけれど、ある日突然それがなしになっちゃうことなんて別に普通のことだったんじゃないかな……って。さっき結実花が寝落ちしたとき、慌てて色々やって……で、結局なんともなくてほっとして、少し落ち着いたらそんな風に思えてきたの」

「それってすっごく怖くありませんか?」

「怖いよ。だけど、怖がったところで何が変わるわけじゃないし、それ考えたら生きてることそのものが怖いことになっちゃう。だってその怖さって何より自分自身について言えない?」

「そう……ですね。そもそも自分がいつ死ぬかなんて元からわからないですし」

 神妙な顔をしてうなずいた結実花に、私は笑いかけた。

「私は死にたくないよ」

「私もです。——って、笑いながら言うことですか、これ」

「笑いながら言うくらいがちょうど良いんだと思うよ」

 足元にある本の塔。一番上のハードカバーを手に取りながら、私は続けた。

「たぶんそういうことも含めて、さらけ出していくのが一緒に生きていくってことじゃないかな、ってね。——ところで、結実花さ」

「はい」

 手に取った本のページをめくり、目当ての場所を探し出す。その本は出会ったあの日に結実花が手を伸ばしていた詩集だった。

「これ、さあ。いま読むのはなかなか悪趣味じゃないのかな?」



 Omega の瞳


死んでみたまへ、死蠟しろうの光る指先から、お前の霊がよろよろとして昇発する。その時お前は、ほんたうのおめが、、、の青白いを見ることができる。それがほんたうの、お前の人格であった。


ひとが猫のやうに見える。



「そうですか?」

 結実花はむしろきょとんとして、遅れて納得した顔になった。

「あ、『Omega の瞳』とΩ波ですか」

「うん、そう」

「そんなこと言われても、この前初めて読んだので偶然の一致ですよ。あの時はこういう少し暗い感じのする詩が読みたい気分だったんです」

 結実花は困ったように笑って、「でも」と誰もいない屋上に視線を投げた。

「未希以外の人と話そうとしていたときは、ちょっとこの詩を思い出していました。これってもしかして、悪趣味でしょうか?」

「うーん、むしろ言い得て妙なんじゃないかと思う。もっとも、私は詩の解釈なんて読んだまましかわからないからね」

「未希って結構意地悪なところありますよね」

「どうだろ?」

 私はとぼけた。

「じゃあ、そう言う未希は私と会ったとき、どんな本を読んでいたんですか?」

 少し身を乗り出して、挑むように尋ねてくる結実花に私はとっさに思い出した一節を口にしていた。

「〝そはぬば玉の闇なれば人、でて言う。遠祖とおきみおやに魂は帰りぬ、と。〟とか」

「え、なんて?」

「そういう詩みたいな文章がときどき出て来るSF小説。興味あるなら教えるよ。さて——」

 私は本を閉じると立ち上がった。

 本を左手に持ち、右手を結実花の方に差し出す。いつの間にか太陽は西の空で赤く空を染めていた。

「そろそろ行こっか」

「はい」

 結実花は私の手を取る。

「あの、未希」

「何?」

 私にまっすぐ向き合った結実花は、そのまま距離を詰めてきた。まるでないしょ話でもするような格好だ。なんとはなしに察して身をかがめると、結実花はそっと耳打ちしてきた。

「ひとつ、お願いがあります」

 そして私は、結実花の方がまだ一枚上手だったことを思い知る。



        ‥




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