3-1:変わりゆく日常、不安、共鳴。


 ——10:57 / 2122.05/31


 残存生活支援者施設ではやってはいけないことが厳密に決まっているけれど、やらなくちゃいけないことはあんまりない。

 十代の、それも十八歳以下の未成年者が多くいるこの第十八残存生活者支援施設もそうで、せいぜい平日の午前中が学習継続授業という勉強時間に割り当てられているくらいだろう。

 これは、それまで学校で習っていた授業内容、進度、レベルに合わせて、AI教師が授業を行う、というもので要するにお勉強の時間だ。果たして、いまの状況で将来役立つとされる勉強がどこまで意義のあるのかはわからないけれど、やらない理由よりはやっておいた方がいい理由の方が一定の説得力を持っていた。

 もしも、私達が生きているうちにESSが終息したら、生き残りの私達はその時点から生き抜いていかなければならない。それに、本来の生活基盤が崩壊したから施設に引っ越しただけであって、私達の身分が学生なのは変わらないらしい。

 午前中だけ、基本個室で個人授業、って規定もちょうど良かったのだと思う。

 サボろうと思えばいくらでもサボれるのだ。

 実際私は何度かサボったし、いまもあまり熱心な生徒とは言えない。とはいえ、午前中に授業があるからこそ、午後になって図書館に立ち寄って屋上で過ごすのが快い時間になっているのは確かだ。

 そのことを強く意識するようになったのは、間違いなく結実花と出会ってからだろう。

「どうかしましたか?」

 隣に座る結実花に私はひらひらと手を振って「なんでもないよ」と告げる。小会議室を使っての学習継続授業。数日前からお互いのレベルと進度を確認したところ大きな差がなかったので、申請して個人授業から二人授業にしてもらったのだった。

 施設に入る前からグループで行動している人達がそうしているように、いつしか一日の内のほとんどを一緒に過ごすようになっていた私達もそうすることにしていた。

 これはもちろん結実花の提案で、私は消極的な肯定こうていという態度だったのだけど、個室で過ごす時間がさらに減って一日の変化が生まれたのは大きなプラスだと早々に思い知らされていた。

 この件に限らない。

 結実花はすごいな、と気づいたのは出会ってから一週間くらいした頃だった。

 私に話しかけ続けて、普通の会話ができるまでに引き戻したこともそうだけど、他人と関わることで生じるわずらわしさよりも、毎日を一人でただ漫然と過ごす退屈と向き合う方がもっと面倒くさい、ってことを短期間で私に思い知らせたからだ。

 何もしなくても生きていられるけど、〝生きている限りしなくちゃいけないことがない〟のは暇である以上に苦痛で、放っておくとやれることはあるのに何をしていいかわからなくなって行き場のない憂鬱さだけがのしかかってくるようになる。

 これが結構重たい。

 かといって、なんとかやることを作ろう、とするのも空元気にのしかかられているみたいな気がする。

 たとえば、ネットストリーミングなんか見ているとそう感じる。

 ニュース以外で人間が出ているチャンネルは、何だか見ていて痛々しい。内容がどうのこうのよりも〝まだ頑張ってます!〟ってアピールが強くて、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないかな、と思う。

 そうかと思えば、ESSがある日突然終息する前提で配信をしているところもあって、そういうところは視聴者との距離が異様に近くて入る余地が見出せない。

 私が本を退屈しのぎの手段に選んだのは、単純に元から好きだったからだが、図書館にある紙の本はそうしたネットワークとは無縁だからだ。私一人がいれば、本の中の世界にひたっていられる。

