2-2:二人の本読み、読書会、小さな約束。


 ——13:07 / 2122/05/24(JST)


 今日も晴れなのをいいことに、私は屋上の片隅に広げたエアマットに寝転がって本を読んでいる。いま読んでいるのはハードカバーのSFで、他の人の記憶を自分の記憶のように共感できる能力を持った女の子が活躍する短編集。触れることを恐れるような主人公の心情と、世界を丁寧に少しずつ描いていく文体がとても合っていると思う。まだ読み始めだけどすでに面白い。

 文庫本は軽いからあおむけで読むのが楽だけど、ハードカバーはうつぶせで読んだ方が楽だ、と思う。でも、ふと気づくと一冊読む間に何回か姿勢を入れ替えているので、あまり意味のないことなのかもしれない。そもそも電子書籍なら携帯通信端末M I C Aで読めるからあんまり意識していないことだし……。

「はあ——」

 私は本にしおりを挟んで、うふぶせからあおむけに転がった。

 この本は面白い。もしからしたら、ここに来てから一番の当たりを引いたかもしれない。それなのに余計なことを考えていまいち集中できないのは、別のことが心の中で引っかかっていたからなのかもしれない。

 屋上のドアの方を見てみる。

 ドアは閉じたまま私の視線を受け止めていた。



 数日前、〝また〟と言ったとおり結実花はまた屋上にやってきた。私と同じように図書館の本を持って、遠慮がちに私の側に座った。

 本を読みながら結実花はときどき私に話しかけてきた。間合いとつかむのが上手いのか、同じ本読みだからタイミングが読みやすいのか、私が本の世界から抜け出ているときに話しかけてきて、そのせいか私もぽつぽつと言葉を返していた。

 その少ないやりとりからでも、結実花も相当な本好きであることを知るには十分だった。読んでいる本は、九類文学七割、それ以外が三割くらいのバランスだろうか。図書館の分類法に当てはめてみるとそうなる。この辺は私も同じだ。

 違うのは一番多い九類に入っている小説の好みで、もっぱらSF小説を好んで読む私に対し、結実花はファンタジー小説を好んで読む。と言っても、注意して見ていたわけじゃないので、案外見込み違いということもありそうだ。私だってSF以外も読むし、はじめて会った日に結実花が手を伸ばしていたのは詩集だったし……。

「あ——」

 思わず声が出た。

 どうして私はこんなことを考えているのだろう。

 誰かと関わることなんて、もうどうでもよくなってしまったはずなのに……。

 いまはもう一人で死ぬまでの退屈しのぎを続けていくだけだと思っていたはずなのに……。


 ガタン——!


 大きな音を立ててドアが開いた。

 携帯状態のエアマットがボールみたいに跳ねながら飛び込んできて、それを追いかけて結実花が駆け込んできた。

「わっ、ま、待ってください!」

 とはいえ相手は物なので待ってはくれない。転がるエアマットをわたわたと追いかける結実花を視線で追う。どういう具合なのかエアマットは屋上で半円を描くように転がると、私の方に転がってきた。

 だから、結実花が追いつくよりも先に私の手の中に収まった。

 購買部で売っている携帯型のエアマットだ。たぶん、私が使っているのと同じ物だろう。

「ぜえ、はあ、はあ……す、すみません、未希」

 結実花が息を切らして、膝に手を着いていた。

「いいよ。はい」

 エアマットを差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 そんなやり取りを交わすと、結実花はその場にへたり込んだ。なまっちろい肌が少し上気している。小柄でなにもかも小作りな結実花だけど、息を着いて上下している胸元はしっかり山なりの曲線を描いている。直観的に大きな歳の差を感じなかったのはこれかな、なんて思った。

 息が落ち着くと、結実花がエアマットを掲げてみせた。

「これ、私も買っちゃいました」

「みたいだね」

「それでその、私もここで本、読んでもいいですか?」

「……」

 いいですかも何もなかった。

 結実花はこうやってひとつひとつ丁寧に確認を取るけれど、そのほとんどは私の許可を必要としないことだ。私は施設の管理権限を持っているわけじゃないし、ただの住人の一人にすぎない。

