1-2:屋上、物思い、またね……。
——13:37 / 2122/05/22(JST)
生活場所を限定されているとは言え、残存生活者支援施設には外出に関してこれと言った制限はない。今日のように晴れた日に屋上から下を眺めてみると、街へ出かけていく人達の影がぽつぽつと見える。
人口がごっそりと減ったけれど、それを埋め合わせるように都市機能の自動化は急速に進んでいた。この街みたいにもともとインフラの全自動化が進んでいた街だとその動きは顕著だ。
いちいち申請しないといけない面倒くささと街に出て何かをする気力のなさから、私は施設に来てからは外出していなかった。
四階建ての施設の屋上にどうも私以外の住人が寄りつかないらしいことも、私には好都合だった。まあ、私という先客がいるから避けられているのかもしれないけれど……。
「よっせ……と」
屋上のすみっこの、日陰になっている場所に、図書館から借りてきた本を積み上げる。ボンベのバルブをひねってエアマットを膨らませる。寝床ができると、あおむけに寝転がって今日の一冊目——昨日の続き——を開いた。
いまから百四十五年くらい前のSF小説。遠い未来、開拓された火星の過去をたどる物語は文章が少し堅苦しいけれど、時折出てくる詩的な言葉にここのところ沈み気味だった気持ちが上向いてくるようだった。
ヤケの激しい文庫本のページをめくっていると、屋上のドアが開きあぶなっかしげな靴音が床を叩いた。
「あ、っと、とととと……」
バタンとドアが閉じる。構わず本を読み進めていると、足音は私の右隣まで来て止まった。
「あっ」
その影の主が驚きの声を上げる。ちらりと視線を送ると、一昨日図書館で出会った女の子——結実花がいた。
目が合うと、結実花は大きく目を見開いて何度かまばたいた。〝思いがけないところで思いがけない相手に会った〟とでも言いたげな顔だった。彼女はそんな驚きを押しやるようにかぶりを振ると、遠慮がちに口を開く。
「こ、こんにちは」
膝に手を当てて少ししゃがみ、私の顔を覗きこんでいる。
「——ん」
どう応じたものか迷った私は、そんな返事とも言えない声を返していた。
でも、結実花はそれで十分だったようで、ほっとしたように表情をゆるめる。
「ここ、座っていいですか?」
「好きにすれば」
結実花は私の隣で膝を立てて座った。右腕に彼女の気配を感じて「そこに座るのか」と思ったけれど、気に障るほどではなかった。
「そのえっと……未希、一人ですか?」
「たぶんね」
ぱらり、とページをめくる。
「ここの鍵は未希が開けたんですか?」
「開いてた」
就寝時間になるまで屋上は施錠されない。朝は大体八時には開いていることを確かめた。巡回ロボットは顔を出したり出さなかったりだが、これは私が気づいていない部分もあると思う。
思考が本の内容から逸れたのは、中腰のままこちらを伺っている結実花の様子が気になったからだった。何かを言うでもなく、ただそこにいる。
「……なに?」
「えっ? あ、その、図書館で読まないんですか?」
「……寝っ転がれないからね」
ちょっとだけ迷って、そう答えた。
「自分の部屋に持ち込めば、ベッドで読めるんじゃないでしょうか?」
「そうすると、ずっと部屋にいることになるでしょ」
話しながら、そう言えばこの子は昨日ここに来たばかりだったな、と思い出す。転校生に懐かれるのはこんな感じだろうか。
「あの部屋、
視線は文庫本に向けたままだったけれど、もう私の目は文字を追っていなかった。会話する気はなかった。でも無視する気にもなれなかった。
「据え付けの端末で医療AIがこっちの健康状態をモニターしてるのもあるんだろうけどさ。なんか、自分の部屋って感じがしない」
結実花は虚空に視線をさまよわせ、わずかな間を置いてぽんと手を叩いた。
「あ、病室っぽい雰囲気はあります」
「それ」
私は観念して文庫本に
「短期間で何をどう改装したらこうなるのか、って思ってたけど病院とか……ああ、そっか、あの感じに近いんだ」
医療AIとリンクした住人の健康状態を常時モニターしている端末があって、ベッドは固定型に見せかけてキャスターが付いているし、やけに軽いドアはたぶん短い手順で外せるはずだった。
身を起こした私は、かたわらにちょこんと座る結実花の方を見た。
「もしかして、なにか用だった?」
まあ、最初の反応からしてここに来たのは偶然なのだろうけど、一応そう聞いてみた。
案の定結実花は首を左右に振って、少し恥ずかしそうな笑みを見せた。
「施設の中を把握しようと思って、色々歩いているうちにたどり着いただけで……その、未希がいるとは思ってなかったんで、少し驚きました」
「ふぅん。まあ、わかるよ」
知らないところに放り込まれて「今日からここがあなたの家です」と宣告されたら、とりあえずはどんな場所か見て回りたいのは人情だと思う。おっかなびっくり、あるいは好奇心むき出して建物内を巡っていたら、意外なところに知った顔があればそりゃ驚くだろう。
「その……未希はいつもここにいるんですか?」
「大体ね」
私は答えると、再びエアマットの上に横になった。文庫本を再び開く。
「雨が降らなければ、だけど」
そう付け足すと、結実花がかすかに笑った気配がした。
「あの……」
「ん——?」
「私も、ここ使っても良いですか?」
結実花は私と私が積んだ本とを交互に見て、言った。私はそのまま黙考して、途中で結局考えるのが面倒くさくなって投げた。
「好きにすれば」
ぶっきらぼうに投げた言葉を結実花はすくい上げるように拾った。
「はい。あ、じゃあ、今日はとりあえず帰ります。準備してこないと」
ふわりと髪をなびかせて結実花が立ち上がる。昨日、ジュース一本奢られるついでに教えた購買部へ行くのだろう。どういうわけかサバイバル用品やアウトドア用品が充実している購買部は、この手の携帯寝具も当たり前のように扱っている。そのことを結実花に話したばかりだった。
パタパタパタパタ……と軽い足音が遠ざかる。
ドアが開くと音がして、途中で止まった。
「未希」
「ん?」
声に振り向くと、ドアから半身を覗かせた結実花と目があった。
「じゃ、またです」
ドアが閉じる。
私は文庫本を胸の上に置いて、曇りのない五月の空を見上げた。
見渡す限りの青へぽつりと結実花の言葉を繰り返す。
「〝また〟か……」
いつからか使うことのなくなっていた言葉だった。
‥
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