 それで十分だと思っていた。

 けれど、結実花と関わったことで本の世界を共有して広げるのが結構楽しいことなんだと思い出してしまった。

 正確には結実花と関わることで、私の世界が広がることに、私は居心地の良さを見出しはじめていたのだった。



「そんなこと考えてたんですか」

 授業の合間の休み時間。小会議室の窓辺に寄りかかり、授業中にぼんやり考えていたことを告げると結実花は目を丸くした。

「だってさ。ここに来る前、結実花も一人になったんでしょ? 私はもう誰かと関わるの面倒になっちゃってさ。こっから先は一人でいいかなあ……なんて思ってたわけで」

 半分開けた窓に左腕をあずけつつ、しまっていた言葉を表に出してみた。風に引っ張られそうになったポニーテールを右手で押さえる。

 結実花はしばらくじっと私の方を見ていたが、やがて小さく息をついて私に隣に来た。

 二人で風に身をさらす。

「同じですよ」

「えっ?」

 その声があまりにも静かだったので、思わず聞き返していた。

「私もここに行くことが決まったときには、未希とそう変わらないことを考えてました。ううん、もしかしたらもっとなげやりな気持ちになってたかもしれません」

 結実花は窓を背にして天井に向かって言うように、言葉を続けた。

「ここに来たときも誰かと話すのはもうやめようかなって思っていたんです。でも、それってなんか寂しいし悔しいじゃないですか」

「悔しい?」

「私はまだESSになってないのに、ESSに負けちゃったみたいで。私はまだ生きているのに、他の人達も生きているのに……って」

「うん」

「だから、せっかくだからちょっと賭けをしてみようと思ったんです」

 結実花は少しうつむいた。

「ここで初めて会った人に挨拶して、もし答えてもらえたら、友達になれるように頑張ってみよう——って」

「それってつまり……」

 結実花が上目遣いに私を見上げていた。

「え? じゃあ、食堂とか廊下で挨拶をしてたのは?」

 私の言葉に結実花は、指先をもじもじと合わせる。

「思いがけず未希とは知り合えましたけど、一応自分から声をかけるのも試してみようかな、と……」

「……」

 思わず顔を覆ってしまった。つまり、私は苦言をていしたつもりで、自己主張をしていたのだ。

「やられた。やっぱ結実花はすごい」

「……それを言ったら、未希もですよ」

 私は結実花の方を見る。声のトーンが下がった気がした。

「だって、未希はいまこうして、私と普通のままで向き合っているじゃないですか……」

「結実花?」

 私は体を起こして結実花に向き直った。

「すみません。やっぱダメですね……」

「ダメって? 何が?」

「私、未希と一緒にいるのが楽しんです。最近は授業も一緒に受けられるようになりましたし、本の趣味も結構合うことがわかってきて……他にも色々あるんですが」

 声が震えたのがわかる。

 私の冷静な部分は、その可能性を考えていた。

「ごめんなさい。楽しくなってきたからこそ、私と未希のどちらかがいつ眠ってしまうかわからないって意識しちゃって、昨夜もそう思っちゃうと眠れなくて……」

 結実花はパンパンと顔を叩いて力無く私に笑いかけた。

「でも、今日もいつもみたいに未希に『おはよう』って言いたくて、起きてようと無理してたら、いますごく眠くて……馬鹿みたいですよね」

「…………」

 馬鹿みたいだとは思う。

 ESSは眠りがトリガーになる死に至る病だが、人間は生きている限り睡眠を必要とする。むしろ無理に起きていようとしていたらそれだけ消耗するから、ESSとは異なる緩慢かんまんな死に方を選択しているとも言えるらしい。

 それに、いつかは限界が来て眠りに落ちる時が来る。そしてその時にESSを発症すれば、苦労して起きていようとしていた努力は水の泡となるだろう。

 結実花もそれくらいはわかっているはずだった。

 でも、私はそんな結実花を笑えなかった。

「うん」

 ためらいつつも私は結実花の小さな肩を抱いた。

「馬鹿みたいだと思うよ」

 右手を頭に、左手を背中に回す。

「だから、そうなる前に私に言って欲しい。それって結局さ、不安を一人で抱えてるってことじゃんか。それこそ、馬鹿みたいだよ」

「ふぇ」

 顔を上げた結実花を見て、私は精一杯強がった笑みを作った。

「だって、私達はもう知り合っちゃったんだからさ。こんな風に話すようになってるんだからさ。それくらいのこと、どんどんさらけ出していけば良いんだよ。どうせ誰が見てるわけじゃないんだし、見ていたとしても気にされないみたいだし」

「でも、未希は、それでいいんですか?」

「いまさらだよ」

 私は両手の力を少しだけ強くした。

「それに、いまのところ私は生きているし、結実花も生きてるでしょ。だよね?」

「……はい」

 体を離す。

「そうですね」

 結実花の声は晴れやかだった。乱れてしまった髪を整えると、恥ずかしそうにかすかに笑った。



        ‥




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