 私は昨日読んだ本に似たようなシーンがあったのを思い出して、その一節を交えて答えた。

「別に、そこは私の管轄かんかつじゃないから」

 結実花は一瞬驚いたようだったけれど、すぐに切り返してきた。

「誰の管轄です?」

「そこに座りたい人の管轄」

 最後まで言ってからなんだか照れくさくなって、私は顔をそむけた。結実花は元ネタを知っているみたいだったからなおさらだ。

 エアマットを展開させ私の隣に腰を下ろすと、結実花はそのものずばりのタイトルを口にした。私がうなずくと、少し嬉しそうに笑う。

「未希も読んでいるとは思いませんでした」

「ここに来てすぐくらいの頃読んだ」

「六冊全部ですか?」

「うん」

 空をモチーフにした表紙のハードカバーを思い出す。飛行機同士の空戦がショービジネスになった架空の世界で戦うパイロット達の話。その刹那的な生き方がなんだかいまの自分と少しだけ重なって見えた。私は彼らと違って戦い続けなくてもとりあえず生きてはいけるけれど……。

「何冊目が好きです?」

「一冊目、……かな」

 苦笑が混じった。それはさっき引用した部分が一冊目の冒頭からだったからだ。それにしても……。

「ちょっと意外かな」

「何がです?」

「ああいうSFっぽいものも読むんだなって」

 私の言葉に結実花は一瞬きょとんとしたが、すぐ「ああ」と納得したらしい声を上げた。

「お父さんの本棚にあって……それで読んでいたんです」

「そっか……」

 私は慎重に結実花の表情をうかがった。

 わずかなかげりはその〝お父さん〟がもういないとうかがい知るには十分で、私は次の言葉に迷う。けれど、そんなのは一瞬のことで自分が結実花の立場だったら気を遣われるのは嫌だろうと思った。

 果たして、結実花は私が何かを言う前に次の話題を振ってきた。

「それで、未希はいま何を読んでいるんですか?」

「ん、これ——」

 私は表紙を結実花の方に向けると、ざっとまとめたあらすじを伝えた。もっともまだ読み始めたばかりだったから、どの程度合っているかはわからない。

「面白そうですね! ……あの、」

「ん?」

「一緒に読むのはなしでしょうか?」

 まあ、そういうのも読み方としてはありだろう。でもこれに関して言うなら……。

「ごめん。ナシ」

 ぴしゃりと私は断った。

「この本、当たりっぽいから集中して読みたい。だから、どうしてもって言うのなら横から覗いていてもいいけど、私は私のペースで読むよ」

すると結実花は腕を組んで「ううーん」と考え込んだ。

 それからしばらくして、あっと声を上げた。

「タイトルと作者、詳しく教えてください。電子図書館にないか調べてみます」

 電子図書館は公共図書館が館単位で展開している電子図書貸し出しサービスで、古い本なら結構登録されていることが多い。

「私が読み終われば紙で読めるよ」

 そう。それが私が——もしかしたら結実花も——読書を施設での暇つぶしに選んだ理由だった。古い紙の本を自由にたくさん読める環境というのは、私達にとって結構貴重になっていたからだ。

 結実花は笑ってMICAマイカを掲げて見せた。

「それより、読み終わってから未希と感想を話してみたいです」

「んー……私、あんまりそういう話まとめるの上手くないよ」

「いいんですよ。こういうのは同じ体験を共有できるのが楽しいんです」

「……ソーシャルSネットワークNサービスSみたいに?」

 結実花の話を聞いていたら、忘れ去っていた存在のことを口にしていた。色んなサービスがあったけれど、故人の投稿ログを追うのが虚しくなって最近は全く見ていない。

「え、普通に読書会になると思うんですが」

「そりゃそうか」

 私の回りくどい言い回しをしてしまったことに苦笑したが、結実花は笑わず「そうですよ」と答えただけだった。やがて、MICAを操作していた指が止まり、結実花は『見つけました』と嬉しそうな顔を見せた。

「これですね」

「そうだね」

 私が持っているハードカバーと結実花がFLIPで拡大表示した電子書籍の表紙は同じものだった。百十年前、この本を書いた作者は未来にこんな読まれ方をするなんて思っただろうか。

 私達はどちらからともなくそれぞれのエアマットに寝転がると、手元の本を読み始めた。

 いや、読み始めようとしたところで、結実花が口を開いた。

「あの、未希」

「んー」

「今度はそれぞれ事前に一冊ずつ選んで、これやりませんか」

 事前に一冊ずつ、それぞれが一冊読んだら交換してもう一冊読んで、そうしたら感想会をする、ということだろうか。

 思ったところを伝えたら、我が意を得たりとばかりに結実花はうなずいた。

「せっかく大きな図書館があることですし」

「うん……」

 ぱらり、とページをめくりながら私は答えた。

「それも、いいかもね」

 結実花のペースに乗せられてしまった格好だったが、特にこれと言ってしたいことのない私はろくに考えもせずそう答えていた。

 でも、結実花は私のうすぼんやりした声にもきっと笑顔で答える。

「はい。今度やりましょう」


 それが小さな約束だと気づいたのは、日が暮れて別れるときになってからだった。



        ‥




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